酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

花山そして栗駒

2008-06-16 08:30:45 | Weblog
国立花山少年自然の家内。「ボランティア室」に一人でおりました。
本日の作業は全て終了した後、午後10時を回った頃です。
通常ですと、他のメンバーが必ずいるものですが、その日は、たまたま、私一人しか、ボランティアはおりませんでした。宿泊している団体もありませんでした。
冬休みも終わりの頃です。
職員の宿直は、あつみさんでした。
「日誌も書いた事だし、んでねっさいっか」とボランティア室を出ようとした瞬間
ドーーンという大きな音と共に、建物が上下に1・2回揺れました。
館内の非常用防火扉が数箇所、自動的に閉じました。
「なんだべ」
本当にあっけにとられたまま、次に何をすべきか考えておりました。
「そっちは異常ねぇか」あつみさんが懐中電灯を持って部屋に入って来ました。
幸い、停電は一瞬で回復。館内も別段異常はなかったようです。
「また、山さぁ、おだってんだおん」
「『山がおだづ』?何っしゃ?」
「このあたりの地震さぁ。局地的なもんだべ」
「テレビの地震速報とかは・・」
「地震計があるのか、ないのか。殆どやらない」

当時、大学3年生。花山から栗駒そして築館周辺で起こる、地震の事を初めて知ったのでした。
「高校の時っしゃ、地学の先生が、『築館から栗駒山まで断層が走っている』っていってたのしゃ」と話してくれたのは、たかはし君でした。
川渡に実家のある彼は、また「このあたりだけの地震ってあんのっしゃ」
と話していました。

当時、地震速報にはならない、地震が存在していたのでした。

国道398号線。特に秋はきれいな景色を案内してくれる道でした。
栗駒山を眺めながら、紅葉の美しさは見事でした。
観光地でありながら、あまり知られている風でもなく、のんびりドライブするのには、最適な道路だったと思います。

栗駒ダムの側、母方の祖父は栗駒変電所の所長を(戦前ですが)努めておりました
母は、幼少の頃の思い出をその山々の美しさと共に語ってくれます。
栗駒山へ沢伝いの登山道を使って山頂まで、大学4年の頃、花山少年自然の家の仲間達と登りました。その途中の雪渓。雄大な山の途中に真っ白な雪。真夏というのに、その気温の低さに驚きました。
山頂から山を下り、湯浜温泉へ。三浦さんが、笑顔で迎えてくれました。

駒の湯温泉は、ボランティアスクール卒業のとき、一泊しました。
その思い出の建物の惨状をテレビの映像で見、愕然としました。
「無事であって」との祈りもむなしく。亡くなられた方も多くいらっしゃいました

ヘリコプターからの映像では、きれいなはずの山々が、地肌もあらわに変わり果てた姿となっております。
自然の驚異というには、あまりにも・・・。一瞬にして山が無くなる。
この事実を、今だ受け入れがたい酔漢でございます。

「国立花山少年自然の家」のスタッフもかなりご苦労されているのではないかと推察します。利用者が2kmを徒歩で、無事帰る事が出来たとの事。まずは何よりでした。(すず様のブログより情報を拝借いたしました)
今の時期、「あずましゃくなげ」が満開の時期。
「おんせんたまご様」がお登りになられました「御駒山」の状態も気になります。

素敵な思い出が多くあった、花山そして栗駒です。

行方不明の方々の一刻でも早い生存の情報を切に願います。
そして、被災されました多くの方々には、心よりお見舞い申し上げます。

栗原には、友人が多くおります。彼らの無事も合わせて、祈っております。

9時、再度更新。
民放の番組を見ておりましたら、大土ケ森南東斜面が崩れている映像が映っておりました(テレビ映像での推察ですのであやまりでありましたらご容赦下さい)
本当に大きな地震だったと気づきます。

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55 コメント

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親父は (クロンシュタット)
2008-06-17 06:22:57
「自己中心」なのでしょうが、やはり首都圏で起こりうる「大地震」が気になります。
勤め先からどうやって帰宅するのか?
家族をどのように守るのか?
避難所を考えても、1箇所に数千人集まってしまうでしょう。
食料も水も寝る場所も確保できるのでしょうか?
今回の地震は、故郷の身近な事としてだけではなく、自分自身の暮らしにも当てはめて考えています。

どんなに微力でも「親父」は突き進むしかありません。

藤沢も相模湾には近いのですから、十二分にご注意を。
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言葉もありません (丹治)
2008-06-17 09:27:18
酔漢さん、日曜日は有難うございました。御蔭様にて大いに愉快に過せました。あまつさえ、すっかり御馳走になってしまい、申し訳ありません。
幸い家は無事だったものの、昨日出勤したら研究室の床に本が散乱。復旧作業にかからねばなりません。
宮城の惨状については酔漢さんが電話で教えてくれましたが、正直言って信じられませんでした(白髪三千丈的な誇張と思っておりました)。ニュース映像や河北に掲載された写真を見て仰天。「道路が各所で寸断」などという次元ではありませんね(「山一つ崩れた」という酔漢さんのことばは、正にその通りです)。
駒の湯は入ったことこそないものの、栗駒登山の折に何度となく目にしています。須川高原温泉は栗駒を歩く時の定宿です。あの大きな岩が露天風呂に崩落して営業中止状態だとか。
「桑田変ジテ大海トナル」といいますが、自分が知っている所が一日ですっかりその姿を変えてしまうのですから、ただただ唖然とするばかりです。
酔漢さんは現地に知己の方も多いですから、なおのことではありませんか。
知り合いが、地震のつい一週間前に栗駒を歩いてきたばかりだと言っておりました。崩落した道路も通ったそうです。
犠牲になった皆さんには御悔みのことばもありません。そして被災地が一日も早く復興することを祈るのみです。
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クロンシュタット様へ 地震の記憶 (酔漢です)
2008-06-17 22:27:53
私自身が高校一年生(仙台向山)高校教室で宮城県沖地震と遭遇しました。家内は中学二年生(八木山)時、自宅で遭遇しました。
向山から塩竈まで帰る手段を失った僕は、宮城野原の友人の家にとりあえず非難。父親と連絡が着き、迎えに来てもらったのが、午後10時を過ぎておりました。
携帯電話のない時代。公衆電話は長蛇の列。
電気、ガス、水道が復旧したのは5日も過ぎた頃でした。小松崎は山の上故、復旧が遅れました。
クロンシュタット様が考えている事は、本当だと思います。
案外、電車の中とかで、そういったシュミレーションをしてしまう癖が着きました。
あの地震の経験がそうさせているのかもしれません。
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丹治様へ 山のおもひで (酔漢です)
2008-06-17 22:33:25
日曜日はこちらこそありがとうございました。

さて、栗駒山へ登るいくつかのルートの中で、栗駒山中腹にあります雪渓への直通ルートがあります。
丁度、駒の湯から沢を直登する形で登ります。
その沢から、あの土石流が駒の湯を直撃。
想像したくもありません。
駒の湯で一杯。
登った後、湯浜で打ち上げ。そこで一杯。
登山なのか飲み会なのか。そんな思い出がたくさんあるところです。
そして温湯も。

「ご馳走はないけんどっしゃ。風呂だけはちゃんとしてからっしゃ。また来てけらいんね」

          涙
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地震から一週間 (六花)
2008-06-21 00:34:46
地震時はお見舞いありがとうございました。こちらにお邪魔するのが遅れまして…<(_ _)>
一昨日も仙台近辺にも感じる余震がありました。本当にどれだけ強かったのかと…栗原、花山に縁がある酔漢さんのご心情お察しします…
学者の方が地球の歴史は地震の繰り返しで、そのため山谷川ができて私達は偶然目撃しているだけ云々言ってましたが、恐れてばかりもいられないし全てのことを無駄にしないようにと思い祈るばかりです…
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「くりこま荘」に電話が・・・ (丹治)
2008-06-21 17:11:42
酔漢さんへ

昨日の昼頃「くりこま荘」に電話が通じました。幸いなことに従業員の皆さんも宿の建物も無事だとのことです。
一昨日の同じ時間に電話したら話し中。午後の遅い時間にかけたら呼び出し音が鳴るのみ。昨日の昼頃にやっと通じたのでした。きっと昼をはさんで何時間か一時帰宅が許されてるんでしょうね、あの地区は。
湯浜のことを尋ねたら「あちらのことは分らない」としながらも「(湯浜温泉は)別なとこに自宅があるから・・・或いは避難所に行っているのかも」とのことでした。
ただ昨日の河北朝刊の写真によれば、湯の倉温泉の建物の一階部分が水に漬って増す。下流の沢が土砂で堰き止められたんでしょうね。あそこは二三度、風呂を使いに行ったことがあります(正確に言えば、行きつけのスナックのマスターに連れて行ってもらった)。
林道のどん詰りで沢を渡って尾根一つ越えたとこ。河原に露天風呂がある訳ですから、沢底の河原にあるという点では駒の湯と地形的に似てますね。
川底といえば、湯浜も駒の湯とは地形的に似たところにあったと思います。高校同期のやはり山好き酒好き温泉好きという悪友によれば、「ボーリングで掘り当てた温泉でなければ、お湯が湧くのは地層が地表に露出する所」。だから山の宿の場合、沢の川床とか蔵王高湯みたいに爆裂火口の底など、地形的に似た所がおおいのだそうです。
それにしても土砂に流された駒の湯と一階が水に漬った湯の倉、そして湯浜は地形的に似た所。また駒の湯と「くりこま荘」は地形的な違いこそあれすぐ近く。戦争もさることながら、自然災害は紙一重の差で明暗が分れますね。
「丹治のことだから、栗駒を歩いてると思った」・・・学会から帰って、行きつけの居酒屋のお姐さんと同僚の英語教師から言われたことです。小生栗駒を歩いたのは、いずれもお盆近くから秋にかけて。「初夏の栗駒を歩きたい」とは常々思っていた所です。今回は沢釣りに出かけて行方不明になった方がいましたね。学会がなければ、あの日栗駒に行っていた可能性は極めて高かったのです(天気もよかったし)。
犠牲になった皆さんには、改めて心から御悔み申し上げます。
行方不明の皆さんの御無事を願って已みません。
幸いにして命をながらえた皆さん、何よりでした。
創作復旧作業に従っている皆さん、本当に御疲れ様です。
宮城岩手を問わず、被害が出た地域の一日も早い復興を祈るのみです。
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六花様へ コメント御礼 (酔漢です)
2008-06-21 21:34:04
「自身の誕生日が近づくと、地震が起きる」
と思わずにはいられなくなりました。
「宮城内陸地震」が7月にあったほかは、今回も6月。
宮城へ思いのある人達は、「6月地震」と思うのでしょうね。

お元気でいらっしゃるようですね。
先ほど、六花様のブログへおじゃましました。
今日公開の「あの映画」について、コメントをいたしました。
更新された時から、コメントをしようと思ったのですが、今日にしました!
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丹治様 栗駒への思い (酔漢です)
2008-06-21 21:44:00
同じでしょうか。
「東北のへそ」そして、2000m級の中央アルプスにも匹敵する厳しい自然と美しい植物群。
そして、その裾野に広がる雄大な自然。
「人々を頑として拒む」厳しさでもなく、「人々を癒すような」やさしさばかりではない
山の懐の深さを肌で感じる事のできる「山」ではないかと思います。
今回道がなくなりました「砥沢林道」
がけから落ちてきた「かもしか」に道をふさがれ、立ち往生した経験がございます。
まだ若い、かもしかでした。
車をみて、腰を抜かしたようですが、30分経って、再び崖を登っていきました。
そんな、思い出もあるのでした。
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もしかしたら・・・ (丹治)
2008-06-23 12:30:38
「丹治のことだから、てっきり栗駒に行ってると思った」・・・東京の学会から帰ってきて、同僚の英語教師と仙台駅前の行きつけの居酒屋のお姐さんから言われたことです。酔漢さんにも、同じ心配をかけてしまいましたね。
小生が栗駒を歩いたのは、いずれもお盆過ぎから秋にかけて。「初夏の栗駒を歩きたい、栗駒でイワカガミやシラネアオイ、アズマシャクナゲに会いたい」というのは、かねてからの念願でした(今でも)。ですから、天気もよかったし、学会とかち合いさえしなければ、あり得ぬ話ではなかったのです。
いつもの行動パターンなら、栗駒駅前から「いわかがみ平」に向う車中。ことによるとあの一山崩れた辺りを走っていたかもしれません。場合によっては、東栗駒コースの沢を渡っている最中だったかも・・・
今回の地震では渓流釣りに入った方が行方不明になったままだし(家族の皆さんの御気持、御察しします)、栗駒にいっていたら小生自身どうなっていたか分りません。
既に学会への出張申請を提出していたし(なにやら枕詞のつく出張はできませぬ)、その週の月曜の夜に風をひいていたし、きっと二重三重にブレーキがかかっていたんでしょうね。
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被災地の様子など (丹治)
2008-06-24 13:54:48
駒の湯では捜索は警察と消防が続行。陸上自衛隊は支援に回り、建物の解体を完了しました。とはいえ沢の水が次々に流れ込んで湿地状態。困難な状況にあるようです。
道路ですが、市道駒の湯線は、現在日影森地区まで通行可。駒の湯温泉までは七月中旬開通見込み。国道398号線は現在花山湖、松ノ原地区を経て浅布地区(水無橋)まで通行可。温湯温泉を通って市道鎌内線交差点までは七月上旬、湯浜温泉を経て秋田県境までは七月中旬開通見込み。但し当分は沿線住民、救急車等緊急車両、災害復旧の小路車両に通行を限定するそうです。荒砥沢地区の大規模地滑り部分では仮設道路を建設するとのこと(以上、河北新報による)。刊行など一般車両の通行はしばらく出来ませんが、そこはそれ復興第一ですね。
栗駒地区などの納入業者の大口取引先は、現在休業中の温泉保養施設。取引がなくなって大変だそうです。
しかし復興に向けた地元の取組みも始っています。地域おこしのイベントを開催して義捐金を募り、災害復旧に役立てようという計画を青年会議所だったか商店会だったかが立てているというニュースを今朝方見ました。
断水や電話不通地区もまだまだありますが、岩手県側では自衛隊が仮設浴場を設置。温泉施設が断水家庭に無料開放されています。
これから梅雨の長雨の時期です。崩れた土砂で出来た堰止湖の排水作業も進んでいますが、二次災害が心配です。
避難所生活を余儀なくされている皆さんが一日も早く我が家に戻れることを願っています。
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