(2023年1月29日)昨日は1月28日、高幡不動の初不動でした。高窓から覗く空の模様は青の快晴。初不動に参拝するのは毎年の決まりと心しているから、私は晝を早めに済ませジャンパーに腕を通しスニーカーを履いた。ドアを開けても外は寒い、散歩がてらの小一時間、くぐりを抜けて「えいや」出た。西風が頬を抜けその音まで冷たかった。
寒の内なら風も寒さも散歩の味付け、己に言い聞かせ戸を閉めた。
住まいは丘陵の急坂に屋根も傾き崩れるばかりの古屋、そんな見飽きた風景など振り返らずに外を進む。すぐの小路の下りがきつい。坂の下までを大股で稼いでそこに街道。信号を渡ると眼の前が浅川の土手堤、上面の遊歩道に立ち見下ろす河原は冬枯れススキ、川の流れは青くくねって、幾羽もの白鷺が流れ深みに嘴を黄に振るっていた。
下流に向かいしばし歩く、前から背の高い色の浅黒い男がこちらに向かってきた。面で出会うと、とある地名をぎこちない声で伝えた。行き道を尋ねている素振り。そこまでの道筋を知っている、日本人ではなさそうなこの若者に私は英語で答えた。
そして彼と分かれた。それだけの出会い。しかしここで「袖振り合うも他生の…」教えを思い出し「どこの国から」尋ねた。ネパール、「私の祖国を知っているか」と彼が尋ね返した。「もちろん」は私の返事、「ブッダが生まれた国だろ」これが要らぬお世話だった。「君はブディスト、仏教徒か」と尋ねる調子がいささか追い込む口調だった。
「ノー」、残念の眉に互いの顔が少しだけ曇った。
歩みに戻って遊歩道も終点、程なくお不動さんへ到着。

高幡不動(東京日野市)初不動の本堂前
山門を越すに手袋を外して合掌、脱帽し垂れる頭の白髪が無言で不動、いつもの決まりである。しばし直立の数秒を耐え門をくぐった。本堂前、お不動さんに祈り願う合掌の人々が溢れるばかりだった。幾重に並ぶ列の最後で本堂に向かい再度、合掌、お賽銭を投げ参道に戻り帰路の駅に向かう。
心に雑が湧いたのか、ネパール若者との会話の記憶が残ったか。ちょっとした思いがよぎった。悔みかもしれない。
「ブッダの教えの何を私が知るのか」「生きる無常、地位もつながりもすべてが無常。死に際に苦しむ膏の滴りはなお無常」参道を呟きながら足を早めた。
高幡不動駅の広場に着いた。帰りは京王線に乗って退散。
あえぐかの苦しい声が聞こえてきた。

駅前広場を俯瞰する渡来部
交番の前がエスカレータ、その内側の広場歩道にはタクシー乗り場、案内柱に挟まれる小さな隙間、男には身の置けない小さな空間の脇に小柄、華奢な方が立っていた。あえぎの発信元か。
編笠を口元までに深かぶり、黒染め小袖に絡子の袈裟懸け、足元の地下足袋は黒の灰砂まぶし。托鉢の勧進僧か、いいや編笠を藺笠と受けとればこれは虚無僧の姿、尺八を奏でているから成りも動きも虚無僧です。細身なれば女性であろう。

かつては女虚無僧が道を流していた。本投稿の虚無僧はより地味な黒染め小袖(ネット採取)。
エスカレータに乗るのを止めて立ち尽した訳は、あえぎと聞き誤った尺八の音色の、か細さに引き止められたからだった。か細くも吐くか殺すか、息の苦しさ音色に乗せる。私は引き止められた。
尺八寸の長さなら54センチ、肉厚の末端(管尻)が孟宗根本の瘤。比べてこの管は短く細く端尻が直に切れる、尺四寸ほど。籠もりを持たせる尺八寸の音色と異なり、こちらは清々しく素直に聞こえる。
足を止めて耳傾ける、目を閉じてしばし。吹きはじめの調子は変わらず、しばらくして高くそして低くなる。ピアノの鍵盤を叩けばドの次はレ、中間の高さは無い。しかし目の前の奏者は音の高低変化に連続を限りなく模している、中間の音で止まる、その中間の高さが外れ調子の不安を醸し出す。
女虚無僧を幾分かのお年寄りと思った。その年代ならば、この方は身の虚しさを感じたかもしれない。生きる虚しさか死にきれない辛さか、そんな思いがこの連続の音色に込めているのだと。なぜか涙が出てきた。去ろうとかくしを探りコインの一枚、喜捨の小箱に入れるとした。ここでもう一度「袖振り合うも…」が湧いてきた。
「話かけてよろしいですか」
演奏が止まって「はい」微かな声が編笠を抜けた。
「平素耳にする尺八の音色とは異なっているので、どのような流派なのかと」
「虚無僧です、今は廃っているのですがある方が再興しようと道場を開いて」
「聞いていて涙が出て、尋ねました。演奏をお続けください」
編笠が開いて顔が出た。白い、若い、23歳と見た。
「虚無僧の演奏は読経の代わりです、死者への引導を音にして奏でる」
ここで私は理解した、突然なぜに涙がでたのか。女虚無僧のこの調子と音色が、念仏代わりに私の死に際を予告していたからに違いない。死ぬ時にはこんな気分で死にたいと私に自覚させていたのだ。いまや死は間近、伸ばしてくれと抗える筈はない。その宿命に気づいた涙だった。
「あと5年で死を迎える者です。願いは貴女様の奏でる曲を己の心境に移して、死に際を迎えたい、それを今理解しました」
23歳うら若き女虚無僧は編笠を通して私に笑みかけてくれた。「私も涙が止められません」
かくしに指を入れより大きな硬貨を探し、あわせて喜捨箱に入れた、チリーン。
家に戻って名古屋から10歳の孫娘が電話してきた。「おじいちゃん、誕生日おめでとう」今日が76歳の誕生日であると思い出した(渡来部)。了