島倉千代子の稗搗節を聞きながら歌詞の解釈、2回に分けてブログ(6月28日駒ひき考、7月7日叙事詩)したが、書き漏れた1点が残った。小分けで幾度も繰り返すのは性に合わないのでこれを書くのに途惑っていた。考えればその点は歌詞解釈で最重要な寓意であり、考えるほど隠されたその暗喩を解かねばいけないと思った。
それでこの号を千代子稗搗節の完了版としてブログする。
気に掛かっていたのは♪鳴る鈴かけてよ~♪の「鳴る」です。鈴が鳴るのは当たり前だから「鳴る」は要らない。これは「書く鉛筆」とか「回るモーター」と同様で必ずある属性を繰り返しているだけ、不要な形容詞です。
「小言多い親父」は昔からだが、最近は「文句たれる女房」も必須属性の繰り返しなので「文句たれる」は不要である。
この言い回しを稚拙と感じていた。内心で「これは民謡なので歌詞も俗曲レベル」などと不遜に解釈していた。これが間違い、前のブログで1番と2番を「代掻き馬」をつれて「タノモー」と御殿にやって来る田舎の「のんびり小父さん」光景だと誤解していたと同じレベルの幼稚解釈であった。
この誤りに気付いたのはやはり千代子の絶唱をYuouTubeで聞いたからです。
鈴を鳴ると形容したのはこの鈴は「鳴らない」からです。
鳴るはずの鈴、鳴らさなくてはいけない鈴、必ず鳴らすから待っていてくれ。だから「鳴る鈴」をサンシュの木にかけた。そして鈴が鳴るのを(鶴富が)待っていたにもかかわらず、鈴は鳴らない。いつまで経ってもとうとう鳴らなかった。
「鳴る=帰る」の意味で、帰らなかった大八は鈴を鳴らせなかった。
大八が「鳴る鈴」をかけたのは「鳴らしてみせる=帰ってくるよ」の意味かけでした。しかし大八は「椎葉立つときは目に涙」だった。鳴る鈴をかけても、その鈴を鳴らせない自身を知っていたからです。鈴を自己のアルターエゴ、分身として椎葉に置いた、それが愛した鶴富への精一杯の感謝だった。
2度とは会えないと知っての別れ、悲しさに綻ぶ心の慰めが鈴、それも「鳴る」はずの鈴でした。
彼は鶴富に「きっと帰るから」とも「帰るのは無理だ」とも告げなかった。鳴る鈴をかけただけだ。それが「鳴らない」絡繰りを知っているので目に涙したのだ。大八はやはり部族民だったのだ。
この際なのでYuouTubeを渉猟したらはん子(神楽坂)、太郎(東海林)とひばりの稗搗節を楽しむことが出来た。皆当代の名手としてならした方々なので堪能しました。
そして婉曲な言い回し、比喩暗喩の重なり、成就されない願望を分身に托すなどの部族民的解釈に合致しているのが島倉千代子でした。
彼女は偉大な部族民なのだ。
それでこの号を千代子稗搗節の完了版としてブログする。
気に掛かっていたのは♪鳴る鈴かけてよ~♪の「鳴る」です。鈴が鳴るのは当たり前だから「鳴る」は要らない。これは「書く鉛筆」とか「回るモーター」と同様で必ずある属性を繰り返しているだけ、不要な形容詞です。
「小言多い親父」は昔からだが、最近は「文句たれる女房」も必須属性の繰り返しなので「文句たれる」は不要である。
この言い回しを稚拙と感じていた。内心で「これは民謡なので歌詞も俗曲レベル」などと不遜に解釈していた。これが間違い、前のブログで1番と2番を「代掻き馬」をつれて「タノモー」と御殿にやって来る田舎の「のんびり小父さん」光景だと誤解していたと同じレベルの幼稚解釈であった。
この誤りに気付いたのはやはり千代子の絶唱をYuouTubeで聞いたからです。
鈴を鳴ると形容したのはこの鈴は「鳴らない」からです。
鳴るはずの鈴、鳴らさなくてはいけない鈴、必ず鳴らすから待っていてくれ。だから「鳴る鈴」をサンシュの木にかけた。そして鈴が鳴るのを(鶴富が)待っていたにもかかわらず、鈴は鳴らない。いつまで経ってもとうとう鳴らなかった。
「鳴る=帰る」の意味で、帰らなかった大八は鈴を鳴らせなかった。
大八が「鳴る鈴」をかけたのは「鳴らしてみせる=帰ってくるよ」の意味かけでした。しかし大八は「椎葉立つときは目に涙」だった。鳴る鈴をかけても、その鈴を鳴らせない自身を知っていたからです。鈴を自己のアルターエゴ、分身として椎葉に置いた、それが愛した鶴富への精一杯の感謝だった。
2度とは会えないと知っての別れ、悲しさに綻ぶ心の慰めが鈴、それも「鳴る」はずの鈴でした。
彼は鶴富に「きっと帰るから」とも「帰るのは無理だ」とも告げなかった。鳴る鈴をかけただけだ。それが「鳴らない」絡繰りを知っているので目に涙したのだ。大八はやはり部族民だったのだ。
この際なのでYuouTubeを渉猟したらはん子(神楽坂)、太郎(東海林)とひばりの稗搗節を楽しむことが出来た。皆当代の名手としてならした方々なので堪能しました。
そして婉曲な言い回し、比喩暗喩の重なり、成就されない願望を分身に托すなどの部族民的解釈に合致しているのが島倉千代子でした。
彼女は偉大な部族民なのだ。