蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話の構造Pueblo族のエディプス神話 中

2023年03月10日 | 小説
(2023年3月10日) Œdipe神話は個(英雄)が活動する。登場する人物素材 « propriétés » は個性有し目的を持って行動する。冒険をかいくぐるも結果は悲劇、責を追うのは個である。北米神話は族民が全体として行動する。彼らが受ける受難と結末は族民に覆いかぶさるわけで、これが人類の宿命、宇宙論として訴えかける。個としての行為はギリシャ神話において深く、宇宙尺度での人類論は北米神話でより広い―と言えそうだ。以上は見えている神話の実際(構造)での類似、相違での比較である(図を参照)。


上図開設は下段

(本筋からずれるが人間社会には「超個体」なる実体が、偶発的に発生するとの説を読み知った=Superorganism、B・ヘルドブラーら=困難に直面した集団において、構成員は立ち向かうため自己認識を集団に融合させる、結果として集団は個体として活動する。神話を形成し伝播させる族民の活動に超個体が認められるー言い過ぎではないだろう)
レヴィストロースは見えない部分、それを思想とするかスキーム訴えかけ « schème » の範囲であろうか、この比較を「形而上的」説明で展開している。このあたりを読もう(本書239~240頁)。
ここでの文体はモロ哲学というか修辞法の塊か、凝ったこねくり回し難文の連なりなので理解に週日を要した。Œdipe神話、その構造の4の柱に戻ってこれを基準点と標し、この手順を北米神話にも応用せむと決めた。
Œdipe(エディプス)神話に戻ると英雄(カドモスとエディプス)は左右の結界いずれかの生まれ、対極する世界に向かう。試練 « mésaventure » に遭遇する。英知と勇猛さを武器にしてを乗り切るのだが、その乗り越える過程が神のお告げを具現するしている。対極する結界は「相容れない、正反対contradictoire」の性格を持つ。Pueblo神話にもこの「対極」の思想は色濃く流れる。
思索をまとめている本文に入る ;
« Que signifierait donc mythe d’Œdipe ainsi interprété à l’américaine. Il exprimerait l’impossibilité où se trouve une société qui professe de croire à l’autochtonie de l’homme de passer, de cette théorie, à la reconnaissance du fait que chacun de nous est réellement né de l’union d’un homme et d’une femme. La difficulté est insurmontable » (page deux cent trente-neuf)
アメリカ風に翻訳されたエディプス神話は何を伝えかけるのか。男の生まれは大地からと信じる社会には、この論理を乗り越え我々の誰もが一人の女と男の結合から生まれ出る、との(現実に対処する)認識にたどり着かないであろう。乗り越えられない困難がここに横たわる。
部族民(渡来部) : 男は大地から生まれるーを伝承する社会が古代ギリシャと北米に見つかった。しかし女から生まれる現実をヒトは目の前にする。それを否定し逃れようと彷徨し、苦難試練の最果てに古代ギリシャも北米先住民も悲劇を迎える。(Œdipe 神話では母と交合、Pueblo族神話では水平婚(たわけ)兄妹の近親姦。いずれも近すぎる近親関係の世界に迷い込む)。大地説と女から現実は「対極」で相反するものだが、それをなんとか交流させる手段、両極の中に2の柱を設け仲介とする筋立て類似は偶然ではないはずだ。
« Mais le mythe d’Œdipe offre une sorte d’instrument logique qui permet de jeter un pont entre le problème initial ―naît-on d’un seul, ou bien de deux ? ― et le problème dérivé qu’on peut approximativement formuler : le même naît-il du même, ou de l’autre ? »
« Par ce moyen, une corrélation se dégage : la sur-évaluation de la parenté de sang est, à la sous-évaluation de celle-ci, comme l’effort pour échapper à l’autochtonie est à l’impossibilité d’y réussir »
しかし視点を替えればエディプス神話が、解き明かしの論理手段を提供してくれる。そもそもの問題点は(人は「大地からか女か」ではない)一人で生まれるのか二人からか。これを起点として浮かび上がる次の提題は「個は己から生まれるのか、他者から生まれるのか」。これが2問題を結ぶ架け橋(pont)となり、現実に立ち向かう困難を解決できる策を与えてくれる。
この進め方を採ることでとある連関性が浮かび上がる。緊密すぎる血縁関係と疎遠な血縁関係を向き合わせ見ると、男の大地生まれ(の信仰)から抜け出ようとする努力が、それなど達成できるはずのない不可能さ、に対峙すると同じである。
部族民 : ヒトの生まれは己からか、他者から生まれるのかに行き着く。Œdipe神話のフロイト解釈では一人で(己から)生まれる。Pueblo神話では「族民」は地底に住む惨めな「己」が地上に上った。自己に成るべく(ヒトらしき姿に生まれ変わるために)試練を経る。足の腫れたエディプスと地底の惨めなZuni族、試練を乗り越えても神託通り身をやつしたエディプスがヒト姿に昇華したZuni族と対極に重なる。


図はエディプス神話とプエブロ神話の比較
○はヒトの生誕、地の底。斜め破線は異界に彷徨い込む経路、仲介を経る。

神話の構造Pueblo族のエディプス神話 中 の了 (3月10日)
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