(10月13日)
アンドレ・ジッドの代表作「狭き門 La porte etroite」は主人公ジェロームの語りで筋が流れる。語る本人は「私」、これはrecitと呼ばれる文芸の一分野です。口承される内容はジェロームの視界の枠の内。いずれの行に目を落としても「私」が見た状景、感じ取った他者の表情反応に描写が止まる。すなわちアリサの心の動きを、ジェロームがどのように読み取ったかが綿々と綴られる。
しかし「私」の回りのみでは視野は狭い、ジッドにしてもその閉鎖性に気づいていた。そこでアリサは平素から日記(journal)をしたためていた「その日記をジェロームが読む」の段がrecitに続く。日記をrecitに重ねて読むと、あれほどにも対話を持った二人がかくも誤解を重ねていたか、愛と情けのすれ違い様に、投稿子は一読者として戦慄を覚える。
死を迎えたアリサがそれを封印し、ジェロームに遺贈した形見の日記。その日々の覚えに託した意味に理解が至る。アリサの遺志とは「自由」への想い、乱れ心のかなぐり、それを綴るままにジェロームに伝えた願いだった。
幾度も読み返したジェロームは、アリサと彼女のvertuなるを理解し、しっかりと行動出来た。(この反対例を吟遊詩人ムスタキに見る。vertu不足が災いし、最後には「牢屋に入ったが美人の獄史が監視している」などとのろけを晒すのである)
写真はネットから:アンドレ・ジッド。己が貫き通せなかった自由へのvertuをジェロームに託した。
南仏ニームの葡萄栽培家に嫁いだジュリエットを、ジェロームが訪問する語りが狭き門の最後となる。
葡萄の作柄、夫と弟(ロベール=義兄の共同経営者となった)の活動ぶり、子供達の話などをジュリエットから聞く。夕が迫る時間となった。二人の間に闇が忍び込む。
最後のパラグラフを引用します;
<<Je revoyais la chamble d’Alissa, dont Juliette avait reuni la tous les meubles. A present elle ramenait vers moi son visage, dont je ne distinguais plus le traits, de sorte que je ne savais pas si ses yeux n’etaient pas fermes. Elle me parraissait tres belle. Et tous deux nous restions a present sans rien dire>>(ポケット版182頁)
拙訳;ジュリエットがアリサの家具一切を移し置いた「アリサの部屋」に目を遣っていた。今、ジュリエットは顔を私に向けている。けれど、閉じていないはずの両の目なのに判別できない程だから、表情は見えない。しかし、とても美しいと見えた。沈黙を破る一言が、二人とも口に出せないまま、幾ときが過ぎていった。
<<Allons! fit-elle enfin ; il faut se reveiller…>>
Ja la vis se lever, faire un pas en avant, retomber comme sans force sur une chaise voisine ; elle passa ses mains sur son visage il me parut que’elle pleurait…
Une servant entra, qui apportait la lampe.>>(同、狭き門の最終)
拙訳;ジュリエットが沈黙を破った「進めるのよ、目覚めて」。彼女は立ち上がり一歩前に進んだ。力をすべて失ったか、いすに崩れた。手で顔を隠した、泣いているかに思えた。ランプを手にした召使いが入ってきた。
初産を迎えるジュリエットを見舞いに、アリサがニームに向かったのが188X年5月。同じ年の10月にパリの慈善院にてアリサは客死する。それから10年余の後にジェロームがジュリエットを訪問した。188X を1885年として10と余を11年と推定すれば(根拠はないけれど)、この年は1896年となる。アリサがもし生きていれば36歳。投稿子ジェロームを作者本人に重ねたいので、1867年生のジッドは29歳。文中ではアリサジェロームの年差は7ではなく、3歳(ママ)。差の離れでジェローム=ジッドの証明にはならぬが、誤差範囲と認めてくだされ。
舞台は夕闇。
近代人にはこの「薄暗がり」に想像が回らない。真っ暗は何となく理解できるし、閉め切った部屋に身を置けば体験できる。商業電力が普及したのは20世紀の初頭から、スイッチ一つで明るくなる。それ以前には暗くなってもしばらくは灯火なしであったろう。どの程度の暗さになったら灯をともすのか、それは分からないが、部屋にこもる二人に召使いがランプを運ぶまでが薄い闇だった。その間、二人に何が起こったのか;
ジェロームにはジュリエットの表情がよく見えない。「己を見ている」筈だが開けている目が見えなかった。そしてその顔は「とても美しいと見えた」。目も輪郭もはっきりしない暗さなのに、なぜ美しい顔だと写ったのか。これは理不尽なのだが、そう思う仕組みは一つある。闇を通してジェロームが過去のジュリエット、その愛くるしい表情を思い出しながら「見ていた」のである。
これらのやりとりで、二人の間の薄暗がりは結構、暗いとなる。
ジュリエットは立ち上がるも、すぐさま崩れ落ちた。泣いている。
ジェロームはなぜジュリエットが泣いていると分かるのか。落ちる涙が闇に光ったからである(文中にその描写はないが)。忍び泣きではない、号泣、ましてしゃくり上げでもない。涙を垂らしたからジェロームが察したのだ。
ジュリエットはなぜ泣いたのだろうか。
優しく頼もしく、経営力のある夫。子に恵まれ、ニームの中心地に居を構える奥方身分。悲しみにさいなまれる筈はない。でも泣いた。
ジェロームが己を「美しい」と見てしまったからだ。
美しい形容詞はbeau、女性形はbelle。滅多に使用する語ではない。もしあなたがフランス女性に「t’es belle お前、綺麗だ」と言うと、あなたの感情の動き、お前を好きだの意味も伝えることになる。見てくれの良さのみを伝えるのは「t’es elegante」エレガントねと言うべき。
ジェロームは図らずも美しいとジュリエットを見た。言葉に出さず表情にも漏れない感情の揺れは、暗がりを通して、暗がりだからこそジュリエットに伝わった。沈黙の重苦しさから逃れようと、立ち上がっても心はここ、ジェロームの脇に居続けたい、へたり込んで「さめざめと泣いた。
カツ丼の自由の続き の了
(10月半ば以降に投稿を再開する。レヴィストロース神話学第3作「テーブルマナーの起源」に取りかかる。蕃神)
アンドレ・ジッドの代表作「狭き門 La porte etroite」は主人公ジェロームの語りで筋が流れる。語る本人は「私」、これはrecitと呼ばれる文芸の一分野です。口承される内容はジェロームの視界の枠の内。いずれの行に目を落としても「私」が見た状景、感じ取った他者の表情反応に描写が止まる。すなわちアリサの心の動きを、ジェロームがどのように読み取ったかが綿々と綴られる。
しかし「私」の回りのみでは視野は狭い、ジッドにしてもその閉鎖性に気づいていた。そこでアリサは平素から日記(journal)をしたためていた「その日記をジェロームが読む」の段がrecitに続く。日記をrecitに重ねて読むと、あれほどにも対話を持った二人がかくも誤解を重ねていたか、愛と情けのすれ違い様に、投稿子は一読者として戦慄を覚える。
死を迎えたアリサがそれを封印し、ジェロームに遺贈した形見の日記。その日々の覚えに託した意味に理解が至る。アリサの遺志とは「自由」への想い、乱れ心のかなぐり、それを綴るままにジェロームに伝えた願いだった。
幾度も読み返したジェロームは、アリサと彼女のvertuなるを理解し、しっかりと行動出来た。(この反対例を吟遊詩人ムスタキに見る。vertu不足が災いし、最後には「牢屋に入ったが美人の獄史が監視している」などとのろけを晒すのである)
写真はネットから:アンドレ・ジッド。己が貫き通せなかった自由へのvertuをジェロームに託した。
南仏ニームの葡萄栽培家に嫁いだジュリエットを、ジェロームが訪問する語りが狭き門の最後となる。
葡萄の作柄、夫と弟(ロベール=義兄の共同経営者となった)の活動ぶり、子供達の話などをジュリエットから聞く。夕が迫る時間となった。二人の間に闇が忍び込む。
最後のパラグラフを引用します;
<<Je revoyais la chamble d’Alissa, dont Juliette avait reuni la tous les meubles. A present elle ramenait vers moi son visage, dont je ne distinguais plus le traits, de sorte que je ne savais pas si ses yeux n’etaient pas fermes. Elle me parraissait tres belle. Et tous deux nous restions a present sans rien dire>>(ポケット版182頁)
拙訳;ジュリエットがアリサの家具一切を移し置いた「アリサの部屋」に目を遣っていた。今、ジュリエットは顔を私に向けている。けれど、閉じていないはずの両の目なのに判別できない程だから、表情は見えない。しかし、とても美しいと見えた。沈黙を破る一言が、二人とも口に出せないまま、幾ときが過ぎていった。
<<Allons! fit-elle enfin ; il faut se reveiller…>>
Ja la vis se lever, faire un pas en avant, retomber comme sans force sur une chaise voisine ; elle passa ses mains sur son visage il me parut que’elle pleurait…
Une servant entra, qui apportait la lampe.>>(同、狭き門の最終)
拙訳;ジュリエットが沈黙を破った「進めるのよ、目覚めて」。彼女は立ち上がり一歩前に進んだ。力をすべて失ったか、いすに崩れた。手で顔を隠した、泣いているかに思えた。ランプを手にした召使いが入ってきた。
初産を迎えるジュリエットを見舞いに、アリサがニームに向かったのが188X年5月。同じ年の10月にパリの慈善院にてアリサは客死する。それから10年余の後にジェロームがジュリエットを訪問した。188X を1885年として10と余を11年と推定すれば(根拠はないけれど)、この年は1896年となる。アリサがもし生きていれば36歳。投稿子ジェロームを作者本人に重ねたいので、1867年生のジッドは29歳。文中ではアリサジェロームの年差は7ではなく、3歳(ママ)。差の離れでジェローム=ジッドの証明にはならぬが、誤差範囲と認めてくだされ。
舞台は夕闇。
近代人にはこの「薄暗がり」に想像が回らない。真っ暗は何となく理解できるし、閉め切った部屋に身を置けば体験できる。商業電力が普及したのは20世紀の初頭から、スイッチ一つで明るくなる。それ以前には暗くなってもしばらくは灯火なしであったろう。どの程度の暗さになったら灯をともすのか、それは分からないが、部屋にこもる二人に召使いがランプを運ぶまでが薄い闇だった。その間、二人に何が起こったのか;
ジェロームにはジュリエットの表情がよく見えない。「己を見ている」筈だが開けている目が見えなかった。そしてその顔は「とても美しいと見えた」。目も輪郭もはっきりしない暗さなのに、なぜ美しい顔だと写ったのか。これは理不尽なのだが、そう思う仕組みは一つある。闇を通してジェロームが過去のジュリエット、その愛くるしい表情を思い出しながら「見ていた」のである。
これらのやりとりで、二人の間の薄暗がりは結構、暗いとなる。
ジュリエットは立ち上がるも、すぐさま崩れ落ちた。泣いている。
ジェロームはなぜジュリエットが泣いていると分かるのか。落ちる涙が闇に光ったからである(文中にその描写はないが)。忍び泣きではない、号泣、ましてしゃくり上げでもない。涙を垂らしたからジェロームが察したのだ。
ジュリエットはなぜ泣いたのだろうか。
優しく頼もしく、経営力のある夫。子に恵まれ、ニームの中心地に居を構える奥方身分。悲しみにさいなまれる筈はない。でも泣いた。
ジェロームが己を「美しい」と見てしまったからだ。
美しい形容詞はbeau、女性形はbelle。滅多に使用する語ではない。もしあなたがフランス女性に「t’es belle お前、綺麗だ」と言うと、あなたの感情の動き、お前を好きだの意味も伝えることになる。見てくれの良さのみを伝えるのは「t’es elegante」エレガントねと言うべき。
ジェロームは図らずも美しいとジュリエットを見た。言葉に出さず表情にも漏れない感情の揺れは、暗がりを通して、暗がりだからこそジュリエットに伝わった。沈黙の重苦しさから逃れようと、立ち上がっても心はここ、ジェロームの脇に居続けたい、へたり込んで「さめざめと泣いた。
カツ丼の自由の続き の了
(10月半ば以降に投稿を再開する。レヴィストロース神話学第3作「テーブルマナーの起源」に取りかかる。蕃神)