(2025年1月28日)導入章に引き続き本文をYoutube紹介しています。 本文第一回(上、1月21日)では「感じる蓋然Certitude Sensible」なる概念を導入している。
Certitudeは主体か客体かが分かりにくい語である。本稿で弁証法の原初(始まる前)ではモノに取り憑く客体、すなわちモノの曖昧さを意味し、弁証法が始まるとその蓋然性は主体側、すなわち悟性に憑依しその精神作用として蠢く。
これは奇妙な言い回しです、しかし主意を噛みしめると、さもありなんと納得してしまう。いかにもヘーゲルらしい高等な修辞を駆使しています。例証に「今maintenant」と「ここici」と採り上げる。今は夜の言葉は一聴して、真実と思えてしまう。これが即座の理解で「最も貧しい真理」しかもたらさない。なぜなら昼になったら朝は瓦解する。
Hyppoliteもヘーゲルは2段ロケットだとお墨付き
今が実質、夜は介在で普遍を演出する
モノ表象の中に「実質=変わらない真実」、それに付帯する「普遍=否定と介在で変化する」を見極めなければ、真理にたどり着けないと教える。「ここ」についても木と家を論法に使い、実質と普遍を分離している。
この介在否定を体得するには「感じる蓋然」を悟性が採り込むのだとヘーゲル先生は我々愚衆を、オット失礼、愚は私だけです、叱咤激励する。
以上が2段ロケットの最終段での精神現象です。
動画で用いられるPDFは部族民通信ホームサイト
www.tribesman.net で接近できる
本動画のYoutubeリンクhttps://youtu.be/DulOyVtfx6o 了(1月28日)
Certitudeは主体か客体かが分かりにくい語である。本稿で弁証法の原初(始まる前)ではモノに取り憑く客体、すなわちモノの曖昧さを意味し、弁証法が始まるとその蓋然性は主体側、すなわち悟性に憑依しその精神作用として蠢く。
これは奇妙な言い回しです、しかし主意を噛みしめると、さもありなんと納得してしまう。いかにもヘーゲルらしい高等な修辞を駆使しています。例証に「今maintenant」と「ここici」と採り上げる。今は夜の言葉は一聴して、真実と思えてしまう。これが即座の理解で「最も貧しい真理」しかもたらさない。なぜなら昼になったら朝は瓦解する。
Hyppoliteもヘーゲルは2段ロケットだとお墨付き
今が実質、夜は介在で普遍を演出する
モノ表象の中に「実質=変わらない真実」、それに付帯する「普遍=否定と介在で変化する」を見極めなければ、真理にたどり着けないと教える。「ここ」についても木と家を論法に使い、実質と普遍を分離している。
この介在否定を体得するには「感じる蓋然」を悟性が採り込むのだとヘーゲル先生は我々愚衆を、オット失礼、愚は私だけです、叱咤激励する。
以上が2段ロケットの最終段での精神現象です。
動画で用いられるPDFは部族民通信ホームサイト
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本動画のYoutubeリンクhttps://youtu.be/DulOyVtfx6o 了(1月28日)
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