悲しき熱帯第4部「la terre et les hommes大地と人間」の最終部を引用する。
>Je me souviens d’une promenade a Clifton Beach, pres de Karachi au bord de l’ocean Indian. Au bout d’un kilometre de dunes et de marais, on debouche sur une longue plage de sable sombre, aujourd’hui deserte mais ou , les jours de fetes, la foule se rend dans des voitures trainees par des chameaux plus endimmanches que leurs maitres<(悲しき熱帯ポケット版161頁)
訳;カラチ近郊、インド洋を臨むクリフトン浜での逍遥を今も思い出す。いくつもの砂山と潮だまりを1キロメートルほど歩き続けて、黒みの強い砂の波打ち際に出る。今時はきっと、そこに誰も見あたらないだろう。祭りの日には大勢がラクダ牽く車に乗り込み寄り集まる。そのラクダときたら飼い主よりも絢爛たる晴れ着を着こなしているのだ。
ラクダの着飾りの様2葉をネットから拾った。


インド、パキスタン名物の「デコトラ」(decorated truck)に通じるところがある。ドライバーや所有者は地味目の服飾でがんばって、浮いた費用で乗り物を飾り立てる。自身が前面に立つのではなく、乗り物を通じて己の存在identiteを主張する。日本にもデコトラ、あるいはデコバンの習俗は見受けられる。
乗り物を飾り立て威勢を張る、世界共通なのだろうか。

日本のトラック野郎も負けるものか!

高速道路で後ろに迫られたらビビル。
筆がそれた、許せ。悲しき熱帯に戻る。
>L’Ocean etait d’un blanc verdatre. Le soleil se couchait; la lumiere semblait venir du sable et de la mer, pa-dessous un ciel en contre-jour. Un veillard enturbanne s’etait improvise une petite mosque individuelle avec deux chaises de fer empruntees a une guinguette voisine ou rotissaient les kebab. Tou seul sur la plage, il priait.<(同)
訳;海は鈍い白色だった。太陽は沈んでいた。薄暗いなかに光は漂う。夕べ残りの日の輝きを孕む西の空の下。そこには砂浜、そして海。西から光が一帯に、迷い込むかに見えた。頭にターバンを巻いた老人が、椅子を2脚、それは浜に面する小屋がけのケバブ焼き店からの借り物だろう、を砂浜に置いた。そして小さな個人用のモスクを広げた。浜辺に一人、彼は祈っていた。
蕃神の読後の個人感覚となるが、夕日考の本家「大洋に沈む夕日」と比べると、この「夕日に祈る老人」からより強い印象を受けた。しみ込むほどの感慨を心に残した。その浸透力の強固さに何故かの推理を巡らせると、最後の句>Tou seul sur la plage, il priait.<誰もいない浜で祈っていた。この状景が目に浮かんだからである。
ターバン老人の浜辺の祈りを詳しく再現したい。
「大地と人間la terre et les fommes」の部の14章は「空飛ぶ絨毯」Le tapis volantの章名を取ります。読み進めると回教徒がモスクから離れて祈る時に、地に絨毯を敷く規則あるいは習慣が語られている。引用文節では絨毯に説明が及んでいないけれど、読者は浜辺の老人はまず足下に絨毯を敷いたと想像する。
個人用モスクとは何か。
携帯可の祭壇、祈りの台と理解したい。
イスラムの徒はアッラーに毎日幾度か、定刻に祈らねばならない。寺院モスクから遠く離れた教徒はどう祈るのか。地に跪きアッラーがそこいらにおわしますメッカ方向に向かってひたすらひれふし、祈りを捧げる。
絨毯を敷いて老人は携帯式祭壇をその前に置いた。メッカはカラチから向かうと真西、すなわち西を臨む浜辺の波打ち際にそれを置いた。己の位置はその対面、すると祭壇はインド洋の縁に接し、老人が砂浜の側。
それでは2脚の椅子はどこに置く。
蕃神の推察が始まる。
一脚は祭壇の安置に用いる。神聖な物だから砂に直か置きは不謹慎だ。
もう一脚を祭壇脇に据える。祈りなので神のご降臨を願うのだから神様の居場所を決めないと。神様には脇の椅子に鎮座をお願い申す。神様に「そこに立っていてくれ」などと命じられません。
この携帯祭壇なるをネットで捜したが、採取できなかった。敬虔さでイスラムの徒と同等とされるチベット仏教徒、彼らが旅先で祈りを捧げる携帯祭壇の写真をここに貼る。

イスラムは偶像を排しているから、仏像の代わりに幾何文様が刻まれる
(チベット仏教なる語を用いたが民族的特異性はなく、大乗教、北方仏教である)。
さて浜辺の老人、祈り用意の万端が整った。
祭壇はしっかり椅子に据えられた。もう一方の脇の椅子には誰も座っていない。
老人は退いて絨毯の上、そこに跪いた。老人の目の前に夕日、その残照が広がる。ひれふして祈る、その方向は真西。
祈りが通じたならば神が祭壇脇の椅子に降臨する。しかし老人は頭を垂れて砂を見つめるだけだから神が降臨し、椅子に座したご尊影を見ることなど不可能、見てはならないし見ようとて神ならば全くの透明だから、人には検知できない。
老人の浜には誰もいない。そしてその夕べ、神が降臨したと部族民蕃神は信ずる。
2脚目の椅子に座し、祈る老人を見下ろす神。浜の夕べにこんな状況があったのだ。
最後にCliftonBeachの今、レヴィストロース訪問後70年を経てリゾート地と変身した。写真を幾つか。

続く
>Je me souviens d’une promenade a Clifton Beach, pres de Karachi au bord de l’ocean Indian. Au bout d’un kilometre de dunes et de marais, on debouche sur une longue plage de sable sombre, aujourd’hui deserte mais ou , les jours de fetes, la foule se rend dans des voitures trainees par des chameaux plus endimmanches que leurs maitres<(悲しき熱帯ポケット版161頁)
訳;カラチ近郊、インド洋を臨むクリフトン浜での逍遥を今も思い出す。いくつもの砂山と潮だまりを1キロメートルほど歩き続けて、黒みの強い砂の波打ち際に出る。今時はきっと、そこに誰も見あたらないだろう。祭りの日には大勢がラクダ牽く車に乗り込み寄り集まる。そのラクダときたら飼い主よりも絢爛たる晴れ着を着こなしているのだ。
ラクダの着飾りの様2葉をネットから拾った。


インド、パキスタン名物の「デコトラ」(decorated truck)に通じるところがある。ドライバーや所有者は地味目の服飾でがんばって、浮いた費用で乗り物を飾り立てる。自身が前面に立つのではなく、乗り物を通じて己の存在identiteを主張する。日本にもデコトラ、あるいはデコバンの習俗は見受けられる。
乗り物を飾り立て威勢を張る、世界共通なのだろうか。

日本のトラック野郎も負けるものか!

高速道路で後ろに迫られたらビビル。
筆がそれた、許せ。悲しき熱帯に戻る。
>L’Ocean etait d’un blanc verdatre. Le soleil se couchait; la lumiere semblait venir du sable et de la mer, pa-dessous un ciel en contre-jour. Un veillard enturbanne s’etait improvise une petite mosque individuelle avec deux chaises de fer empruntees a une guinguette voisine ou rotissaient les kebab. Tou seul sur la plage, il priait.<(同)
訳;海は鈍い白色だった。太陽は沈んでいた。薄暗いなかに光は漂う。夕べ残りの日の輝きを孕む西の空の下。そこには砂浜、そして海。西から光が一帯に、迷い込むかに見えた。頭にターバンを巻いた老人が、椅子を2脚、それは浜に面する小屋がけのケバブ焼き店からの借り物だろう、を砂浜に置いた。そして小さな個人用のモスクを広げた。浜辺に一人、彼は祈っていた。
蕃神の読後の個人感覚となるが、夕日考の本家「大洋に沈む夕日」と比べると、この「夕日に祈る老人」からより強い印象を受けた。しみ込むほどの感慨を心に残した。その浸透力の強固さに何故かの推理を巡らせると、最後の句>Tou seul sur la plage, il priait.<誰もいない浜で祈っていた。この状景が目に浮かんだからである。
ターバン老人の浜辺の祈りを詳しく再現したい。
「大地と人間la terre et les fommes」の部の14章は「空飛ぶ絨毯」Le tapis volantの章名を取ります。読み進めると回教徒がモスクから離れて祈る時に、地に絨毯を敷く規則あるいは習慣が語られている。引用文節では絨毯に説明が及んでいないけれど、読者は浜辺の老人はまず足下に絨毯を敷いたと想像する。
個人用モスクとは何か。
携帯可の祭壇、祈りの台と理解したい。
イスラムの徒はアッラーに毎日幾度か、定刻に祈らねばならない。寺院モスクから遠く離れた教徒はどう祈るのか。地に跪きアッラーがそこいらにおわしますメッカ方向に向かってひたすらひれふし、祈りを捧げる。
絨毯を敷いて老人は携帯式祭壇をその前に置いた。メッカはカラチから向かうと真西、すなわち西を臨む浜辺の波打ち際にそれを置いた。己の位置はその対面、すると祭壇はインド洋の縁に接し、老人が砂浜の側。
それでは2脚の椅子はどこに置く。
蕃神の推察が始まる。
一脚は祭壇の安置に用いる。神聖な物だから砂に直か置きは不謹慎だ。
もう一脚を祭壇脇に据える。祈りなので神のご降臨を願うのだから神様の居場所を決めないと。神様には脇の椅子に鎮座をお願い申す。神様に「そこに立っていてくれ」などと命じられません。
この携帯祭壇なるをネットで捜したが、採取できなかった。敬虔さでイスラムの徒と同等とされるチベット仏教徒、彼らが旅先で祈りを捧げる携帯祭壇の写真をここに貼る。

イスラムは偶像を排しているから、仏像の代わりに幾何文様が刻まれる
(チベット仏教なる語を用いたが民族的特異性はなく、大乗教、北方仏教である)。
さて浜辺の老人、祈り用意の万端が整った。
祭壇はしっかり椅子に据えられた。もう一方の脇の椅子には誰も座っていない。
老人は退いて絨毯の上、そこに跪いた。老人の目の前に夕日、その残照が広がる。ひれふして祈る、その方向は真西。
祈りが通じたならば神が祭壇脇の椅子に降臨する。しかし老人は頭を垂れて砂を見つめるだけだから神が降臨し、椅子に座したご尊影を見ることなど不可能、見てはならないし見ようとて神ならば全くの透明だから、人には検知できない。
老人の浜には誰もいない。そしてその夕べ、神が降臨したと部族民蕃神は信ずる。
2脚目の椅子に座し、祈る老人を見下ろす神。浜の夕べにこんな状況があったのだ。
最後にCliftonBeachの今、レヴィストロース訪問後70年を経てリゾート地と変身した。写真を幾つか。


続く