蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

野生の思考LaPenseeSauvageを読む 5

2020年06月29日 | 小説
(2020年6月29日)先週表題を4回に分けて投稿しました。(22~25日)。今週も同じペースで取りかかります。よろしく御訪問を。

本投稿向けに限定製作したPDF用語欄にmorphologie(形態学)が見られます。(PDFの小図を載せます。明快な図はホームサイトにPDFとして掲載しています。WWW.tribesman.asia)。その左にはforme(形)。

具体科学のモノ世界展開の図。

両者の差とはformeは全体の形、木であれば高さと枝振りで外貌、すなわち姿が決まる、その形がformeです。形態(学)と訳されるmorphologieは;
Etude de la configuration, et de la structure exterieure d’un etre vivant.生物の外貌の構成、構造を調べる学。とあります。とある一の形の見極められる仕組みを見る。イヌという形formeをよくよく分解すると首、胴体、尻尾四つ足などで構成されていると気付いたら、すでにmorphologie形態学に踏み入っている。
>Ce savoir et les moyens linquistiques dont il dispose s’etendenet aussi a la morphologie. La langue tewa utilise des termes distincts pour chaque partie ou presque du corp des oiseaux et des mammiferes. La dicription morphologique des feuilles d’arbre ou de plantes comporte 40 termes, et il y a 15 termes distincts correspondant aux differentes parties d’un plant mais. (本書19頁、Conklin著Hanundo Plant Worldからの引用)
訳;(筆者はTewa族(オセアニア先住民)の案内者と徒の旅に出て、途上森林域を横切る、案内者の植物に関する知識の深さと語彙の豊かさに舌を巻いたーこれが引用文の前段)知る努力そして言葉を通じての適切な説明、こうした知識は外貌のみの観察を越えて<形態学>にむかう。tewa語には鳥類、ほ乳類の全ての構成部位に名が与えられている。木々、草類の葉の外貌からの識別(morphologique形態学)には40の用語が用意され、モロコシの一種にですら葉の形態に15の用語が備わる。
比較するに本邦の例をあげる。


牧野富太郎博士(1862~1957年)「日本の植物学の父」、多数の新種を発見し命名も。近代植物分類学の権威である。研究成果は50万点もの標本や観察記録、『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作」(Wikiから)
氏の著作「原色日本植物図鑑」(北隆館発行)を開けると、葉の形体による分類が説明されている。葉脈を種別すると網上脈など4種。形による葉の分類は6頁に渡る。そこでは糸形、針形など76種の葉の形を類別している。植物の形態学である。Tewa語ではその分類が40、とすれと「世界の牧野」には及ばない。しかし彼は「学」としての分類である、日本人が76種の葉形を区別しているなどは考えられない。小筆の知識では針葉、広葉、広葉でもカエデとイチョウは別種とわけると、あわせて5の葉形を識別する(カエデを掌状深裂、イチョウは叉状と分類されるとこの度に知った)。
牧野博士の76分別は例外で平均日本人は5、Tewa人は40。これをして日本人はTewa族に比べ形態分離能(morphologique)で劣るとは決めつけられない。生活を取りまく植物相Faunaの深さ、樹木をいかに資源として用いるかの文化の差が語彙表現」にあらわれていると解釈すべきです。

同書の挿入図から。形態学の分析手法となります。

本文に戻る、
続いて植物のles parties constitutives et les proprietes des vegetaux(主要な部位とそれに関連する性質(用途、効能など)に150の用語が用意されている。彼らの形態学の狙いとは用途を特定する為であった。続く文に;彼ら同士で(特定する為に)色々話し合っている、それらは多くが医療用途、そして食物になるかどうかだった。形態と用途の繋がりをレヴィストロースはcongruenceと規定する。聞き慣れない語の説明は後に回して、形態と用途の繋がりの多くが医療として収束するとある。
シベリア先住民の生物の部位を特定の(医療)用途に結びつける例を並べる(20頁)。例をあげると特定のクモは不妊治療。黒いフンコロガシ(狂水症)、赤イモムシ(リューマチ)、石ころを含んだ冬眠熊のクソ(おそらく頭痛)など。この種の先住民の記録を幾例か羅列しての後、以下の文で土俗療法の成り立ちを締めくくる。
>De tels exemples qu’on pourrait emprunter a toutes les regions du monde, on infererait que les especes animale et vegetales ne sont pas connues pour autant qu’elle sont utiles : elles sont decretees utiles parce qu’elles sont d’abord connues.<(21頁)
訳;世界中からこのような実践例を拾うことができよう。そこで次のように推察できる、それら動物植物が有用であると見なされてから知識に組み込まれたのではない。それらが知られていたから、有用と見なされたのである。
文の解釈に必須なるは「知られていたから有用」この論理である。
レヴィストロースはこれまで「有用であるから名を付ける」(南米Nambikwara族の毒草知識)と述べていた。有用性が先に認められて命名されたと理解される。その正反、「知られて後に有用と認められる」をここで主張している。これは混乱を催す。この正反対の謎を解くカギに「世界中」と「知る」の関連が潜む。
民族学者としてかつ哲学者として、人が知性を働かせる行為は「世界中、どの民族でも変わらない」なぜなら「人間だから」。これが出発点である。そして「こうした実践例が」世界中の現象であれば、それは歴史偶発性、地域性などを乗り越えた「知性」の動きに他ならない。クモを不妊症に熊のクソを頭痛になどの土俗療法には、それらの物質を治療に結びつける人間の「知性」がはたらくからだ、と彼は指摘している。
その知性が具体科学の華congruenceである。続く
コメント
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