蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

構造人類学 Anthropologie Structurale の紹介2

2023年01月27日 | 小説
構造人類学 Anthropologie Structurale 2 人類学での構造主義 上
(2023年1月27日)Jean Pouillon(1916~2002年)。レヴィストロースの直近 にして構造主義の理解者、L’homme(レヴィストロースが参画している人類学専門誌)編集長を長年(30年ほど)努め « Le cru et le su » など著作も多く数えられる。アカデミー側にも立ち « Ecole Pratique d’Anthropologie Sociale EPRAS » 実践社会人類学教室(Ecole Pratique des Hautes Etudes実践高等学院の一部門)を立ち上げ後身の指導に力を入れた。レヴィストロース著作には時折、資料とりまとめなどで彼への感謝の文を見かける。彼の指揮で学生が物量的仕事、神話学を起草するに当たり南米神話(原資料)を集めるなどに協力した節が伺える。人柄に優れ学生達はレヴィストロースの直近への尊敬と彼個人への親しみを併せ持ち、協力したと聞く。

Pouillonは自身のレヴィストロース評が、本書の巻頭に転載されるのを願っていない、とレヴィストロースになぜ見抜かれたのか。追い打ちでもかけるかにレヴィストロースは « Je me sentirais comblé si ce livre pouvais amener d’autres lecteurs à partager ce jugement » もし(仮定法なのでそうした事態はありえないが)本書が読者を彼の見解のレヴィストロース評に導くとしたら、私は困惑してしまうだろう。

上の写真ではサルトル正面が目立つがPouillonは右に立っている。彼はサルトルと近かったが1956年(ハンガリー動乱)を境にしてLes temps modernesから離れた。アレクサンドル3世橋にてのスナップ、後方にアンバリッドが見える。Cartier-Bresson写す、ネットから。

なぜレヴィストロースが困惑するのか、
ここに修辞を読む。すなわち « elle répond admirablement à tout ce que j’ai souhaité accomplir… » この引用部「この文は見事に私がかくあれと…」(主語elleはune phraseを変則で受ける=前出)はレヴィストロースが本書に臨む心境(構造への真摯な姿勢を表している、しかし行き着いていないと自ら疑う)を見事に言い表している。あまりに言い表しが見事なので、この批評が前判断と化して読者に纏い付いたら、レヴィストロース観がそこPouillonの判断に固定されてしまう。本書の理解を妨げるかもしれない。読者にはくれぐれも白紙の立場で読んでくださいとの危惧が見えてくる。
« On y trouvera réunis dix-sept des quelque cent textes écrits depuis bientôt trente ans »
過去30年に渡り発表した百を数える作品を17に分け掲載した。
別の文節でそれら「発表小品の多くは英文専門誌への投稿であり、原英文の訳にあたり加筆し、テーマを取りまとめ17の内容(本書の章数)に色分けした」とあります.
部族民は出版された単行本のみを彼の著作と考えていた。米英系も含め学術誌へ投稿していただろうが、こうした専門性の高い論文に接近はできない。それらが過去30年で100有余と知らなかった。これらの総決算であり、また決別でもあった。より構造への思索を純化させる次段階、神話学への助走であったのだろう(部族民の推理)。
2 人類学での構造主義に入る。
« En Amérique du Sud, cette institution (ou, plus exactement, ce schème d’organisation) représente un élément commun à plusieurs sociétés, qui comprennent les plus primitives comme le plus avancées, avec toute une série d’intermédiaires » (127頁)
南アメリカではこの制度は、より正しく云えば組織の図表(スキーム)となるのだが、未開な社会から最も開化している多くの部族社会に共通す要素を表現するものとなる。
ここに語る「制度」は南米先住民に広く分布する « organisation dualiste » (部族社会の)二重組織を指す。一の村落が2の部(あるいは支族)に分かれ婚姻、祭儀遂行、狩猟の段取りなどを分かち合う制度で、「悲しき熱帯」Bororo族村落(Tsugare、Ceraに分かれる)の描写にその典型が読み取れる。
一旦はこれを « institution » であるとしたが正確を帰せばそれは « schème » なのだと訂正を入れた。ではスキーム « schème » の意味は


Shème としてのBororo村落2重構造


レヴィストロースの調査による実際のBororo村。悲しき熱帯の図版をデジカメ。

Kantの用語―Représentation qui est l’intermédiaire entre les phénomènes perçus par le sens et les catégories de l’entendement (Robertから) 感覚が認める事象と思考が定める範疇を結びつける表象。

« schème » を « institution » との対比で用いている。 « institution » は「設立されている」「実際に存在している制度」など目に見える「モノ」に属す。対比するcatégorieの訳に「範疇」を用いたが(哲学での使い方は)概念がより近い。概念とは思想であって感覚がそれを覗くことは不可。レヴィストロースはここでの « schème » の意味合いにKant用法を借り入れているから、上文の理解は「各部族、村落で認められる二分制度は実際にそこに存在するモノであるが、それらはモノとして変異を顕にしている(様々な形体がありうる)。それら偏倚を結びつける範疇とは概念であり、これは思想に属する。南米族民の二分制度とは実態ではなく概念が君臨していると言えよう。
形体を決定するのが思想である「概念」である。構造主義の理念に一歩近づいた。
構造人類学 Anthropologie Structurale 2の了 続く
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