蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

バベル異説、Equivoqueなのだ 1

2024年01月18日 | 小説
(2024年1月18日)Equivoqueとはなにか。一ながら複数の意義を有する語を指す。(Univoque=Equivoqueの反対語、GooBlog22年12月19日、Youtubeは2023年1月17日の投稿にてEquivoqueにも言及)

デジカメ写真では腕、足などの例をあげている。「腕がよい」の腕は技能を表す、腕前も同列。腕が長いとなれば実際の腕。「足が早い」とは魚の味の劣化速度。魚に足が生えて逃げる状況を云うのではない。目についても同じく « Équivocité » 指摘できる。

理髪師見習いのヨシオ君が間違えたのは「頭」、この語は幅広く多岐にわたる意義を持つ。1~4はその代表として採り上げるが、広辞苑では25の異例が数えられた。
上から目に「見えている頭」、人数、先頭、そして髪。

« Equivocité » がもたらす混乱はバベルから始まった。塔の建設現場で
石工親方が見習いに指示を出す。この石を頭に据える。見習いは「こうですかい」と頭に石を据えた。結果は親方の怒り。
「この石は使えない、目を利かせろ」見習いは目をキョロキョロさせた。

「頭数アタマカズ」と聞いた見習いが「ガン首」を揃えた。親方は呆れ果て、見習いは逃げ出した。この状況下では塔はもはや完成しない。民族が別の言葉を遣い始めて会話が成立しなくなったーが通説ながら、Equivocité の蔓延で建設作業が放り出されたーと部族民は考えている。
最後のデジカメは

エデンの園を放逐された人類の祖からバベルまでの年数(数字は部族民の推測、というか当てずっぽう、なので気休め参考にしてください)

バベル異説、Equivoqueなのだ 1 了

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