酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

先生の愛車

2012-06-08 08:35:57 | 仙台中学校の頃の話
1年6組の教室のお隣は、1年7組です。
「何あたりめぇなこと言ってのや!」と言われる方。これには事情がございまして。
1年5組は、隣になかったのです。校舎が別でした。
僕らのおりました1年6組は、一番東側の校舎。体育館の真下になります。
下駄箱と保健室が目の前。
いいロケーションだったよなぁ。
8組からは二階になりますので、1階の教室はこの6組と7組しかありません。
酔漢はと申しますと、その6組におりました。

英語の時間。
いつも元気に「おはよう!」と勢い良く教室の戸を開ける「I沢先生」
酔漢、実は相当青くなっております。
「なんだや!教科書・・・・ねぇ!」
「酔漢君、確か先週も・・・」
と、顔を覗く「ちがちゃん」。(某、老舗旅館の女将でございます→現在)
「何かあったら貸すから!」
面目なし。
とりあえず、当てられない事を願わんばかりです。
教科書は「New Prince」。確かLesson12だったか13あたりで、最初の例文が「There is a cup on the table.」だったような記憶がございます。
授業は何時ものように、淡々と進んでまいりました。が!
「何だ!酔漢。また教科書忘れたのか!」
しまった!先生の知るところとなってしまった!
「酔漢!立て!」
もう教室は異様な雰囲気が漂っております。
ただでさえ、先週、理科の時間で「ただし君ネクタイ事件」があったばかりでしたから(詳細は・・・・控えますが・・・)
「酔漢。教科書持ってないってことは、教科書いらない位覚えているんだな!」
「・・・・・・・・・・・」背中に汗。
「じゃぁ!教科書言ってみろ!」
焦りまくった頭でうろ覚えの教科書暗読です。
たまたま、予習をしておりましたので・・何とかかんとか言い終える事が出来まして・・。
「酔漢!」
「はい」
「予習は出来てるようだな・・・教科書だ。使え」
「はい?」
「俺のを使え!」
「先生のすか?」
「何だ!俺のが嫌なのか?・・・そうか『ちが』に見せてもらいたくてわざと忘れた・・のか?」
もう、顔が真っ赤の酔漢でした。

一番、北側の校舎の前にはバレーボールコートが一面あります。
門を入ってすぐ、コンクリートの壁に一台のランドナーが立てかけております。
「誰のだべ?先生の誰かだっちゃ」
中学1年の秋には、自転車マニアの酔漢です。
その深い緑色のランドナー。
独特なラグレス使用(フレームパイプの接続部分)は、もう一目で「山口ベニックス」と分かります。
かなり使い込んでいるようです。ですが、しっかりメンテナンスされておりました。
「ベニックスか・・これも恰好いい自転車だな」
酔漢が、校門を通る時間は8時丁度頃。それより前には止めてあります。
正面のマークが独特のランドナー。
「My Benny」のロゴが光っております。
国産部品で固められたそれは、ブリヂストンのランドナー(「ユーラシア」であるとか「ダイヤモンド」)とは違った無骨な雰囲気。
当時の国産ランドナーが「カンティタイプ」のブレーキ主流のところ、「センタープル」を採用。(「グランコンペ」)
スギノマイティのギアスペックは、交換が難しいのですが、丈夫というところではピカ一。
ディレイラーは記憶がないのですが、サンツアーだったと思います。(サイクロンではなかった記憶が・・)
「本当に誰が乗ってくんだすぺ」
酔漢は、オーナーが誰だか知りたくて、いつもより早く家を出ました。
塩釜6時43分の電車に乗ります。
(2年生時に同級のおおえ君は本当に学校の目の前にお家がありまして、彼と話をいたしましたら、8時まで寝て居られたと・・・)
校門着。まだ自転車は到着しておりません。
すると、二番丁方面からあのランドナーが。
「なんだや、I沢先生だったのすか!」
いつものように、コート脇に自転車を止めると職員室へ消えて行きました。声を掛けるタイミングを逃しました。
自転車を後から眺めます。
「フジタプロ」の皮サドルは、右側がへこんでおります。
「先生の聞き足は右だった」と分かります。ひびのかけらもなく、きちんとワックスが塗られているのも分かりました。
「本当に大事に乗っている」
自分もランドナーのオーナーになったら、こうやって自転車を大事にしたい。こう思いました。

6月2日土曜日の同期会。
I沢先生もご出席されておられました。
「相変わらず、わけぇなや」と遠目で観ておりまして、ふと「あの自転車は今どうなってんだべ」と気になりました。
「先生、ご無沙汰いたしております。酔漢です」
「おーー!元気そうだな。塩竈から通っていた・・」
「思い出していただけたみたいで・・」
「何故かぁ・・憶えてる!」
「ところで先生、あのベニックスは・・・?」
突然、立ち上がったI沢先生。
「あれ!覚えている?」
「覚えているも何も、見事なランドナーだったっちゃ!先生が大事に乗っているのが一目でわかる」
「エーーツ!あれね。転勤するたびあれで通ってたんだけど、初めてだよ!うーーん自転車の話題振られるのって!いやー見ていた生徒がいるとはねぇ!いやぁ驚いたぁ」
「先生のようなランドナーは、俺も欲しくって・・自作のを今使ってます。でも、あのベニックスは、シルクとかダイヤモンドにはない山口の主張一杯のランドナーでした」
「あれねぇ。あの当時は高かったよなぁ。本当に磨いていたもんなぁ。休日はよく遠出してたんだ」
「高校の時に輪行で、あちこち回ってました」
「あの自転車!現役だぞ!」
「えっつ!まだ現役で走れんのすか?」
「あー、バリバリ現役だぞ!部品は所々違うのを取り換えているけど。まだちゃんと走るし、今でもあれに乗って走ってる!」
本当に先生が大事に大事に乗っていることが解ります。
酔漢の愛車はそれより3年後ですから、酔漢より5~6年も長く乗っているわけです。
ランドナー乗り健在です。
「だけどなぁ、息子がハンドルを替えてさぁ。ランドナーバーはもう危ないからって、フラットタイプに変えたんだ。腰の負担を考えたんだけど」
「日東製『グランランドナーB192』だった記憶がありますが、あのハンドルは使いやすくて、自分の愛車にも使っていて・・」
「酔漢がこんなに自転車好きだったら、職員室へ遊びにくればよかったのに。一緒に走れたよな!ツーリングできたじゃないか!」
「今だから、先生。こげな話ばできっけんど。職員室さぁ入るって、どんだけ度胸が必要だったか・・」
「そうだよなぁ!でもなぁ、あれだけ生徒がいて、あの自転車覚えていたとはねぇ・・」
「昼休み、雨上がりに濡れていたから、乾いたタオルで拭いたこともあるんです。サドルが本革でしたし・・」
「なんだ!そんな事もしていたのかぁ」

写真はI沢先生のモデルとは一部違っておりますが、先生の愛車と同じカラーのベニックスです。
自分の自転車が手に入る以前。やはり憧れのモデルでした。
サイクルスポーツでは、カラーの宣伝ページが少なくて、派手さなどない自転車なのですが、「こいつにまたがればどこにだって行ける」
こう信じさせてくれるような雰囲気を持っております。
それにしても、現役のベニックスは少ないのではないかな。
自転車は少しでも、手を抜きますと、すぐ部品が痛んでしまいます。どちらかと言えば、錆びていても、乗っていれば、心臓は大丈夫。こんな乗り物なんです。(酔漢的、私見)
先生との話はしばらく続きました。ですが、ほとんどが愛車の話。
先生と生徒ではなくて、「自転車マニア同志の話」に終止いたしました。
隣の席におりましたコンパルが呆れておりました。

仙台での同期会への参加は三回目。
いずれも「くだまき」にいたしました。
一回目は「ハルコ」を。二回目は「うの君」「TORIさん」を。
今回は師を語りました。
「くだまき」へコメントを下さいました「はらだ」君とは二十五年ぶり。
「もう少し、語ってくれよ」とのリクエスト。
「モデルかつさだ」(妹の部屋には彼が載っていた某男性誌があったりします)も相変わらずの様相。
TORIさんも元気。
まゆみちゃんも京都からの参加。
「くだまき登場人物」面々の今を確かめられるのも同期会ならでは。
そうだよね、まだまだネタ?が埋もれていそうで。

シティラピッド君が、Kスタへ。先月。
「始球式で投げた人って・・親父知ってる?」
「知ってるよ」
「なんか・・こうバシッて投げてくるかと思ってたんだ」
彼に真相を尋ねましたところ。
三日間練習して、思慮の結果、山なりで行こうと決めたのだそう。
そんな会話の飛び交う同期会でした。

年一回から隔年の開催となります。少し淋しい気持ちもありますが。
「二年おきの方が集まりやすいかも」
我が愛すべき生徒会長氏は。
「酔漢、俺たちが再来年まで待てると思うか?別に仙台じゃなくてもいいんだし・・・」
何やら企んでいる。そんな顔つき。
不良中年の集まりは、これからも続くのでしょう・・・・ね。
浦霞禅をしこたま呑みながらの談笑。
「今も昔もこの酒呑めば味はよし」
頭の中で歌っておりました。

昨日、塩竃から送った荷物が届きました。
卒業アルバムをしっかり梱包しております。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祖父・海軍そして大和 卒業... | トップ | ダンボール置き場から その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

仙台中学校の頃の話」カテゴリの最新記事