人間は美しい存在に心を惹かれます。美しさとは姿形見てくれであり、また精神の美しさでもあります。美しさに惹かれ感動し憧れ、時にはその物体に同化を願うこともあります。絵画彫刻音楽はもとより詩歌文芸作品に接し感動し、そのときめきが芸術を生みだす源と言えます。また恋愛も美しさへの憧憬から発しているといえます。
姿形の美しさに私たちは生まれながら雛形を持っています。それは天使天女です。彼らはおそらく雪のように白く花のように優しく羽のように軽やかで、穏やかで憎まず蔑まず他者へ尽くす心に充ちている。天女にあえば若者は恋をする、天使に出会う若い女性にも当てはまります。実際にはこの世に天使天女は降臨しません。しかし若さの過ち、相手を天使(天女)に見なしてしまう、たとえそこまで至らなくても天上の存在に近いと「錯覚」する。この美への憧憬と同体化したい心で恋愛が成り立つのだと思います。
天使天女の属性を問えば以下になるでしょう。
姿形が美しい、心が純真である妬まない蔑まない、自我自欲的でなく献身的。それと滅多に会えない。いや私含めて今の世に生きる人は絶対に天使天女には会えません。
これが美の典型です。美とはこれしかない。醜さの典型はそこいらに転がっています。醜さはいっぱいあります、豚モグラネズミ…
私はここでアルマジロが醜さの典型ではないかと信じています。先ほどの天使の属性をアルマジロのそれと比較すると、
姿形は醜さで情けなくなりますね、心は純真ではない縄張り意識が極端に発達している、同種がテリトリに踏み込もうなら脅し唸り噛み付きで大騒ぎ、極端に自我欲が発達している。献身なんて考えられない、日本でこそ滅多に会えないがメソアメリカ、南米の乾燥地帯に行けばうろちょろしています。
アルマジロは恋愛をするか、たとえば雄が雌に出会うと、雄は錯覚して「天女アルマジロがやってくる、彼女に恋する」との感情を持つか。それは絶対にない、なぜかというと生殖行動を見ればわかる。雄は繁殖期になると生殖器がなんと身体の「半分」の長さに膨れあがる。これをもてあましながら縄張りを夜に日に朝から晩までうろつく。うまい具合に雌にであうとここで問答無用、絡め手抱え手押さえ手で無理矢理に雌の生殖器に入れてしまう。恋愛感情とは正反対の本能、欲望むき出し、無理やり手当たり次第にメイティングする。
人は天使とアルマジロの間にいる。どんなに高みにあがろうとしても天使にはなれない。どんなに堕ちてもアルマジロほどにはならないだろう。
しかし、今人間は確実にアルマジロ化に向かっていると私は思う。人間全体、日本人でもいいし東京首都圏に住む住民でもいい、天使率VSアルマジロ率を統計してみると明確になる筈だがそのような資料はないので、独断と偏見の自己暗示もからめていくと。
ここ数年日本人のアルマジロ化には恐るべきほど顕著です。まず女性が美しくない(男もしかり)、アロマジロ面があちこちで出現している。出会いで即男女のつきあいが頻繁、恋愛亜感情なんてどこにもない。そして最後のとどめが「献身」がない。自己中心、自己の欲望第一、自己主張は大声で他人の意見は聞かない。人間離れしたアルマジロ率95%みたいな顔した御仁だって見うけます。
今の世恋愛大恋愛が発生しなくなったのはアルマジロ化が昂進しているからだ。子供殺し、子殺し、大量通り魔殺人が猖獗しているのも同根。人々が献身の心を忘れたからです。
良い話も。天女がまだ健在であること伝えなければ。
若き能面師新井達也氏の打ちあげた「増女」の写真をつけます。増女は能楽「羽衣」に使用されます、ご存じ天女が降りるあら筋です。この面をつけ観世流シテ方中所宣夫師が演じた羽衣を本年11月1日の府中市(東京)文化祭で見る機会を得ることができました。まさに天女に遭遇した気分です。
以下は団塊の独り言です:
それにしても「18歳の小百合様」は限りなく天女に近かった、いや天女そのものでした。その天女に遭遇できなかった私の運命を呪うが、時の同時代人として「生ける天女」があの時地上に降りたと今でも確信している。
今どき天女に近いのは優ちゃんかね、小百合様よりは落ちるけど。あとは皆かなりアルマジロが混じっているようだ。
姿形の美しさに私たちは生まれながら雛形を持っています。それは天使天女です。彼らはおそらく雪のように白く花のように優しく羽のように軽やかで、穏やかで憎まず蔑まず他者へ尽くす心に充ちている。天女にあえば若者は恋をする、天使に出会う若い女性にも当てはまります。実際にはこの世に天使天女は降臨しません。しかし若さの過ち、相手を天使(天女)に見なしてしまう、たとえそこまで至らなくても天上の存在に近いと「錯覚」する。この美への憧憬と同体化したい心で恋愛が成り立つのだと思います。
天使天女の属性を問えば以下になるでしょう。
姿形が美しい、心が純真である妬まない蔑まない、自我自欲的でなく献身的。それと滅多に会えない。いや私含めて今の世に生きる人は絶対に天使天女には会えません。
これが美の典型です。美とはこれしかない。醜さの典型はそこいらに転がっています。醜さはいっぱいあります、豚モグラネズミ…
私はここでアルマジロが醜さの典型ではないかと信じています。先ほどの天使の属性をアルマジロのそれと比較すると、
姿形は醜さで情けなくなりますね、心は純真ではない縄張り意識が極端に発達している、同種がテリトリに踏み込もうなら脅し唸り噛み付きで大騒ぎ、極端に自我欲が発達している。献身なんて考えられない、日本でこそ滅多に会えないがメソアメリカ、南米の乾燥地帯に行けばうろちょろしています。
アルマジロは恋愛をするか、たとえば雄が雌に出会うと、雄は錯覚して「天女アルマジロがやってくる、彼女に恋する」との感情を持つか。それは絶対にない、なぜかというと生殖行動を見ればわかる。雄は繁殖期になると生殖器がなんと身体の「半分」の長さに膨れあがる。これをもてあましながら縄張りを夜に日に朝から晩までうろつく。うまい具合に雌にであうとここで問答無用、絡め手抱え手押さえ手で無理矢理に雌の生殖器に入れてしまう。恋愛感情とは正反対の本能、欲望むき出し、無理やり手当たり次第にメイティングする。
人は天使とアルマジロの間にいる。どんなに高みにあがろうとしても天使にはなれない。どんなに堕ちてもアルマジロほどにはならないだろう。
しかし、今人間は確実にアルマジロ化に向かっていると私は思う。人間全体、日本人でもいいし東京首都圏に住む住民でもいい、天使率VSアルマジロ率を統計してみると明確になる筈だがそのような資料はないので、独断と偏見の自己暗示もからめていくと。
ここ数年日本人のアルマジロ化には恐るべきほど顕著です。まず女性が美しくない(男もしかり)、アロマジロ面があちこちで出現している。出会いで即男女のつきあいが頻繁、恋愛亜感情なんてどこにもない。そして最後のとどめが「献身」がない。自己中心、自己の欲望第一、自己主張は大声で他人の意見は聞かない。人間離れしたアルマジロ率95%みたいな顔した御仁だって見うけます。
今の世恋愛大恋愛が発生しなくなったのはアルマジロ化が昂進しているからだ。子供殺し、子殺し、大量通り魔殺人が猖獗しているのも同根。人々が献身の心を忘れたからです。
良い話も。天女がまだ健在であること伝えなければ。
若き能面師新井達也氏の打ちあげた「増女」の写真をつけます。増女は能楽「羽衣」に使用されます、ご存じ天女が降りるあら筋です。この面をつけ観世流シテ方中所宣夫師が演じた羽衣を本年11月1日の府中市(東京)文化祭で見る機会を得ることができました。まさに天女に遭遇した気分です。
以下は団塊の独り言です:
それにしても「18歳の小百合様」は限りなく天女に近かった、いや天女そのものでした。その天女に遭遇できなかった私の運命を呪うが、時の同時代人として「生ける天女」があの時地上に降りたと今でも確信している。
今どき天女に近いのは優ちゃんかね、小百合様よりは落ちるけど。あとは皆かなりアルマジロが混じっているようだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます