蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話から物語りへDu Mythe Au Roman 2

2019年10月17日 | 小説
(2019年10月17日)

M391と同系統の神話を紹介;
M392 Kuniba族 転がるがん首と月の起源 本書75頁(Kunibaはアマゾン支流Jurua川流域に住む、写真を参照) 
誰と告げない男の問いを毎夜、娘が受ける。その夜、娘はgenipa(南米で用いられる紺色の染料)を男の頬に擦りつけた。
<Elle decouvrit ainsi que son amant etait son frere. On chassa le coupable ; pendant qu’il fuyait , des ennemis le tuerent et lui couperent la tete>翌朝、男は実の兄(frere)であると娘は知った。村人は罪を犯した者(le coupable男性であるから、罪は兄にのみ被さる)を追放した。あてどない彷徨いのすえ敵に捕まり首をはねられた。

娘は夜問いに来る男の頬にGenipa(染料)をこすった。翌朝、頬を紫に染めた若者は(写真はボディペインテングの例、ネットから)

弟(un autre frere)は兄を追って森に入り、首と果てたその姿を見つける。首は「背負って村に戻せ、水を呑ませろ、食物を出せ」ひっきりなしに要求する。耐えきれず弟は首をひどく打ち、放り出し村に逃げた。
転がりながら村にたどり着いたがん首、娘の屋(実家であるが成人の兄はそこには住まない)に入らんとしたが戸を閉じられ願いは叶わない。
<elle envisagea l’une apres l’autre plusieurs metamorphoses : en eau, en pierre, etc. Finalement , elle choisit d’etre la lune et s’eleva jusqu’au ciel en deroulant une pelote de fil. Pour se venger de sa soeur qui l’avait denonce, l’homme change en lune l’affigea de la menstruation>
<首は何者かに変身しようと一つ、もう一つと願いを巡らせた。水、石、その他いろいろ。最後にたどり着いたのが月だった。つなぎ合わせの糸をたぐり天に昇った。秘め事を村人に密告した妹(soeur)に復讐せむと月の障りを引き起こしたのだ。
月と女の月経の起源神話です。

アマゾン流域の部族地図 本書から

M393 Cashinawa族:月の起源 76 頁(同族はアマゾン支流Jurua川流域、先のKuniba よりも上流に居住)
対抗する2の部族。男が一人で移動するなか、敵のどう猛な戦士にばったり。逃げんとするが敵は彼をなだめ、さらに筒にあふれんばかりの矢まで進呈した。敵戦士の言い分は「我が家を訪ねてくれないか。実は、我が嫁は族外人にいつも首ったけなるのだ=afin de rendre visite a sa femme qui serait certainement ravie d’accueillier un hote etranger」妻の家とは女屋なので戦士夫は常には住まない。
有頂天になって髪に持ち合わせの鳥羽を立て、道すがら果実をむしって歯を黒に染めた(男が女に言い寄る正式な容体らしい。上下の背広に花束か)この後、男が敵陣女屋に立ち入る場での躊躇と衒い、夫である敵戦士に「励まされ」容姿を整える仕草などが続く。すっかり云いこめられた男は、戦士たるにあり得ない信じやすさに支配されている。それなら戦士失格。この見境無しが罪悪だと思わせる。そして敵戦士妻の<festin plantureaux>の饗応を享受した。<plantureux>は1に食物が豊富なる様、2に肉体の豊満なる意味を持つ。たっぷり食物を頂いたのか、豊満肉体を堪能したのかのいずれかは書き込まれてはない。小筆の邪推かもしれないがfestin宴会を「寓意」として解釈すれば、豊満肉体のもてなしを受けたもと読めるし、それが後の筋につながる。
帰路、男は敵戦士におそわれ首をはねられた。これが信じやすさの罰。
がん首ながら転がり続けて村に戻る。しかし村人からは受け入られない。この経緯は前M392と筋立てを同じくする。何に変身しようか、首の自問自答が最終の段に;
<Que vais-je devenir ? se demanda la tete. Des légumes ou des fruits ? On me mangera. De la terre ? On marchera sur moi. L’eau ? On la boira…>人間には戻れない、何になったらいいのか、首は一つ二つと変身候補を自問した。野菜あるいは果実?人に喰われてしまう。土、踏みつけられてしまう。水、呑まれる…以下;魚、毒流しの毒草、獣、蛇、樹木と数え上げるがいずれも人に役立つかさもなくば、嫌われ疎まれしまいに殺される。<La pluie ? Je tomberai, les rivieres grossiront, vous pecherez des possoins bons a manger>雨に?そうなると私は降り川に注ぎ、流れを太らせ魚が増えて、人がそれらを獲って食べるじゃないか…この調子で変身する身の先が決まらない。
<J’ai une idée ! De mon sang, je ferai l’arc-en-ciel, chemin des ennemis ; de mes yeux, les etoiles ; et de ma tete , la lune. Et alors, vos femmes et vos filles saigneront> <Pourquoi donc ?> demanderent les Indiennes effrayees. Et la tete répondit : Pour rien.>そうだ、これがいい。私の血は虹になる、敵がそれを伝わりやってくる。目が星になる。この首は月に変わるのだ。そしておまえ達の妻、娘らが血を垂れ流すのだ。閉め切っても戸板越し、聴いていた女共はおののいて何のためにと尋ねる。「何のためにもならないからさ」首が答えた。
首の希望通りに虹が架かり、敵の通り道ができた。夜になっては、この世で始めてのことだが星が瞬き、月まで空に上った。その夜から女共に月の障りが発生し、夫と同衾して子を孕み、10月10回分の経血が胚にたまると子が生まれる。女の仕組みができた。
首が予言した「何のためにもならない」とは経血の垂れ流しの事だが、それが女に周期性を授け、女をして人なりに文化を享受できる身分に引き上げたうえ、人の再生産能力(子を孕み産む)を保証した。月の御利益たるは大変なモノだ。一方でそれら女の周期性、再生産こそ「何の役にもたたないのだ」と断定するがん首の見解はそれなりの説得力がある。


もう一話、
M255 Mundurucu族:夏太陽冬太陽の起源 74頁(Mudurucuはアマゾン中流域に住む)
前段:敵部族は2兄弟を殺し首を狩り持ち帰り、壺口の上に置いた。兄は見てくれがよく弟は悪い。なぜなら弟は母(月)と近親姦に耽ったからである(frereとのみの記述なので兄、弟の区別は分からない)。首級は図体の大きな少年に見張られていた。
<il possédait des dons chamaniques et fut surpris de s’apercevoir que les tetes parlaient. ((elles se préparent a monter au ciel !)) cria-t-il a l’adresse des anciens. Mais tout le monde crut que le gros garcon mentait. 少年は魔術力を持っていた。しかしながら、首がしゃべるのには驚いた。大人に「彼らは空に上る準備をしている」と告げたが、皆は嘘と信じなかった。村人は髪を羽で飾り、頬を赤土で塗るなど首級に死化粧を施した。そして正午、妻を伴い首級は上り始めた。村人は矢を射掛けるがむなしくはずれる。妻(月)が懐妊して上り遅れた醜い首級を少年が捉え、目を抉った。
兄弟は太陽と月の子であった。天気が良い時は、見てくれの良い首の出番である。彼は夏太陽の表情を持つ。暗い日には見てくれの悪い首が出てくる。妻なる月も見え隠れする。これをして冬の太陽とするが、彼は醜さと目の空洞を恥じ入りすぐに人から隠れる。

M391~M255の4神話を紹介した。
いずれも天上の存在(月、太陽、主要な星座など周期性をもたらす天体)の創造神話である。似通いからして同類と見なすのは自然だがそれに論理というか、根拠を示さなくてはならない。
本書72頁に戻る。
M354(本書「食事作法の起源」の基準神話モンマネキの冒険)について<inexplicable sous l’angle syntagmatique, releve d’un paradigme ou il occupe, par rapport au mytshe sur la Chevelure de Berenice, une position derivee ; autrement dit , M354 inverse M130, non le contraire>(72頁)
モンマネキ神話の連辞(syntagmatique)側面には浮き出てこないけれど、範列(para-digmatique)側面に一つの主張が宿り、M354はM130の反対(の範列)であり、その逆はあり得ない。
Syntagme, paradigmeのスキームを神話の同類比較に用いよとのお告げである。ならば、その手法を駆使して神話群分類法を考えてみよう。次回をお楽しみに。
神話から物語りへDu Mythe Au Roman 2 了 (次回は19日予定)

なお本投稿の1,2を合わせて部族民通信通信HPに投稿しています。

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