蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Le rôle du philosophe 哲学者の役割 (Le Magazine Littéraire 1985年12月号より)上

2023年09月13日 | 小説
(2023年9月13日)レヴィストロースが表題についてインタビューを受け、回答をまとめた雑誌の記事。内容がいたく興味深く紹介する。(年月は少々古いが科学史、哲学史、野生の思考との絡まりが記されている。レヴィストロースの現代認識を読める)
(御歳76、現役は退いていたがかくしゃく論理整然)科学全盛の今の時代、哲学の存在価値をレヴィストロースが述べている。「哲学が廃れたのは一時の(アンチ科学の)哲学がもてはやされたからだ。今こそ、科学分野での知見を取り入れ、新たな役割を担うべき」が趣旨。


雑誌記事、写しなので不鮮明をご容赦


出だしは:La philosophie, son rapport avec les sciences: la question m'apparaît fondamentale, et pourtant je me trouve bien embarrassé pour en parler. Il y a chez moi trop d'aspects biographiques qui interfèrent avec elle. Ainsi le fait que j'ai été professeur de philosophie et que je me suis dégoûté de sa pratique parce que, à l'époque, les choix se limitaient à trois orientations dont aucune ne convenait vraiment »
哲学、科学との関係、私には根源的な質問となる。それを語るに戸惑いを覚える。哲学との関わり合いは私の人生そのものでもある。関わり合いを第一期、二期に分けている。一期は(文脈から類推するに)哲学教授資格agrégationを取得した(1931年22歳)から南米先住民の調査、アメリカ亡命をへて帰国まで(1945年)。この時期の姿勢は; « je me suis dégouté de sa pratique, parce que les choix se limitaient à trois directions »
あの時期には哲学には3の選択しか採れなかった。
« philosophie fixée sur des abstractions, une autre fixée sur moi et l’expérience intime, ou bien une troisième, une vaste expérience humaine et en fait la mutilait »
1 抽象観念を弄ぶ哲学に携わる(哲学者の道、カッコは訳者)
2 自身の内面から思考する道(思索家の方向)
3 人間として幅広く経験を得る、しかし哲学実践を台無しにしてしまう。
この選択は実業家政治家となって幅広く社会で活躍する道だろうか。実際、彼は政治家を志した。議員に当選しいずれ大臣を目指す同僚を羨む気持ちを隠していない(悲しき熱帯)。3のいずれも選ばず民族学を指向してサンパウロ大学社会学教授の席を得た。悲しき熱帯の「旅の始まり章」に詳しい。
第二期を, 亡命から戻って、戦後の活動期とすれば1947年(親族の基本構造)~70年(神話4部作の最終裸の男homme nu出版)23年の間である。何が起こったのか。
« j’ai traversé une seconde période, que je qualifierai de résistance à la philosophie lors de l’existentialisme » 第2期に入った。それは実存主義が勃興した、その反抗であった。
« j’ai adopté une attitude polémique vis-à-vis de ses conceptions parce que j’estimais qu’elles étaient une manière de poser les problèmes qui tournait trop radicalement le dos à la scientifique »
訳;(前文:サルトルの考え方には尊敬と敬服>を抱くものの)彼の考えを前にすると論争の姿勢をとってしまう。なぜなら、それら考えは科学的思考にたいして、突如、背を向けてしまう大問題を提起していたのだから。
なぜ実存主義が反科学となるのか。その思想に由来する。「存在は思考に先立つ、思考は存在に規定される」、存在を経験して人は思考を形成でき、自由を獲得する。突き詰めると人の知は世界(存在)に規定される。この仕組では人は世界(自然科学も人文科学も)を学べない。
この記事の主題副題の3題のうち2題、それが「哲学者の選択、実存主義への反発」が前段として記されている。彼は「私は抽象論に立脚する哲学者ではない」「実存主義が哲学と科学の関係を破壊した」これらが前段の伝えかけ。
ここから「哲学者の役割」本論に入る。
« Je conviens qu'elle fut l'attitude d'un moment, mais je persiste à penser qu’elle a été nécessaire. Je crois convenable que la philosophie retrouve un rôle et une place, à condition qu’elle accepte de prendre en compte ce qui est obtenu, et dans les sciences physiques, et dans les sciences naturelles, et dans les sciences humaines » 実存主義への論戦(elle=attitude polémique)は一時の対応だと思う。でもその姿勢は必要だった。今に至り、哲学は役割と居場所を見つけられる。その条件は物理学、自然科学、人文科学で、この間、何が取得されたか、知識に入れる必要がある。
ここで、
レヴィストロースは科学が獲得した何か(ce)を単数にしている。その主体である物理学も自然科学複数である。色々な科学が何か一つのモノを獲得したとしている。
Le rôle du philosophe 哲学者の役割 (Le Magazine Littéraire 1985年12月号より)上 了
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