(2023年3月21日)昨日20日にプエブロ族神話(下)をYoutubeに投稿しました。ヒトは己から生まれるのか « le même naît-il du même » 、あるいは他者(両性の交合) « ou bien de deux » から生まれるのかの名句(構造人類学の240頁)に私感を挿む場面を設けました(動画の最後半)。
このあたりを説明すると ;
両の神話(Œdipe神話とPueblo族神話)に共通する対極構造(理論と現実)を抽出して、理論(cosmologie)には「ヒトは大地から、一人で、己から生まれる」を挙げ、その対極に現実(réalité)を置いて、そこでの信条は「ヒトは女の股から、父を持ち、すなわち他人から」生まれるを挙げた。ここまではこれまでの説明で前置きです(スライド1)。
上のスライドは再出。
Cosmologie側の機動因は何か?現実と対極なので「超自然」と考え、つまるところ神、バイブルに行き着いた。これで説明がつく。ヒトは生まれる前にしてすでにヒトである。生まれるとは胚として子宮に宿る瞬間を(耶蘇教は)いうが、その前にすでにヒトとしての私とかあなたはこの世に居る。どこに居るかは知らぬが、胎児以前のヒトとは超自然、神としても不自然ではない、が造っていた。すべてのヒトは己の性状を「母からも父からも」受け継がず、超自然の力を借りて、己で造った。スライドの右世界がヒトは己から生まれる宇宙論となります。(スライド2=新たなスライド、本ブログのみの掲載)
宇宙論側の機動因を神のヒト創造とした。バイブル世界。左側は生物学の世界。
スライド左世界は生物学の現実でヒトは「女から、両性で、他人から」生まれる世界です。これをしてダーウィンとクリック(DNA二重螺旋の発見者)の世界としました。
この解釈、とくに右世界、神の世界には無理が残る。レヴィストロースは無神論者です。無神論者がなぜ神のヒト創造を語るのか。無神論だが採り上げている古代ギリシャやプエブロ族は有神の民族。彼らの有神論世界を解説した―なる答えはあり得るが、それは取り置き準備していた感がまとわり、かつ優等生的で面白くない。無神論ながらヒトは己から生まれる。この解を探さなければスライドの左世界の説明が中途半端で終わるしかし、ヒトが子宮で育ち生まれ落ちてもその児が生物学的にヒトであると分かっても、「己を持つヒト」なのかの疑問は残る。
――にしばらく考えていこうと思う次第です、雑感として(渡来部)。
このあたりを説明すると ;
両の神話(Œdipe神話とPueblo族神話)に共通する対極構造(理論と現実)を抽出して、理論(cosmologie)には「ヒトは大地から、一人で、己から生まれる」を挙げ、その対極に現実(réalité)を置いて、そこでの信条は「ヒトは女の股から、父を持ち、すなわち他人から」生まれるを挙げた。ここまではこれまでの説明で前置きです(スライド1)。
上のスライドは再出。
Cosmologie側の機動因は何か?現実と対極なので「超自然」と考え、つまるところ神、バイブルに行き着いた。これで説明がつく。ヒトは生まれる前にしてすでにヒトである。生まれるとは胚として子宮に宿る瞬間を(耶蘇教は)いうが、その前にすでにヒトとしての私とかあなたはこの世に居る。どこに居るかは知らぬが、胎児以前のヒトとは超自然、神としても不自然ではない、が造っていた。すべてのヒトは己の性状を「母からも父からも」受け継がず、超自然の力を借りて、己で造った。スライドの右世界がヒトは己から生まれる宇宙論となります。(スライド2=新たなスライド、本ブログのみの掲載)
宇宙論側の機動因を神のヒト創造とした。バイブル世界。左側は生物学の世界。
スライド左世界は生物学の現実でヒトは「女から、両性で、他人から」生まれる世界です。これをしてダーウィンとクリック(DNA二重螺旋の発見者)の世界としました。
この解釈、とくに右世界、神の世界には無理が残る。レヴィストロースは無神論者です。無神論者がなぜ神のヒト創造を語るのか。無神論だが採り上げている古代ギリシャやプエブロ族は有神の民族。彼らの有神論世界を解説した―なる答えはあり得るが、それは取り置き準備していた感がまとわり、かつ優等生的で面白くない。無神論ながらヒトは己から生まれる。この解を探さなければスライドの左世界の説明が中途半端で終わるしかし、ヒトが子宮で育ち生まれ落ちてもその児が生物学的にヒトであると分かっても、「己を持つヒト」なのかの疑問は残る。
――にしばらく考えていこうと思う次第です、雑感として(渡来部)。