蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む 序

2018年10月22日 | 小説
(2018年10月22日)
構造主義の視点から新大陸先住民の神話を分析する「構造神話学」。社会人類学者にして哲学者、古今東西のみならず西欧文明から無文字文化に精通したレヴィストロース、彼の思想を集大成した作品が「生と調理(le cru et le cuit)」を第1巻とする構造神話学4部作です。投稿子はこれまでこの1巻と第2巻(du miel aux cendres蜜から灰へ)の解説を当ブログに投稿しています。初めてこのサイトにお立ち寄りの方には、過去ブログも併せてご高覧いただければありがたい(本文最終行にそれぞれの投稿日付があり)

各巻には主題(theme)が用意されます。主題に沿い神話が引用される。
第1巻の冒頭に引用される第1の神話M1はbororo族が伝える「金剛インコarasとその巣」です(レヴィストロースが採取した時期は1930年代、今も残るbororo族で語られていると聞く)。第1巻と続く3巻の4巻、総計813を数える神話の基準となるのがこのM1神話です。別称「鳥の巣あらし=denicheur d’oiseaux」「火の起源=origine du feu」あるいは「父親殺し=parenticide」ともされる。問いかける中身がそれだけに多様である故に、基準神話としてレヴィストロースが取り上げたと見る。そして投げかけるthemeとは「文化の獲得」に尽きる。
Bororo族の思想では無秩序と見える自然には秩序が隠れている。その秩序はあくまでも自然の仕組みなので、人の世界とは折り合いがつかない。いかにして自然から這い上がり、文化を獲得し人間社会を形成したかを200に及ぶ神話群が、登場人物の変容や自然環境の移り巡りの流れの中で、幾度も繰り返し説明している。

写真:食事作法の起源の表紙。右左は太陽神と月の神。日夜交替の周期性を創造した

自然と文化とは物体(etre)である。それらには対照となる「思想」が想定される。1~2巻でしきりに語る「連続continuite」対「分断discontinuite」が思想である。自然は連続、分断が文化と定義している。あるがままの自然に非連続性という分断を持ち込み、心情、行動、身の振る舞いなどを律する文化。人としての規則集成が文化。自然から文化への道のりは分断の連なりである、200の神話が教えてくれます。

例として獣を仕留め生肉をむさぼる行為が自然で、その課程には食べたいという欲望との連続性が認められる。しかしヒトは「火」を創造し、獣を捕らえても生では食さず、火という反自然を介する「調理」の後に家族に供され、家族順列の規則に従い食される。獲物を狩った「婿」の順位は低く「疲れたから食べたくない」などとの気配りを妻子に表明するのが「文化」である。食という日常の行動に「非連続」という社会要素を持ち込み、行動の規範と心情の保ち方で人を律する。これが文化でそのパトスは分断であると南米先住民が思考している(とレヴィストロースが教えてくれた)。

以上が第一巻le cru et le cuitの要約です。第2巻蜜から灰へでは、文化を維持するもう一方の担い手のunion、同盟あるいは婚姻、そして姻族とのつきあい方、特に婿の義務prestationを同盟維持の重要な要素として伝えている。

本投稿で取り上げる第3巻「l’origine des manières de table食事作法の起源」の主題は「周期性=periodicite」です。文化は継続しなければならない、継続とは周期性、文化には周期性が欠かせないとの思想を神話に反映させている。例を挙げるとunion婚姻のあり方。姻族となる集団が遠すぎる場合には、交流が絶たれるからunionを継続できない。近すぎても継続できない。この近すぎるunionを「近親婚」とレヴィストロースは解説している。近親婚が継続を持ち得ないのは別作「親族の基本構造」で論ぜられている。
遠くも無く近すぎでもない関係で婚姻を規規則化すれば同盟は継続できる。これは婚姻には文化的、機能的な仕組みがあるとする説に他ならない。第一作の「親族の基本構造、les structures elementaires de la parente」で世界諸民族で実行される「交差いとこ婚」について、「同盟の継続維持」の機能を持つと彼は主張した。親族ではあるが通婚できる関係と認められる交差いとこは近すぎず遠くはない(娘を通して資産と文化を交換しながら継続できる)。継続性の思想から婚姻の規制(物体)を「神話の語り口」から抜き出したと言える。レヴィストロースならではの洞察です。
もう一例をあげると食料生産と周期性。
本作冒頭の神話、モンマネキの冒険譚(M354)は奇怪な婚姻の5例を語る。その最終の試みで彼は近い(近すぎる)娘と結婚する。その身体は上下分離式で、下半身から引き抜くと上半身が勝手に動き回る。この機能を生かして魚を獲る。下半身を岸辺に置いて股間から経血を垂れ流す。流れに漂う血の臭いにピラニアがおびき出され、水面に浮かぶ上半身がそれを手づかみですくい上げる。ピラニアは肉食、こんな漁労法では下半身が囓られる筈だが、彼女のそれは水中に漂わない。上半身が水面に浮くだけで安全、心置きなくピラニアを捕る。しかし、この漁労法が否定されるのである。女が魚を捕るとは周期性periodiciteの違反である。まして禁忌の経血をまき餌にするとは。
ではなぜ周期性に違反するのか、別の神話が答えを出している。
女が魚を捕ってはならないとの不文律が新大陸に広がっている。新大陸のみならず、旧大陸でも漁労は男の仕事、女は貝類採取と決まっている。日本でも男の漁師に対して女はアワビの採取と分担が決まっている。青木繁は名作「海の幸」で漁師を男の列として画いた。
漁労を狩猟と置き換えれば役割分担の理由は明白である。男は「弓矢を携え」狩りに出て、家の「火を守る」女が調理をになう。弓矢も火も「文化」である。それらを獲得した時には用途も担い手も決まった。そうした規則を遂行し例外などは認めず、社会の継続に力を尽くしているのである。
次回からモンマネキ神話を紹介する。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む 序 了

参考;これまでのブログ投稿(レヴィストロース関連)
1 猿でも分かる構造主義(2017年4月5日~27日全8回)
2 悲しき熱帯を読む(同5月8日~7月12日全13回)
3 レヴィストロースを読む神話学「生と調理」(9月13日~24日全5回)
4 レヴィストロースを読む神話と音楽(10月10日~11月28日全8回)
5 神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する2018年6月11日~7月7日全12回)
ブログ頁の左にある「バックナンバー」から追跡できます。

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