蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Le rôle du philosophe 哲学者の役割 (Le Magazine Littéraire 1985年12月号より)下

2023年09月14日 | 小説
« Car, aussi en avance que soit la réflexion scientifique sur la réflexion philosophique traditionnelle, à chaque pas elle nous pose de gigantesques problèmes, d'immenses interrogations, et nous ne pouvons évidemment pas nous croiser les bras en espérant que cela se résoudra tout seul » 自然科学の省察と伝統的哲学の思考を重ね比べる前に、哲学の思考は巨魁なる問題と責め苦で我々を抑え込んでいる。そんな問題などは自然と解決すると思い込んで腕組み油断して、歩みを止めてはならないのだ。
伝統哲学が、今に孕む問題と質問責めの巨魁さとは何か、レヴィストロースは語らない。この当時(1985年)そのような論議が公に交わされていたかと思う。それが何かは想像するしかない。前引用で幾つもの自然科学はある一つの成果を獲得した。そして哲学が孕む巨魁な問題は複数、対比するとレヴィストロースの心情が理解できる。
物理学、自然科学、人文科学で「ある一つの何が取得され、何なのか」を哲学が知らねばならぬ、心情理解の鍵はここにある。
20世紀の自然科学成果は何か?宇宙論、分子生物学でしょうか。アインシュタインの相対性理論、クリックらのDNA二重螺旋の発見を(部族民は)想定します。人文科学はどの分野がその何かを獲得したのか。フロイトの精神二重構造か、いや、ここでは割り切って「構造主義」としましょう。なぜって本人が喋っているから。しかし彼の口から、構造主義は20世紀の大発見と大見得を切るわけにはいきません。彼は慎み深い « discret » なので。
自然科学が20世紀で体得した何か、ここの発見を上記したが、それらを統一する何かは?コペルニクス、ニュートン、ダーウイン以来の近代科学の「直進先鋭的発展」を考えている。
ニュートンに対するアインシュタイン、ダーウインに対するクリック、これら対峙を見るにつけ「直進先鋭」に理解が至るかと思います。自然科学の20世紀運動系はまさに先鋭のベクトルでした。ここに哲学の位置はなかった。
ここまでの流れを意訳する ;
哲学教授だったが人類学を志向した。哲学が実存主義で袋小路にさまよい込んだ、サルトル批判を展開した。しかし科学は発展を続け哲学は停滞するままだ。哲学が袋小路を抜け出る選択は :
1 (デカルト・カントを超える)哲学理論を打ち出す。それは相対性理論やDNAを裏打ちする形而上的展開です。なぜ異なる場で個別の現象に相対性があるのか、4の塩基が200~2000に螺旋に二重絡みすると無限の遺伝可能性が、なぜ生まれるのかー形而上での根拠です。
2 野生の思考 (Pensée Sauvage) で近代科学なる範疇を開示した。それまでの具体科学(Science du concret)から抜け出し、属性分解の手法で天文学、物理学、生物学が確固たる分野を築いた。哲学は近代科学の形成に十分協力した。デカルト、カントの功績が挙げられる。 しかしその後、哲学は足踏して自然科学は長足の進歩を見せた。
3 今や(科学者から)哲学は相手にされない。


DNAの二重螺旋発見(1953年)はダーウイン生物学の鋭角的発展であろう。写真は右クリックが同時発見者のワトソンに二重構造を指しているところ。クリックは研究室では常に大声で喋り続けていた。紙に数式をノートしている間も、数式に話しかけていた。数学の天才で同僚が3年かかっても数式解を探せない(気象学的)課題を、相談を受けたその場で、スラスラと数式を書き連ねた。彼らの発見に結びつく資料は、女流X線解析家のロザリンド・フランクリンが秘匿していた「遺伝子」X線写真。これを垣間見た(盗み見た)。フランクリンはノーベル賞(1962年)発表前に死亡した。哲学はクリックに後押ししていない、数式は大いに助けた。

« Il faut convenir que s'il y a eu par le passé un primat de la philosophie, celui-ci aujourd'hui n'est plus imaginable. Désormais, la science a une fonction métaphysique beaucoup plus efficace que n'importe quelle philosophie. Non seulement elle accroit notre champ de connaissances, mais dans cet effort d'accroissement elle nous fait aussi comprendre que notre connaissance a des limites. Il nous fait aussi comprendre que notre connaissance avait des limites » かつては哲学が主役、女プリマ歌手だった。今は想像するに能わない。以来、形而上思考を(人に)与える役目を担い、いかなる哲学よりも科学は有効です。我々の知識の領域を広めるのみならず、我々の知識には限界が控えると教えてくれる。
« Finalement la philosophie. Je dirais ceci de son rôle : comme les leçons de la science ne sont pas formulées par les savants, c'est donc à elle qu'il incombe de se pencher sur le matériau, de suivre patiemment son évolution et d'en tirer tous les enseignements qu'il contient. En ce sens, le philosophe devient un interprète.
最後に哲学に申す。その役割とは、以下を伝えたい。(自然)科学から学んだ事柄を哲学者が体系付けしていない。故に、哲学そのものが素材(自然科学などの成果)に向かい合う必要に迫られている。素材を辛抱強く追い、素材が内包する教え全てを引き出す。この意味において哲学者は(科学と形而上の)仲介役(interprète)になる。
デカルト・カントの逆張り、哲学が森羅を翻訳する、それがないと哲学は廃れる。 
Le rôle du philosophe 哲学者の役割 (Le Magazine Littéraire 1985年12月号より)下 の了
(2023年9月15日)
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