『戦艦大和』 ひーさんの散歩道より
ひーさん作成のデジブックをご紹介いたします。
ご覧ください。
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さる6月2日土曜日。昨年9月に引き続き、中学同期会が仙台で開催されました。
「なんだや、おめぇももう五十さぁなったんだな」とか。とか・・・。
このブログに登場致します、彼や彼女にお会いできる機会は、やはりいいものです。
会場では、卒業アルバムを持参するものもおります。
やはり、あの頃の記憶は卒業アルバムを頼りにするのが一番よかろう。そう思います。
(同期の皆様、詳細は後程語らせていただきます)
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伊藤長官が去った後、艦橋にいた人々は、檣桜の階段を伝わって、散りぢりに最上甲板降りて行った。
艦橋に残った茂木航海長は、部下の花田掌航海長と、脚を主羅針儀の台に縛りあった。
下部から「浸水間近い_天皇陛下万歳!」の声が伝わってきた。
(能村次郎 大和副長 手記より抜粋)
大和、最後の最後。あの爆発をする直前の艦橋の様子を、副長手記から抜粋いたしました。
副長手記、並びに、吉田満氏著、「戦艦大和ノ . . . 本文を読む
文中にちょこっと出てまいります蔵田雅彦の孫です。祖父の顔や詳細を知らずに育ちましたが、大和の設計者だったことだけは聞いていました。なんとも嬉しい気分になりましたので書き込みさせていただきました。2011-10-03 12:41:29 ひよこ
ひよこ様からのコメントでした。
「くだまき」に、自身でお名前を書き込みましたが、その自身のコメントに誤りがございました。
蔵田雅彦さんは、呉海軍工廠の . . . 本文を読む
突然失礼いたします。 (野津)
2011-09-22 21:23:03
酔漢様
はじめまして。私の叔父(父の兄にあたります)も大和の搭乗員で、坊ヶ岬で艦と運命を共にいたしました。写真は残っていませんが、名前は「野津 実(實)」といいます。なぜか先日より「實叔父のことをちゃんと記録しておかねば」と思いたち、大和関連の本など読み、ネット検索などしているうちにこちらのサイトにたどり着きました。『大和 . . . 本文を読む
昭和15年春。大和は呉工廠でその姿を見せ始めておりました頃。
ロンドンから一隻の客船が、アメリカ大陸を通過中でございました。
その客船の中に一人の技術者が乗っておりました。
昭和14年から15年までの一年間をロンドンで過ごした彼。
造船技術の優れているイギリスで、その技術の習得に励んでいたのでした。
嘗て、大和設計に携わりました「牧野茂」は、それより以前、フランスに留学しております。
阿川弘之氏 . . . 本文を読む
Unknown (ドラえもん)
2011-07-26 16:56:10
文中の古川忠の孫です。インターネットで祖父の足跡を調査していたところ酔漢さんのホームページを見つけました。私が中学1年の時に亡くなった祖父の名前を実際に見ると凄く懐かしく、メールさせて頂きました。
あるコメントが届きました。
上記、「ドラえもん」様からのものでございます。
酔漢が「くだまき」におきまして「大和建造」を語 . . . 本文を読む
長い間、ありがとうございました。
本日をもちまして「大和を語る 祖父・海軍そして大和」のカテゴリーは最終回といたします。
見切り発車、何の知識もないまま語ってまいりました。
先ほども「おせっかい焼き様」からコメントを頂戴いたしましたが、「おせっかい焼き様」程の知識がなければ、本来「語るべき内容ではなかったのではないか」と反省いたしております。
皆様の暖かいお言葉がなければ、ここまで来ることはできま . . . 本文を読む
「ひーさんの散歩道 戦艦大和:熱き男達のドラマ2009年07月16日」では、仙台護国神社境内にございます英霊顕彰館の様子が描かれております。
「ひーさん」とはブログで知り合いました。
仙台やその周辺、宮城や東北の自然など、ひーさんの視点から、写真とともに書かれておりますブログです。
ひーさんの写真の腕は酔漢には真似できません。
ひーさんの撮影されました「大和模型正面写真」には迫力がございます。
こ . . . 本文を読む
「くだまき」では一貫して「坊ノ岬沖海戦」を「特攻ではない」としております。
大和が戦場へ出撃してから、何度となくこう語っておきました。
その理由は各項目にてお話したところですので、今さら同じ事項を語るつもりは毛頭ございません。
歴史の流れを知るようになり、また多くの方々のご意見、論調、論文、ブログ、ホームページを拝読する機会に恵まれました今、この瞬間も、この考えを訂正するつもりはありません。
そう . . . 本文を読む