(2022年7月11日)<Si l’objet naturel, le correspondant harmonique du vivant, est reconnaissable, c’est parce que déjà sa figure se dessine. Et pour qu’elle se dessine, il faut qu’elle ait été déjà dans celui qui va s’y conjoindre> 調和ある交流を保てる対象の、そうとあるべき本来の姿を、生きる者が覚知できるのだとすれば、(人が覚知する)以前からその形は形成されていた訳で、それが形成されるためにはその者の中にすでにその姿が固定されていなければならない。<C’est le rapport de la dyade. Toute la théorie de la connaissance dans Platon>それが二重性で、プラトンの思考の根底思想となっている。(110頁)
上引用がはプラトン二重論(Dyade)のラカン解釈です。魂のみならず形体を見て確証する行為にも« la réminiscence » 想起が働く。ではキルケゴールとの繋がりとは。
<Il y a désormais le péché comme troisième terme, et c’est dans la voie de la répétition, que l’homme trouve son chemin. Voilà ce qui met justement Kierkegaard sur la voie de nos intuitions freudiennes, dans un petit livre qui s’appelle La Répétition >しかしながら(キルケゴールにおいては)第3の概念が出てくる。それが「罪」である。罪の記憶を繰り返し思い起こしながら人は生を続ける。著作「繰り返し」内容にある通り、キルケゴールはフロイトの直観と重なり合うのだ(LivreII,110頁)
キルケゴール「心に留めた記憶を思い出し、人を苛む」と伝える。思い起こしには3の過程があるとラカンは言う。文脈からそれら3を探すと第一は未達成(失敗)など後ろ向きの結果の記憶。心理学者Zeigarnikが「より長く悔みが続く、繰り返し思い出す」を証明した。第2にプラトンが説く心理の奥の前世の記憶。これは « réminiscence » 想起とされ、人は気づかなくとも精神に宿るのである。生涯に渡って彼を苛み、それと向かい合う生き様を決めつけた「罪」が3番目にあたる。己には罪が宿るとキルケゴールが受けとめたのは、父が神を呪ったと知ったから。Wikipediaからその一節を;
<ミカエル(キルケゴール父)は不遇を呪ったことから神の怒りを買ったと信じ込み、どの子供もキリストが磔刑に処せられた34歳までしか生きられないと思い=中略=七人の子供のうち五人までが34歳までに亡くなっている。己も34歳までに死ぬだろうと確信していたキルケゴールは34歳の誕生日を迎えた日を信じることができず …>
もう一つの出来事は、

キルケゴール、ネットから採取

<17歳のレギーネに求婚し彼女は受諾するのだが、一年後、彼は一方的に婚約を破棄している。婚約破棄の理由についてキェルケゴール自身、「この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである」という台詞を自身の日記に綴っている…>
2の罪と未達成が見える。
1父親が呪った罪を連鎖として己もを抱えるから34歳で死ぬはずが生き続けた、しかし罪は消えない。死は未達成のまま生を続けた。
2レギーネとの婚約。そもそも婚約が若気の無分別の罪(耽美段階での無分別行動=罪、後述)。一方的に破棄したにもかかわらず未練は残り、レギーネが結婚しても夫への気付で手紙を送る、手紙は封を切らず返送された。42歳の死で呪いの罪は浄化されるも、無分別婚約は未達成のまま生涯に残った。
罪の思い返しの様はプラトンが説く« la réminiscence » と同列であり、罪である故、繰り返し表出してはキルケゴールを苦しめる。現実原理が発動する過程は « la capture, la forme, la saisie, le jeu, la prise, le mirage, la vie » であり、キルケゴールの精神はまさにこの原理に支配されている。そして « mirage » 蜃気楼は苦しい黒い蜃気楼と変わっている。
フロイトが説くコンプレックスとこの悔悟の流れがつながる。キリスト教徒としてのキルケゴールの心情はプラトンに同調し、かつフロイト説の実証であるとラカンは指摘する。
時系列としてはキルケゴールが没した翌年(1856年)にフロイトが生まれているから、フロイトがキルケゴールの思想、行動をつぶさに分析して、現実原理に採り入れた―が妥当だが、そうした解説には(罪の実存、プラトンの想起説)部族民の寡聞かもしれぬが、ラカン以外には出会っていない。
前述したがラカンが関心をもつのは行動であってキルケゴールの思想ではない。彼の行動を精神分析の手法にかけて、その「病理」を解析するために「多感な諧謔家」を選んだのだと感じ入る。
トラウマの固定には「繰り返し」が必要とされる(フロイトの臨床報告)。キルケゴールはフロイト学説に先駆けて、繰り返し体験を「実践」していた(著作Répétitions)。Zeigarnikはその理由を「未達成」なる故とし、プラトンは前世の記憶の蘇りと語った。ラカンは何を暴くか。達成に昇華すべく未達成を繰り返しても至らない、キルケゴールの根底に「段階」があると教える。
ラカン精神分析によるキルケゴール解体 3の了(7月11日、次回は13日)
上引用がはプラトン二重論(Dyade)のラカン解釈です。魂のみならず形体を見て確証する行為にも« la réminiscence » 想起が働く。ではキルケゴールとの繋がりとは。
<Il y a désormais le péché comme troisième terme, et c’est dans la voie de la répétition, que l’homme trouve son chemin. Voilà ce qui met justement Kierkegaard sur la voie de nos intuitions freudiennes, dans un petit livre qui s’appelle La Répétition >しかしながら(キルケゴールにおいては)第3の概念が出てくる。それが「罪」である。罪の記憶を繰り返し思い起こしながら人は生を続ける。著作「繰り返し」内容にある通り、キルケゴールはフロイトの直観と重なり合うのだ(LivreII,110頁)
キルケゴール「心に留めた記憶を思い出し、人を苛む」と伝える。思い起こしには3の過程があるとラカンは言う。文脈からそれら3を探すと第一は未達成(失敗)など後ろ向きの結果の記憶。心理学者Zeigarnikが「より長く悔みが続く、繰り返し思い出す」を証明した。第2にプラトンが説く心理の奥の前世の記憶。これは « réminiscence » 想起とされ、人は気づかなくとも精神に宿るのである。生涯に渡って彼を苛み、それと向かい合う生き様を決めつけた「罪」が3番目にあたる。己には罪が宿るとキルケゴールが受けとめたのは、父が神を呪ったと知ったから。Wikipediaからその一節を;
<ミカエル(キルケゴール父)は不遇を呪ったことから神の怒りを買ったと信じ込み、どの子供もキリストが磔刑に処せられた34歳までしか生きられないと思い=中略=七人の子供のうち五人までが34歳までに亡くなっている。己も34歳までに死ぬだろうと確信していたキルケゴールは34歳の誕生日を迎えた日を信じることができず …>
もう一つの出来事は、

キルケゴール、ネットから採取

<17歳のレギーネに求婚し彼女は受諾するのだが、一年後、彼は一方的に婚約を破棄している。婚約破棄の理由についてキェルケゴール自身、「この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである」という台詞を自身の日記に綴っている…>
2の罪と未達成が見える。
1父親が呪った罪を連鎖として己もを抱えるから34歳で死ぬはずが生き続けた、しかし罪は消えない。死は未達成のまま生を続けた。
2レギーネとの婚約。そもそも婚約が若気の無分別の罪(耽美段階での無分別行動=罪、後述)。一方的に破棄したにもかかわらず未練は残り、レギーネが結婚しても夫への気付で手紙を送る、手紙は封を切らず返送された。42歳の死で呪いの罪は浄化されるも、無分別婚約は未達成のまま生涯に残った。
罪の思い返しの様はプラトンが説く« la réminiscence » と同列であり、罪である故、繰り返し表出してはキルケゴールを苦しめる。現実原理が発動する過程は « la capture, la forme, la saisie, le jeu, la prise, le mirage, la vie » であり、キルケゴールの精神はまさにこの原理に支配されている。そして « mirage » 蜃気楼は苦しい黒い蜃気楼と変わっている。
フロイトが説くコンプレックスとこの悔悟の流れがつながる。キリスト教徒としてのキルケゴールの心情はプラトンに同調し、かつフロイト説の実証であるとラカンは指摘する。
時系列としてはキルケゴールが没した翌年(1856年)にフロイトが生まれているから、フロイトがキルケゴールの思想、行動をつぶさに分析して、現実原理に採り入れた―が妥当だが、そうした解説には(罪の実存、プラトンの想起説)部族民の寡聞かもしれぬが、ラカン以外には出会っていない。
前述したがラカンが関心をもつのは行動であってキルケゴールの思想ではない。彼の行動を精神分析の手法にかけて、その「病理」を解析するために「多感な諧謔家」を選んだのだと感じ入る。
トラウマの固定には「繰り返し」が必要とされる(フロイトの臨床報告)。キルケゴールはフロイト学説に先駆けて、繰り返し体験を「実践」していた(著作Répétitions)。Zeigarnikはその理由を「未達成」なる故とし、プラトンは前世の記憶の蘇りと語った。ラカンは何を暴くか。達成に昇華すべく未達成を繰り返しても至らない、キルケゴールの根底に「段階」があると教える。
ラカン精神分析によるキルケゴール解体 3の了(7月11日、次回は13日)