(2024年1月24日)親族の基本構造 Les structures élémentaires de la parenté最終章Conclusionの最終節の主題はバベル以前には世は « Bonheur primitif » 幸福に満たされた黄金時代であった。今も人々は、掴もうとしてもするりと逃げてしまうその原初幸福を夢見ている。レヴィストロースが説く黄金時代とは何かを探る。
親族の基本構造の最終章、結語 « Conclusion »の最終文節を引用する :
« Jusqu'à nos jours, l'humanité a rêvé de saisir et de fixer cet instant fugitif où il fut permis de croire qu'on pouvait ruser avec la loi d'échange, gagner sans perdre, jouir sans partager. Aux bouts du monde, aux deux extrémités du temps, le mythe sumérien de l'âge d'or et le mythe andaman de la vie future se répandent : l'un plaçant la fin du bonheur primitif au moment où la confusion des langues a fait des mots la chose du tous ; l'autre décrivant la béatitude de l’au-delà comme un ciel où les femmes ne seront plus échangées ; c'est-à-dire rejetant dans un futur ou dans un passé également hors d'atteinte, la douceur, éternellement déniée à l'homme social, d'un monde où l'on pouvait vivre entre soi » (同書569頁)
今の我々の世にまでも人類は幻の刹那を追いかけてきた。その世界では交換の法則に細工を加え、失わず得る共有せずとも享楽を得る仕組みを、人は夢を見ていた。両に分かれる世界の果て時の隔たり、黄金伝説のシュメール神話とアンダマン島原住民の世の終わり神話は、合い重なり合う。一方は言語の混乱が言葉をして物事すべてを形成したために、原初の幸福の終焉を悟る。もう一方は久遠の空の果にある至福を語る、そこではもはや女達は交換の対象ではない。その意味は、人が己のみで暮らす甘さを、過去でも未来にでも、待ち望むことなどありえない来世に託したのだ。今生きる者共にはその幻想など永遠に否定されているのだから。

日野市(南平近辺)の散歩カメラ。高圧鉄塔が夕日に映えていた

拙訳を読んでもレヴィストロースが伝えむとする主張は理解できないかと思う。意訳を試みる前に文章を解析すると:
1 黄金の世界の伝承、一方はシュール神話、片方はアンダマン島先住民の言い伝え。「失わず得る」「分け合わずに享受する」。 « Loi d’échange » 交換の原則、貰うには与えるの意味だが、それを真っ向から否定する。そんな身勝手がまかり通った時期で、それを黄金 « l’âge d’or » としている。
2 原初の幸福 « le bonheur primitif » (引用文中)時代であったとも指摘してる。その幸福が、「言語の混乱」によってもたらされた不幸な事態、言葉 « des mots » をしてあらゆる事象が物に置き換えられた瞬間を迎え、終わりを告げた。
3 言語の混乱の実態は、本章でその語が前出しているから、バベルの塔伝説に他ならない。空にも届く塔を建設し、神の世界に入り込むとした人の傲岸さに怒った神は人々の関係に差金を入れ会話が成立しなくなった。後ろ向きの教訓を伝える説話として語られる。
4 レヴィストロースは当初の混乱を乗り越えて、より精緻な言葉遣いを物にした、それが「言葉 をしてあらゆる事象を物に置き換えた」の意味合い。人類の歴史を評価している。
5 この解釈を起点として本章の伝えかけを解明したい。鍵となる組み合わせの概念は黄金期対鉄期、会話の絶対成立対不成立、女と婚姻制度、財と交換―が挙げられる。なおアンダマン島先住民の黄金期「婚姻制度は無い、男は一人で暗黒の宙に浮いている」については本文の最後に言及する。
意訳:太古の世界では交換の原則など知られていなかった、故に「失わず得る共有せず享楽を得る」時代であった。この黄金時代はバベルの塔の失敗で霧消した。言語混乱の帰結として、「物事すべてが言葉で言い換えられる」時代になった。言語が分散化して、一層機能が強固になった。実はアンダマン島原住民の世の終わり神話は、バベル伝説と合い重なり合う。久遠の空の果にある至福を彼らは語る。もう女を交換しない、己達だけで生きる。バベル以前の世界が(女の)交換など無視している、この意味で重なり合うとしている。
本書の結語Conclusionの結論である。どのようにしてレヴィストロースはこの論を誘導したのか。その道筋をたどる。
バベル以前が黄金時代 1 了(1月24日)
後記 : 日野市床屋バベル狂乱(2024年1月13日Blog投稿)で言語のÉquivoque(多意義性)が日野市で亢進した挙げ句、床屋バベルを再現してしまったと述べた。バベル以前は « bonheur primitif » 原初の幸福を孕む黄金時代とレヴィストロースは教えた。ならば原初は « Univoque » の言語社会であったのか、« Univoque » ならば「意味の交換」は無いのか?この観点からBlog投稿を試みる。
親族の基本構造の最終章、結語 « Conclusion »の最終文節を引用する :
« Jusqu'à nos jours, l'humanité a rêvé de saisir et de fixer cet instant fugitif où il fut permis de croire qu'on pouvait ruser avec la loi d'échange, gagner sans perdre, jouir sans partager. Aux bouts du monde, aux deux extrémités du temps, le mythe sumérien de l'âge d'or et le mythe andaman de la vie future se répandent : l'un plaçant la fin du bonheur primitif au moment où la confusion des langues a fait des mots la chose du tous ; l'autre décrivant la béatitude de l’au-delà comme un ciel où les femmes ne seront plus échangées ; c'est-à-dire rejetant dans un futur ou dans un passé également hors d'atteinte, la douceur, éternellement déniée à l'homme social, d'un monde où l'on pouvait vivre entre soi » (同書569頁)
今の我々の世にまでも人類は幻の刹那を追いかけてきた。その世界では交換の法則に細工を加え、失わず得る共有せずとも享楽を得る仕組みを、人は夢を見ていた。両に分かれる世界の果て時の隔たり、黄金伝説のシュメール神話とアンダマン島原住民の世の終わり神話は、合い重なり合う。一方は言語の混乱が言葉をして物事すべてを形成したために、原初の幸福の終焉を悟る。もう一方は久遠の空の果にある至福を語る、そこではもはや女達は交換の対象ではない。その意味は、人が己のみで暮らす甘さを、過去でも未来にでも、待ち望むことなどありえない来世に託したのだ。今生きる者共にはその幻想など永遠に否定されているのだから。

日野市(南平近辺)の散歩カメラ。高圧鉄塔が夕日に映えていた

拙訳を読んでもレヴィストロースが伝えむとする主張は理解できないかと思う。意訳を試みる前に文章を解析すると:
1 黄金の世界の伝承、一方はシュール神話、片方はアンダマン島先住民の言い伝え。「失わず得る」「分け合わずに享受する」。 « Loi d’échange » 交換の原則、貰うには与えるの意味だが、それを真っ向から否定する。そんな身勝手がまかり通った時期で、それを黄金 « l’âge d’or » としている。
2 原初の幸福 « le bonheur primitif » (引用文中)時代であったとも指摘してる。その幸福が、「言語の混乱」によってもたらされた不幸な事態、言葉 « des mots » をしてあらゆる事象が物に置き換えられた瞬間を迎え、終わりを告げた。
3 言語の混乱の実態は、本章でその語が前出しているから、バベルの塔伝説に他ならない。空にも届く塔を建設し、神の世界に入り込むとした人の傲岸さに怒った神は人々の関係に差金を入れ会話が成立しなくなった。後ろ向きの教訓を伝える説話として語られる。
4 レヴィストロースは当初の混乱を乗り越えて、より精緻な言葉遣いを物にした、それが「言葉 をしてあらゆる事象を物に置き換えた」の意味合い。人類の歴史を評価している。
5 この解釈を起点として本章の伝えかけを解明したい。鍵となる組み合わせの概念は黄金期対鉄期、会話の絶対成立対不成立、女と婚姻制度、財と交換―が挙げられる。なおアンダマン島先住民の黄金期「婚姻制度は無い、男は一人で暗黒の宙に浮いている」については本文の最後に言及する。
意訳:太古の世界では交換の原則など知られていなかった、故に「失わず得る共有せず享楽を得る」時代であった。この黄金時代はバベルの塔の失敗で霧消した。言語混乱の帰結として、「物事すべてが言葉で言い換えられる」時代になった。言語が分散化して、一層機能が強固になった。実はアンダマン島原住民の世の終わり神話は、バベル伝説と合い重なり合う。久遠の空の果にある至福を彼らは語る。もう女を交換しない、己達だけで生きる。バベル以前の世界が(女の)交換など無視している、この意味で重なり合うとしている。
本書の結語Conclusionの結論である。どのようにしてレヴィストロースはこの論を誘導したのか。その道筋をたどる。
バベル以前が黄金時代 1 了(1月24日)
後記 : 日野市床屋バベル狂乱(2024年1月13日Blog投稿)で言語のÉquivoque(多意義性)が日野市で亢進した挙げ句、床屋バベルを再現してしまったと述べた。バベル以前は « bonheur primitif » 原初の幸福を孕む黄金時代とレヴィストロースは教えた。ならば原初は « Univoque » の言語社会であったのか、« Univoque » ならば「意味の交換」は無いのか?この観点からBlog投稿を試みる。