玉追龍図鍔 古正阿弥
玉追龍図鍔 古正阿弥
鉄地に布目象嵌象嵌の手法で龍神を描いた作。この手法により古正阿弥の作と極められている。下地は鉄地に土手耳を廻らせ、鍛えた鎚の痕跡を明瞭にしており、この表面に布目と呼ばれる刻みを設け、薄い金と銀の板を叩き込むという嵌入手法を採っている。これが布目象嵌である。露象嵌や彫り込み象嵌のように地板を彫り込み、塑像を嵌め込み、周囲の肉を寄せるという手法ではないため、象嵌が落ち易いという欠点がある。ところが、この落ちるという負の要素を美観にしてしまったのが肥後金工である。完璧ではない、壊れてゆくものに美を見出す感性は、利休の茶を学んだ細川三齋が自らの美意識として構築した世界観に現れている。即ち、細川家に仕えた肥後金工は、三斎の感性を装剣小道具の表現に採り入れたのであり、ここで布目象嵌の美観が活かされたのである。この鍔は、古正阿弥と極められているが、実は肥後国、熊本県内の某家にたくさんの肥後鍔と共に伝わった一つであり、作風から古正阿弥とは極められてはいるものの、初期の肥後金工の作として捉えるにも充分な要素を備えている。肥後金工も正阿弥派の技術を充分に採り入れていることは明白で、そこから独特の枯木象嵌が生み出されたのである。それにしても、拡大観察では鉄地と布目象嵌象嵌の銀が一体となり、さらに時を重ねて生じた錆が加わって面白い景観を生み出している。金工は、おそらく素材が時と共に変化していくことを充分に理解し、それを美観として採り入れていたことは間違いないのだが、さらに作者も意図を超越した変質美がここにある。実はここが面白いのだ。
玉追龍図鍔 古正阿弥
鉄地に布目象嵌象嵌の手法で龍神を描いた作。この手法により古正阿弥の作と極められている。下地は鉄地に土手耳を廻らせ、鍛えた鎚の痕跡を明瞭にしており、この表面に布目と呼ばれる刻みを設け、薄い金と銀の板を叩き込むという嵌入手法を採っている。これが布目象嵌である。露象嵌や彫り込み象嵌のように地板を彫り込み、塑像を嵌め込み、周囲の肉を寄せるという手法ではないため、象嵌が落ち易いという欠点がある。ところが、この落ちるという負の要素を美観にしてしまったのが肥後金工である。完璧ではない、壊れてゆくものに美を見出す感性は、利休の茶を学んだ細川三齋が自らの美意識として構築した世界観に現れている。即ち、細川家に仕えた肥後金工は、三斎の感性を装剣小道具の表現に採り入れたのであり、ここで布目象嵌の美観が活かされたのである。この鍔は、古正阿弥と極められているが、実は肥後国、熊本県内の某家にたくさんの肥後鍔と共に伝わった一つであり、作風から古正阿弥とは極められてはいるものの、初期の肥後金工の作として捉えるにも充分な要素を備えている。肥後金工も正阿弥派の技術を充分に採り入れていることは明白で、そこから独特の枯木象嵌が生み出されたのである。それにしても、拡大観察では鉄地と布目象嵌象嵌の銀が一体となり、さらに時を重ねて生じた錆が加わって面白い景観を生み出している。金工は、おそらく素材が時と共に変化していくことを充分に理解し、それを美観として採り入れていたことは間違いないのだが、さらに作者も意図を超越した変質美がここにある。実はここが面白いのだ。