(2023年2月22日)中央の柱 、左右端の結界を結びつける位置を占める。これをして « intermédiaire » 仲介役とする。柱内ではいくつかの出来事が発生しそれが仲介役そのものとなる、分かり難いが北米Pueblo族の神話と対比すれば理解が速まる。北米では対極へ展開する仲介役を人物(動物)が具体的に担う。例えばトリックスター(狂言回し)、アッシュボーイ(灰担ぎ少年)など。ギリシャ神話では出来事が仲介する。自覚なくも主役は他結界に囚われる。
章題(La structure des mythes神話の構造)の頁、フランツボアズ(ドイツ系アメリカ民族学者)の言葉。神話の宇宙はかろうじて形を残すものの、粉々に粉砕されている。新たな神話宇宙はその破片から生まれ出る。
左2列目の柱 ; 地から湧き出た兵士達(スパルトイ)は互いに殺し合い5人だけが生き残る。テーベを建設するカドモスに協力する。地から湧き出る戦士とはまさに男の大地生まれを地で行く。殺し合う行為が何を意味するかは不明だが、神話とはそのような筋立てを採る。エディプスは父ライオスを殺す。ポリュネイケースは兄エテオクレースに殺される。これら出来事は「近親関係の近すぎ」を補完し「母から生まれ」を肯定する。
出来事の流れが水平、縦は因果、一の出来事を終えると次が勝ち構える。斜めの破線はカドモス(左から右)の冒険譚、エディプスは右から左。
右2列目の柱 ; 大地生まれの障害となる怪物を殺し、男の大地出自を推進する試練と見ている。狂言回しを演じる怪物(ドラゴン、スパルトイ、スフィンクス)は大地との関連が指摘される。右端柱との関連は « Le trait commun de la quatrième colonne pourrait être la persistance de l’autochtonie humaine. Il en résulterait que la quatrième colonne entretient le même rapport avec la colonne 3 que la colonne 1 avec la colonne 2 » これらに共通の特質は人は大地から生まれるなる主張であろう。第一と第二柱(左端と隣)に認められる補完関係がここにも探せるのである。
縦の展開を因果としたが、その意味するところは ; カドモスは近親(妹)との再度の接触を望むが諦める。「もう探すのは止める」と空に漏らした途端、ゼウスの差し金でテーバイ建設に導かれる。近すぎる近親関係からの忌避がカドモスを男の大地生まれ側に向ける。最後には大地に帰る(洞穴の蛇に変身する)。その因果の正逆がエディプスのたどる流れ。養われた王家を出奔して父を殺し…これらの流れはすべてエディプスを生まれ母に戻す仲介を演じる。
神のお告げと人の宿命、相容れない結界に両人とも導かれている。挙げ句 迎える結末はいずれも悲劇。目前の課題に対処し良かれと信じる行動を採るが、宿命が待ち構える、これがギリシャ悲劇の典型です。
レヴィストロースの神話の分析はいくつもの異聞 (variantes) を取り込み、総体として神話を囲い込むにほかならない。「元々の筋、オリジナル版は一体どのようになるのか」に拘泥しない。 « le mythe reste mythe aussi longtemps qu’il est perçu comme tel » 永く語られるままに神話は神話としてあった。Œdipe神話が今も語られるとしたら、古代ギリシャのソフォクレスと、今様の説明を重ね合わせることが可能となる。ここからレヴィストロース独自の神話展開が加速する。
« Ce principe est bien illustré par notre interprétation du mythe d’Œdipe qui peut s’appuyer sur la formation freudienne, et lui est certainement applicable. Le problème posé par Freud en termes « œdipiens » n’est sans doute plus celui d’alternative entre autochtonie et reproduction bi-sexuée » (240頁)これを基本とすると我々のエディプス神話解釈(人の生まれは砂の芥か女の股か=部族民注)はフロイトの説明と重なり合うし、きっとそれ(基本)は応用可能であろう。さらにはフロイトが「エディプスコンプレックス」として提唱した課題は、もはや砂か女かを超えている。
« Mais il s’agit toujours comprendre comment un peut naître de deux : comment se fait-il que nous n’ayons pas un seul géniteur, mais une mère, et un père en plus ? » (同)一人男がなぜ二人から生まれるのか、それを如何にして理解するか、一人の種ではなく母と父の種で生まれるかーなぜそんなことが起こるのかが課題なのだ。
« Nait-on d’un seul, ou bien de deux ? ― et le problème dérivé qu’on peut approximativement formuler : le même naît-il du même, ou de l’autre ? » (239頁)人は一人から生まれるのか、二人からか。この問題は絶妙の近似具合で以下に公式化される、人は己から生まれるのか、他者からか?
« On n’hésitera pas donc à ranger Freud, après Sophocle, au nombre de nos source du mythe d’Œdipe » エデイプス神話の資料としてソフォクレスに続いてフロイトを採り上げる、ここに躊躇はないと思うが。(240頁)
砂の芥から這い出ても、女の股から生まれても男は居場所を探せない。居場所あやふやは男の出自の不確かさに由来する。ソフォクレスが語ったエディプスの、眼を潰して彷徨いつ命の絶える哀れの様は永く人に語り継がれた。フロイトは男の願いと現実の落差の出どころが、生まれにまつわる呪いのまぐわい、父という名の他人男が介在する命の仕組みだと教えた。母を知るに父は要らない。父を否定し母を追う、その時にはもう罪が発生する。男の居場所は罪の中か享楽か、エディプス神話は今も語られる。
Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 下の了(2月22日)
追:神話の構造下のYoutube化を予定。またPueblo神話との対比も近々、乞うご期待(渡来部)。
章題(La structure des mythes神話の構造)の頁、フランツボアズ(ドイツ系アメリカ民族学者)の言葉。神話の宇宙はかろうじて形を残すものの、粉々に粉砕されている。新たな神話宇宙はその破片から生まれ出る。
左2列目の柱 ; 地から湧き出た兵士達(スパルトイ)は互いに殺し合い5人だけが生き残る。テーベを建設するカドモスに協力する。地から湧き出る戦士とはまさに男の大地生まれを地で行く。殺し合う行為が何を意味するかは不明だが、神話とはそのような筋立てを採る。エディプスは父ライオスを殺す。ポリュネイケースは兄エテオクレースに殺される。これら出来事は「近親関係の近すぎ」を補完し「母から生まれ」を肯定する。
出来事の流れが水平、縦は因果、一の出来事を終えると次が勝ち構える。斜めの破線はカドモス(左から右)の冒険譚、エディプスは右から左。
右2列目の柱 ; 大地生まれの障害となる怪物を殺し、男の大地出自を推進する試練と見ている。狂言回しを演じる怪物(ドラゴン、スパルトイ、スフィンクス)は大地との関連が指摘される。右端柱との関連は « Le trait commun de la quatrième colonne pourrait être la persistance de l’autochtonie humaine. Il en résulterait que la quatrième colonne entretient le même rapport avec la colonne 3 que la colonne 1 avec la colonne 2 » これらに共通の特質は人は大地から生まれるなる主張であろう。第一と第二柱(左端と隣)に認められる補完関係がここにも探せるのである。
縦の展開を因果としたが、その意味するところは ; カドモスは近親(妹)との再度の接触を望むが諦める。「もう探すのは止める」と空に漏らした途端、ゼウスの差し金でテーバイ建設に導かれる。近すぎる近親関係からの忌避がカドモスを男の大地生まれ側に向ける。最後には大地に帰る(洞穴の蛇に変身する)。その因果の正逆がエディプスのたどる流れ。養われた王家を出奔して父を殺し…これらの流れはすべてエディプスを生まれ母に戻す仲介を演じる。
神のお告げと人の宿命、相容れない結界に両人とも導かれている。挙げ句 迎える結末はいずれも悲劇。目前の課題に対処し良かれと信じる行動を採るが、宿命が待ち構える、これがギリシャ悲劇の典型です。
レヴィストロースの神話の分析はいくつもの異聞 (variantes) を取り込み、総体として神話を囲い込むにほかならない。「元々の筋、オリジナル版は一体どのようになるのか」に拘泥しない。 « le mythe reste mythe aussi longtemps qu’il est perçu comme tel » 永く語られるままに神話は神話としてあった。Œdipe神話が今も語られるとしたら、古代ギリシャのソフォクレスと、今様の説明を重ね合わせることが可能となる。ここからレヴィストロース独自の神話展開が加速する。
« Ce principe est bien illustré par notre interprétation du mythe d’Œdipe qui peut s’appuyer sur la formation freudienne, et lui est certainement applicable. Le problème posé par Freud en termes « œdipiens » n’est sans doute plus celui d’alternative entre autochtonie et reproduction bi-sexuée » (240頁)これを基本とすると我々のエディプス神話解釈(人の生まれは砂の芥か女の股か=部族民注)はフロイトの説明と重なり合うし、きっとそれ(基本)は応用可能であろう。さらにはフロイトが「エディプスコンプレックス」として提唱した課題は、もはや砂か女かを超えている。
« Mais il s’agit toujours comprendre comment un peut naître de deux : comment se fait-il que nous n’ayons pas un seul géniteur, mais une mère, et un père en plus ? » (同)一人男がなぜ二人から生まれるのか、それを如何にして理解するか、一人の種ではなく母と父の種で生まれるかーなぜそんなことが起こるのかが課題なのだ。
« Nait-on d’un seul, ou bien de deux ? ― et le problème dérivé qu’on peut approximativement formuler : le même naît-il du même, ou de l’autre ? » (239頁)人は一人から生まれるのか、二人からか。この問題は絶妙の近似具合で以下に公式化される、人は己から生まれるのか、他者からか?
« On n’hésitera pas donc à ranger Freud, après Sophocle, au nombre de nos source du mythe d’Œdipe » エデイプス神話の資料としてソフォクレスに続いてフロイトを採り上げる、ここに躊躇はないと思うが。(240頁)
砂の芥から這い出ても、女の股から生まれても男は居場所を探せない。居場所あやふやは男の出自の不確かさに由来する。ソフォクレスが語ったエディプスの、眼を潰して彷徨いつ命の絶える哀れの様は永く人に語り継がれた。フロイトは男の願いと現実の落差の出どころが、生まれにまつわる呪いのまぐわい、父という名の他人男が介在する命の仕組みだと教えた。母を知るに父は要らない。父を否定し母を追う、その時にはもう罪が発生する。男の居場所は罪の中か享楽か、エディプス神話は今も語られる。
Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 下の了(2月22日)
追:神話の構造下のYoutube化を予定。またPueblo神話との対比も近々、乞うご期待(渡来部)。