蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

カツ丼の自由の続き 1

2018年10月06日 | 小説
(10月6日)
9月6日から10月2日まで11回連載した部族民通信「カツ丼の自由 アリサの勝手でしょ」はアンドレ・ジッドの「狭き門」(la porte etroite)を取り上げています。recit(=レシ、一人称の「私」が語る物語)の筋は主人公ジェロームが語る流れ、ジッドが彼の口を借りて人の生き方、その立ち様の困難さを綴っています。展開される主題は「意志の自由=libre arbitre」とは?に尽きます。カルテジアン(デカルト信奉者)ならではの提起です。

デカルトによれば自由とは発心(volonte)が先立ち、実行すべく心の力(capacite positive、ジッドはvertuとしている)が裏打ちする。発心と心の力の間には乖離、齟齬など交流を阻む仕組みなど有り得ないから、結果に無関心な構えを維持し、訥々と自由な選択を実行してこそ、人は「神の自由」(liberte d’indifference)に近づく。個人の主張、個性の発露という概念が未発達だった17世紀、その世紀に生きたデカルトの説く自由です。
しかしジッドの時代(19世紀後半)、思想行動、行動性向に束縛を跳ね返そうとする風潮が生まれました。しかし自由を実行するとはいかに難しかったか。ジッドがアリサとジェロームの運命に託したのは困難さだった。

volonteの多様性(狭き門では3通りの発心を提示している)、個人が受ける運命は試練と犠牲、持ち続けてもvertuに救いはない。しかし(彼の時代)でも神は、狭き門より入れと人に強いる。利己に関心を持つ「太った心」では狭き門を抜けられない。邪心の破棄の教えはデカルトの無関心につながり、自由への道であるけれど、遂行の過程での困難さを同時代人にジッドが訴えた。
アリサの客死が19世紀の自由の結末、これが彼の結論と投稿子は信じます。(連載11回のレジュメ、ご関心のある初訪問のブラウザ氏には1~11を御笑覧くだされ)

写真:諭吉は往来で「カツドン~」と叫ぶのは自由ではなく勝手にすぎないとは教えなかった。


さて、弊ブログ「カツ丼の自由アリサ…」の冒頭で「昼飯にカツ丼と主張し続ける事」なる自由をK氏が主張していた。どうやらK氏には欲望に渇望、すなわち利己が横溢しているようです。カツ丼を食らい味覚と食欲に満足し、生きる望みすらK氏は確認しているらしい。彼の言を引用すると「中身と詰まる蓋に隠れる姿の様を思うに、美味の極みがさぞかしと組み合さる逸品と、唾が思わずごくん。蓋の石突きを取る指先がカツの香りに暖まる」(9月10日投稿分)この気分に一時を浸るために自由がある。
K氏が広げる自由論である。
デカルトの無関心あるいは神の教え狭き門とK氏の自由とに、投稿子は大きな差異を読み取るのであるが、その距離はなぜ発生したのか。

明治初期。文明開化、富国興産は国家の課題であり、それらの形而上の活動、欧米の文明思想の導入も活発だった。liberteなる概念に出くわし、自由と訳した。この博識は誰かに緒論あるが、福沢諭吉との主張は多くに強い。その訳の意とは自己の由(よし)とする。しかるにそもそもこの語は、漢籍で気まま思うまま(大字源)とある。「勝手気まま」に通じる意でもある。(第2義哲学に他から拘束されず自身の意志で行動するが載せられている)1義が古来からで2義は明治以降の自由であろう。
訳すに当たり諭吉はliberteなる語にまといつく、デカルトの教条を知っていただろうか。投稿子は「知っていたが疑いもない歴史である」と信じる。1万円札を眺めるだけでそれが判断できる。
邦国紙幣の最高額を飾る人物は初発行以来30年弱、聖徳太子であった。2代目として重責を引き継いだのはなんと福沢諭吉。二人の生年の差は1200年を超す。その間に思想家、文人、歌人は輩出したけれど、大蔵省あるいは政府中枢で、お偉い方が選んだのは諭吉だった。空海でも親鸞でもない。世阿弥、芭蕉、白石なども飛び越えるほどの偉人である。17条憲法の1300年の後に現れた諭吉、その天才がデカルト理論に不明であったなどは考えられない。彼が訳した自由とは無関心の自由、神の自由、デカルトの自由その物であったはずだ。

しかし平成の老人K氏は、利己心を滅却するなどの妥協を一切試みず、JR豊田駅前スクランブル交差点で「カツドン~」と叫ぶ「自由」をもっぱらの行動としている。この態度はただの「手前勝手」であり「勝手気まま」である。デカルト自由とは相容れない。K氏見識の浅さをこのブログで糾弾する暇、時間余裕は投稿子には無い。言語の体系が構造的に悪いのだと指摘したい。

意識疏通の構造的欠陥が日本と西欧にあったのだ。レヴィストロースが説明するのは;
<<le malentendu entre l’Occident et l’Orient est d’abord semantique>>(TristesTropiques、悲しき熱帯の169頁)
拙訳:西洋と東洋の誤解はまず意味論においてであると。

諭吉はliberteは自由であると教えた。しかし往来で「カツドン~」と主張するのは自由としないとは伝えてくれなかった。レヴィストロースが言う意味論とは語の定義であり用法である。言葉と実体との相互性,reciprociteである。

カツ丼の自由の続き 1 了
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