>Un effort mental consubstantial a son histoire et qui ne cessera qu’avec son effacement de la scene de l’univers , lui impose d’assumer les deux evidences contradictoires dont le heurt met sa pensée en branle et , pour neutralizer leur opposition, engendre une serie illimitee d’autre distinction binaires…<
突然出てきたun effort mental,一体何だ !
直訳すればある一つの精神的努力。しかしこれでは理解不能。mentalをqui a rapport aux fonctions intellectuelles(Robert)思考的とする。すると「一つの思考努力」となる。少しは分かり易くなった。これがその歴史と同質であるのだ、この句をさらに理解するに前節(未引用)のhumanite人間社会を引っ張り出す。前節では人間社会が自然(nature)の一部として発展もすると説かれていた。この考えを進めて、humanite=histoireとして、人類歴史のなかで数多くの人々の知性活動のおかげで科学、技術が発展していった。数多くの努力の様を怜悧に、あるいは一緒くたにしてun effort mentalと規定した(metonymie換喩として形容した)。
訳;(人類の)歴史とは思考努力の賜であり、それは宇宙歴史の一シーンでもある。しかしいずれかき消される。一の思索努力が人間歴史を形成している、それは宇宙に対して必ず2の対立する状況を引き受けさせる。対立の衝撃により歴史思想は揺れ動き、この対立を中和させるため2元分別の事象が際限なく発生することになる。
写真:レヴィストロースの部屋(コレージュドフランス内)雑誌L'Hommeから。
宇宙に対立を引き受けさせるとは書き方であって、人の思考活動(effort mental)が森羅万象を2元で見ているから。この様態とは思想と形式の対峙であり、これをして構造主義となす、レヴィストロースの主張そのものです。そして彼の歴史観は「弁証法的理性批判」(サルトルへの反論、野生の思考の最終章)に詳しい。部族民通信ホームサイトでは7月31日に「弁証法的….」の表題で取り上げている。ここでサルトルの歴史観、すなわちマルクス歴史弁証法を批判して「歴史はモノではない、思想である」と述べている。それと同一線上にあると理解すれば納得がいく。
この一節でまさに彼は、構造主義による人類史観を要約した。
>…sans jamais resoudre cette antinomie premiere , ne font, a des echelles de plus en plus reduites , que la reproduire et la perpetuer : realite de l’etre que l’homme eprouve au plus profond de lui-meme comme seule capable de donner la raison et sens a ses gestes quotidiens, a sa vie morale et sentimentale, a ses choix politiques a son angagement dans le monde social et naturel, a ses conquetes scientifiques ; mais en meme temps , realite de non etre....<
引用中の fontは動詞faire行う、成すの三人称複数形。主語は前引用のr les deux evidences contradictoiresである。
訳;そもそもの矛盾(前の引用の2の対立状況)を解決せずに、スケールを縮小しながらも(対立を)再生産し、恒久的に育てる。すなわちそれが存在する(to beおよびl’etre)の実体であり、この実体は存在の奥底から、唯一の可能者として、日常の仕草や精神と感情に、また政治判断、社会野自然への参画、科学上の成果などに理由と意味づけをしている。
そしてnot to be, le non etreの世界とは....
注:to beの世界の実体。行動、選択など見知できる形式を上げ、それらに意味づけする能力がdeux evidences contradictoires 2の対立状況に潜むとした。
この語の意味するところを理解するに、もう一度構造主義の原点に戻る。
ソシュール言語学の意味論から着想を得たと膾炙されている。ソシュールは意味論にて「意味する」「意味される」の2元論を展開した。イヌを例に取ると、言葉のイヌと実体のイヌがあり、言葉のイヌは「意味する」、実体のイヌが「意味される」となる。
言語学ではこの2分で十分であるが、レヴィストロースはこれを哲学として「形式」と「思想」に分けた。
イヌの思想とは人が頭に抱くイヌで、個体としてのイヌを形式のイヌとする。イヌに限らずネコにも思想があり、社会、自由、信仰などにも形式と思想が対峙している。この対峙が構造主義である。イヌの思想を個体のイヌに紐付けする作業は思考であり、先験とカントが語る(2019年8月31日にホームサイトに自ら語る構造主義にて解説した)
続く
突然出てきたun effort mental,一体何だ !
直訳すればある一つの精神的努力。しかしこれでは理解不能。mentalをqui a rapport aux fonctions intellectuelles(Robert)思考的とする。すると「一つの思考努力」となる。少しは分かり易くなった。これがその歴史と同質であるのだ、この句をさらに理解するに前節(未引用)のhumanite人間社会を引っ張り出す。前節では人間社会が自然(nature)の一部として発展もすると説かれていた。この考えを進めて、humanite=histoireとして、人類歴史のなかで数多くの人々の知性活動のおかげで科学、技術が発展していった。数多くの努力の様を怜悧に、あるいは一緒くたにしてun effort mentalと規定した(metonymie換喩として形容した)。
訳;(人類の)歴史とは思考努力の賜であり、それは宇宙歴史の一シーンでもある。しかしいずれかき消される。一の思索努力が人間歴史を形成している、それは宇宙に対して必ず2の対立する状況を引き受けさせる。対立の衝撃により歴史思想は揺れ動き、この対立を中和させるため2元分別の事象が際限なく発生することになる。
写真:レヴィストロースの部屋(コレージュドフランス内)雑誌L'Hommeから。
宇宙に対立を引き受けさせるとは書き方であって、人の思考活動(effort mental)が森羅万象を2元で見ているから。この様態とは思想と形式の対峙であり、これをして構造主義となす、レヴィストロースの主張そのものです。そして彼の歴史観は「弁証法的理性批判」(サルトルへの反論、野生の思考の最終章)に詳しい。部族民通信ホームサイトでは7月31日に「弁証法的….」の表題で取り上げている。ここでサルトルの歴史観、すなわちマルクス歴史弁証法を批判して「歴史はモノではない、思想である」と述べている。それと同一線上にあると理解すれば納得がいく。
この一節でまさに彼は、構造主義による人類史観を要約した。
>…sans jamais resoudre cette antinomie premiere , ne font, a des echelles de plus en plus reduites , que la reproduire et la perpetuer : realite de l’etre que l’homme eprouve au plus profond de lui-meme comme seule capable de donner la raison et sens a ses gestes quotidiens, a sa vie morale et sentimentale, a ses choix politiques a son angagement dans le monde social et naturel, a ses conquetes scientifiques ; mais en meme temps , realite de non etre....<
引用中の fontは動詞faire行う、成すの三人称複数形。主語は前引用のr les deux evidences contradictoiresである。
訳;そもそもの矛盾(前の引用の2の対立状況)を解決せずに、スケールを縮小しながらも(対立を)再生産し、恒久的に育てる。すなわちそれが存在する(to beおよびl’etre)の実体であり、この実体は存在の奥底から、唯一の可能者として、日常の仕草や精神と感情に、また政治判断、社会野自然への参画、科学上の成果などに理由と意味づけをしている。
そしてnot to be, le non etreの世界とは....
注:to beの世界の実体。行動、選択など見知できる形式を上げ、それらに意味づけする能力がdeux evidences contradictoires 2の対立状況に潜むとした。
この語の意味するところを理解するに、もう一度構造主義の原点に戻る。
ソシュール言語学の意味論から着想を得たと膾炙されている。ソシュールは意味論にて「意味する」「意味される」の2元論を展開した。イヌを例に取ると、言葉のイヌと実体のイヌがあり、言葉のイヌは「意味する」、実体のイヌが「意味される」となる。
言語学ではこの2分で十分であるが、レヴィストロースはこれを哲学として「形式」と「思想」に分けた。
イヌの思想とは人が頭に抱くイヌで、個体としてのイヌを形式のイヌとする。イヌに限らずネコにも思想があり、社会、自由、信仰などにも形式と思想が対峙している。この対峙が構造主義である。イヌの思想を個体のイヌに紐付けする作業は思考であり、先験とカントが語る(2019年8月31日にホームサイトに自ら語る構造主義にて解説した)
続く