玄関先にございました釣竿を勝手に持ち出しますと、奴さんピューとひとっ走り。
向島へやってまいりました。
「ついたよ。っと。いやがったねえぇ。何だよこんなに骨釣りに来てる奴がいやがって・・・・・おーーーい。骨(こつ)は釣れるか?骨(こつ)」(大声で叫ぶ)
「こつぅぅ?何言ってやがんでぇ。こちとら魚釣ってんだよ!」
「うそつきやがれ!手前ぇどんな骨がいいんんだ?新増か?年増か?泡喰っておかまなんか釣るなぁ!」(←これ談志師匠のそのまま)
他の釣師達、目を丸くしている様子。
「おい、おい変な奴が来やがったな。おい。『骨』だってよ。なんか目が血走ってやがる・・・おい、こっち来やがったぞ。兄さん、ちょっとそこ・・釣竿を一回挙げてくんねぇ。餌箱そっちで・・あんな奴のそばにいたら釣にならねぇからね。すこしどけやしょうか・・あっつ!こっち来やがる・・」
「何ひそひそ話してんだよ。そっちいくぞぉ! どっこいしょのしょ!」
「あのやろう、水たまりの上に座りやがった!見てると面白いから、見てやしょうか」
「まだぶつくさ言ってやがんなぁ。言われっぱなしで『ああそうですか』と帰っていくお兄ぃさんと出来がちがうんでぇ」釣竿に付いている糸をくるくる巻きながら伸ばしていくそぶり。池に糸を投げ入れる。
「さぁ来い!骨釣るぞぉぉ」
「もしもし、あのぉ。さっきから骨、骨って言ってますけれども、お魚釣っているんです・・・が・・それと餌がなくっちゃ、釣はできやせんぜ」
「何を!餌がなくっちゃ釣れません?餌なんかいるか!うそつきやがって!こちとらぜぇーんぶお見通しなんだ!こら!俺はおめぇなんかに骨釣られてた・ま・る・か・ヨ!」
竿を振り回す。
「ダメだ。もう見てた方が面白いや」
「よつ!諦めて帰りやがる。いいぞぉースチャラカチャン(竿振り回しながら、歌を歌いだす。都都逸風)スチャラカチャン かぜぇがさっと吹きゃ上げ潮南さ からすがパットでりゃ こりゃさのさ 骨があるよ サイノサイ スチャラカチャンたらスチャラカチャン」
「ちょいとそこの旦那、そんなに竿振り回して大声あげてかき回したんじゃ、お魚逃げてしまうんですが・・・」
「うるせぇ!おい魚が逃げるだと?いいやがったな、コンチクショウ。魚に耳があるかよ!耳が!それと『かき回したぁ』だと?かき回すってなぁおせぇてやらぁ・・こうや・る・ん・だ・ヨ!」
「本当にかき回しやがった!もうこりゃ釣になりません。」
「ただ、竿を振り回すんでなくて、周りの状況を想像しながら、振りまわさないと、何を振り回しているのか、解らないよ」
そうなのです。ある程度、竿の長さと重さも演出しなくては、聞いている人には伝わりません。本物の釣竿で実験しましたが、簡単にはいきません。話は変わりますが、江戸時代の釣竿はそんなには長く出来ていなかったようです。6尺~8尺といいますから。スーパーの棚の約2枚分の長さです。
ご指摘を受けてます。
よく、「時そば」をやります時「指が中に入っている!」とか「こぼれている!」
とか「おまぇの持っている器はゴムで出来てるのか!」と注意されるのですが、それと似たような指摘を受けます。
「目が笑ってないよなぁ」
「何っしゃ?」
「これやるとき、本気で馬鹿にならないと、聞いてて面白くならないよ」
これには、参った!
ですが、これが出来て受けたときの快感は、他の噺と違う「野晒し」の面白いところなのでした。
八っつあんの独り言はまだまだ続いております。
「でもよ。先生のとこに来た幽ちゃん。ちぃと年が若すぎたよな。どうせならおつな年増がいいんだよねぇ。カラコン・カラコン(下駄の音)カラコンカーラコン頭の上から声だすよ『こんばんわぁ』誰だい?『わたしぃ。向島からキ・タ・ノ』なぁーーんだ幽ちゃんか。こっちこいよ。『あいよ』ってんで、俺のそば来てべったり座る・・」
「あの馬鹿池んなかすわりやがった」
そして、また歌いだす。
「そのまた骨にさぁ酒をばかけたらな。骨がべべ来てこりゃさのさぁ 礼に来るよサイノサイ!そりゃ スチャラカチャンたらスチャラカチャン スチャラカチャン」(さっきより激しく竿を振り間す)
「スチャラカチャンたらスチャラカチャン。スチャラカチャンたらスチャラカチャン。スチャラカチャンたらスチャ スッチャ いてぇぇぇぇぇっぇ!」
「ぷぅぅー(吹きだす)あの馬鹿。自分で自分の鼻釣っちめぇやがった!」
「いてぇ!取ってよぉ!おい!誰か取ってよぉ!」(誰も取らない)
「いいよぉ。てめぇでとらぁ! ヨッ! と いてぇ。いてぇ おっ取れやがった! あらら 鼻血が出来やがった。はなちにならねぇや」(洒落。小三治師匠よりそのまま・・)
「おい誰だぁ。こんな所に針なんか付けやがって!あぶねぇくてしょうがねぇや。骨釣るのに針なんかいるかぁ!とっちめぇ!さぁ コイ!」
「あの馬鹿針取っちゃたよ」
「野晒しの一席でございます」←あん好。ここで落ち。
「落ち」の種類で言いますれば「途端落ち」という奴です。文字通り「話を寸断させるような落ち」とでも言いましょうか。ですがクライマックスからいきなり落とすわけでございます。客は面喰らって終わりです。
ですから、その直前まで笑いを取り続けなくてはいけません。
「落語の落とし方」といたしましては「美しくない落とし方」ではございます。
「野晒し」は、現在ここで落とす噺家さんが殆どです。酔漢=あん好もそうしました。お手本はご紹介しました立川談志師匠と柳家小三治師匠。一番最初にこの噺を小学生の頃聞きましたのが先々代の「春風亭柳枝」師匠のものです。いづれの師匠もしかりでございました。
ですが、これこの落ちでも、途中であると言う事は案外知られておりません。
少し、ご紹介いたしますとこうなります。
八っつあん。葦の草原で、鳥が飛び立つのを見ます。
「なぁんだからすじゃねぇのか。ムク鳥か。まぁ同じだ、行ってみよ」
と、葦を掻き分けてみますとそこには骨がゴロリ。
八っつあん、用意していた酒をかけます。
そこへ向かえた夜。八っつあん家の戸を叩く者が。ここぞとばかり開けますと太鼓持ちが一人。
「こんばんわ新町の太鼓でゲス。お礼に参じました」
「しまった!昨日の骨は馬の骨だった」
これが、野晒し最終形態です。馬=馬喰町>新町で太鼓持ちが大勢住んでいた。という落ちです。今地名がすぐさま出てくる人が少ないので、途端落ちのまま、それがメジャーになった話です。
高校の発表会。日立ファミリーセンターで行われました。
市内落研では三女高と向山の二高でございましたが、三女高のきれいどこ?を前にして「スチャラカチャン」でデビューいたしました「あん好」でございました。
ムリしたよなぁ。今にして思えば・・。
向島へやってまいりました。
「ついたよ。っと。いやがったねえぇ。何だよこんなに骨釣りに来てる奴がいやがって・・・・・おーーーい。骨(こつ)は釣れるか?骨(こつ)」(大声で叫ぶ)
「こつぅぅ?何言ってやがんでぇ。こちとら魚釣ってんだよ!」
「うそつきやがれ!手前ぇどんな骨がいいんんだ?新増か?年増か?泡喰っておかまなんか釣るなぁ!」(←これ談志師匠のそのまま)
他の釣師達、目を丸くしている様子。
「おい、おい変な奴が来やがったな。おい。『骨』だってよ。なんか目が血走ってやがる・・・おい、こっち来やがったぞ。兄さん、ちょっとそこ・・釣竿を一回挙げてくんねぇ。餌箱そっちで・・あんな奴のそばにいたら釣にならねぇからね。すこしどけやしょうか・・あっつ!こっち来やがる・・」
「何ひそひそ話してんだよ。そっちいくぞぉ! どっこいしょのしょ!」
「あのやろう、水たまりの上に座りやがった!見てると面白いから、見てやしょうか」
「まだぶつくさ言ってやがんなぁ。言われっぱなしで『ああそうですか』と帰っていくお兄ぃさんと出来がちがうんでぇ」釣竿に付いている糸をくるくる巻きながら伸ばしていくそぶり。池に糸を投げ入れる。
「さぁ来い!骨釣るぞぉぉ」
「もしもし、あのぉ。さっきから骨、骨って言ってますけれども、お魚釣っているんです・・・が・・それと餌がなくっちゃ、釣はできやせんぜ」
「何を!餌がなくっちゃ釣れません?餌なんかいるか!うそつきやがって!こちとらぜぇーんぶお見通しなんだ!こら!俺はおめぇなんかに骨釣られてた・ま・る・か・ヨ!」
竿を振り回す。
「ダメだ。もう見てた方が面白いや」
「よつ!諦めて帰りやがる。いいぞぉースチャラカチャン(竿振り回しながら、歌を歌いだす。都都逸風)スチャラカチャン かぜぇがさっと吹きゃ上げ潮南さ からすがパットでりゃ こりゃさのさ 骨があるよ サイノサイ スチャラカチャンたらスチャラカチャン」
「ちょいとそこの旦那、そんなに竿振り回して大声あげてかき回したんじゃ、お魚逃げてしまうんですが・・・」
「うるせぇ!おい魚が逃げるだと?いいやがったな、コンチクショウ。魚に耳があるかよ!耳が!それと『かき回したぁ』だと?かき回すってなぁおせぇてやらぁ・・こうや・る・ん・だ・ヨ!」
「本当にかき回しやがった!もうこりゃ釣になりません。」
「ただ、竿を振り回すんでなくて、周りの状況を想像しながら、振りまわさないと、何を振り回しているのか、解らないよ」
そうなのです。ある程度、竿の長さと重さも演出しなくては、聞いている人には伝わりません。本物の釣竿で実験しましたが、簡単にはいきません。話は変わりますが、江戸時代の釣竿はそんなには長く出来ていなかったようです。6尺~8尺といいますから。スーパーの棚の約2枚分の長さです。
ご指摘を受けてます。
よく、「時そば」をやります時「指が中に入っている!」とか「こぼれている!」
とか「おまぇの持っている器はゴムで出来てるのか!」と注意されるのですが、それと似たような指摘を受けます。
「目が笑ってないよなぁ」
「何っしゃ?」
「これやるとき、本気で馬鹿にならないと、聞いてて面白くならないよ」
これには、参った!
ですが、これが出来て受けたときの快感は、他の噺と違う「野晒し」の面白いところなのでした。
八っつあんの独り言はまだまだ続いております。
「でもよ。先生のとこに来た幽ちゃん。ちぃと年が若すぎたよな。どうせならおつな年増がいいんだよねぇ。カラコン・カラコン(下駄の音)カラコンカーラコン頭の上から声だすよ『こんばんわぁ』誰だい?『わたしぃ。向島からキ・タ・ノ』なぁーーんだ幽ちゃんか。こっちこいよ。『あいよ』ってんで、俺のそば来てべったり座る・・」
「あの馬鹿池んなかすわりやがった」
そして、また歌いだす。
「そのまた骨にさぁ酒をばかけたらな。骨がべべ来てこりゃさのさぁ 礼に来るよサイノサイ!そりゃ スチャラカチャンたらスチャラカチャン スチャラカチャン」(さっきより激しく竿を振り間す)
「スチャラカチャンたらスチャラカチャン。スチャラカチャンたらスチャラカチャン。スチャラカチャンたらスチャ スッチャ いてぇぇぇぇぇっぇ!」
「ぷぅぅー(吹きだす)あの馬鹿。自分で自分の鼻釣っちめぇやがった!」
「いてぇ!取ってよぉ!おい!誰か取ってよぉ!」(誰も取らない)
「いいよぉ。てめぇでとらぁ! ヨッ! と いてぇ。いてぇ おっ取れやがった! あらら 鼻血が出来やがった。はなちにならねぇや」(洒落。小三治師匠よりそのまま・・)
「おい誰だぁ。こんな所に針なんか付けやがって!あぶねぇくてしょうがねぇや。骨釣るのに針なんかいるかぁ!とっちめぇ!さぁ コイ!」
「あの馬鹿針取っちゃたよ」
「野晒しの一席でございます」←あん好。ここで落ち。
「落ち」の種類で言いますれば「途端落ち」という奴です。文字通り「話を寸断させるような落ち」とでも言いましょうか。ですがクライマックスからいきなり落とすわけでございます。客は面喰らって終わりです。
ですから、その直前まで笑いを取り続けなくてはいけません。
「落語の落とし方」といたしましては「美しくない落とし方」ではございます。
「野晒し」は、現在ここで落とす噺家さんが殆どです。酔漢=あん好もそうしました。お手本はご紹介しました立川談志師匠と柳家小三治師匠。一番最初にこの噺を小学生の頃聞きましたのが先々代の「春風亭柳枝」師匠のものです。いづれの師匠もしかりでございました。
ですが、これこの落ちでも、途中であると言う事は案外知られておりません。
少し、ご紹介いたしますとこうなります。
八っつあん。葦の草原で、鳥が飛び立つのを見ます。
「なぁんだからすじゃねぇのか。ムク鳥か。まぁ同じだ、行ってみよ」
と、葦を掻き分けてみますとそこには骨がゴロリ。
八っつあん、用意していた酒をかけます。
そこへ向かえた夜。八っつあん家の戸を叩く者が。ここぞとばかり開けますと太鼓持ちが一人。
「こんばんわ新町の太鼓でゲス。お礼に参じました」
「しまった!昨日の骨は馬の骨だった」
これが、野晒し最終形態です。馬=馬喰町>新町で太鼓持ちが大勢住んでいた。という落ちです。今地名がすぐさま出てくる人が少ないので、途端落ちのまま、それがメジャーになった話です。
高校の発表会。日立ファミリーセンターで行われました。
市内落研では三女高と向山の二高でございましたが、三女高のきれいどこ?を前にして「スチャラカチャン」でデビューいたしました「あん好」でございました。
ムリしたよなぁ。今にして思えば・・。
話題が応援団から相撲、落研と酔漢さんの硬軟?経験の多さや山ちゃんの話とかにも驚きつつ…('〇';) 仙台(大学)に落語文化あったのですね。すみません、親の世代の伝統芸能くらいに思ってたのでまともに聞いたこともなく…でも東京は毎日寄席があり身近な文化ということで子供も修学旅行で末広亭行きました。手品や漫才、落語と盛りだくさんで東京行ったらこういうとこ見るべきでしたね。「途端落ち」の話、なるほどです。でも酔漢さんが落語とはちょっと意外な感じですが、見てみたいですネ♪
でも酔漢さんの大学時代の寄席は何度か聞かせてもらいました。懐かしいです。そして素人の私でも笑えるお話が多かったような気がします。
六花さん、酔漢さんの高座姿は、なかなか堂に入っていましたよ。
落語と芝居とで、仙台のホールには何度か出没いたしました。老人ホームでも何度か・・。
決して上手いのではないのですがそれなりに「あん好の落語」ではあったかな?と(これは)自負しております。(少し照れてます)
趣味です。が、仙台で知り合いましたレベルの高いアマチュアの落語を紹介したいと思いました。よろしければしばしお付き合い下さいませ
ありがとうございました。
丹治様は私ばかりではなく、私の周りにおりました「個性の塊」のような人達の噺も聞いておられますよね!
みんなこれから登場してまいります。
もちろんあのお方も・・・
「頂上」では衣料品のバイヤーも担当しておりました。
私の「バリバリやってた」時代です(今はヨレヨレ時代ってとこかな)。
その「頂上」と志の輔師匠とは交流がありまして、ずいぶん前に私もじかに会ったことがあります。
新宿の末広亭は、昨日も会社からの帰宅途上で通りました。
客寄せ?のお兄さんが、手持ち無沙汰風でした。
三女高のきれいどこ?はいいですね。
変なところに反応してしまうひー様です。
ウッシシー!
丹治さんへ
酔漢さんの高座姿、決まってたでしょうね~想像がふくらみます(?)日立ファミリーセンターもよく行ってたので、きっと皆さんともすれ違っていたんでしょうね…☆彡
当時確か6名で活動中でした。仙台市内高校でクラブではなく部として活動していたのは、向山と三女でした。
日立で定期公演をしていたのが、向山だけだったと記憶しています。
実は、どんな落語会でも、高座へ上がる前は緊張しっぱなし。
座布団に座ったとたんに、落ち着くのでした。
ある意味開き直りでした。
最後までこの感覚は変わりませんでした。
出囃子が最初に流れる瞬間がいつも心臓バクバクでした。
年末のこの時期、酔漢多忙を極めております。
お解かりいただけるかと存じます。
ときたま、末広でもお出かけになればよrしいのかと・・末広は意外性のある寄席でございます。
一度、どんな形でもお聞きなれば、その魅力がお解かりいただけるかと思います。
面白い話なので、(落語ですから・・)
まずは最後まで、一つの話を聞いてみてください。はまりますヨ!