前回、「今年最後のくだまき」といたしました。
コメントも多数頂戴しておりますが、その返礼もしてないままでございます。
お詫び申し上げます。
写真は、昨日の夕刊。
この記事から「語りたいこと」がございました。
少しの間ですが、おつきあいの程よろしくお願い申し上げます。
鈴木清順監督作品の「陽炎座」が封切られました。
前作「ツィゴイネルワイゼン」は、自身が見た映画の中では、ベストに近い作品でした。
その後の作品。
「原田芳雄」さんが出演し、「松田優作」さんが主演。
これは見逃せません。
二本立ての興行でした。もう一本が「の・ようなもの」。
「森田芳光?新人の監督だべ。何者っしゃ」
この位の認識しかございませんでした。
ところが。
日活ロマンポルノのような雰囲気。しかも全編落語。
自身が落語をしておりましたので、その中身に引き込まれたのでした。
あのカメラワーク。しかも、間の取り方が落語。
不思議と見入ってしまったのでした。
「天才?んだども・・・・8ミリで撮ったようなアングルばりで、アマチュアでも相当だったんだべな」
このぐらいの知識しかなかったのでした。
「大森一樹監督」を知って二年。
「日本映画がおもせぐなった」こんな時代だったと思うのです。
「森田芳光」という名は、僕の頭の中にしっかりインプットされたのでした。
その後、酔漢は大学落語研究会に所属します。
同期に「波麗留家幸良州」君もおりました。
彼はその後、福祉大落語研究会を辞めます。ですが、教育大学落語研究会発足と同時に席を移します。
彼の落語が聞けなくなる。
これは、残念。
ですから、酔漢が誘いました。
落語のスタイルは、彼独特のものでした。
好きな落語家は「(先代)林家正三師匠」彼の十八番は「紀州」
以前くだまきでは「禁酒番屋」を演じて頂きました。
「仙台与太郎物語 笑わない男 1~4」
ここで、彼のエピソード。大学研究室では、酔漢、家内とも同級。
酔漢がニューヨークへ行っている間に研究室の打ち上げ会が、鳴子の旅館で行われました。
その宴会の席。彼は、「三波春雄 『忠臣蔵 松の廊下』」を全て諳んじ、見事に演じきったのでありました。
「凄すぎて・・・笑えなかった・・」とは、家内の談でした。
その彼との会話です。
「酔漢は高校の時から落研にいたんだよな?」
「んだっちゃ。んでも中学の頃から落語はやってたべ」
「俺は高校の時からだな。(栃木県 今市高校)」
「やっぱすぃ落研あったのすか?」
「あったことはあった。でも、中学(日光市立東中学校)の先輩が、有名人になって・・」
「誰っしゃ?」
「『伊藤克信』って知ってっか?」
「『森田芳光監督』作品『の・ようなもの』さぁ出てた人だすぺ?」
「酔漢は流石に観てたんだな」
「んだ。8回は観たべ」
「あの映画を8回もか?」
「んだども、同時公開が『陽炎座』だったかんな。そっちがメインっちゃぁメインだなや」
「どう感じた?」
「あれは、落語の世界だなや。おもせがった」
「先輩は東京の城西大学で落研だった」
「なるほどな。どうりで本当の素人ではなかったわけだっちゃ」
映画をくだまきにするのは、まだ先だと考えておりました。
以前も語りましたが、十八の頃。一年間の日数以上に映画を観てました。
「乱観?」(こんな日本語はないのですが・・)
予備校に行く時間も惜しんで(父上すまん!)映画館通いを続けておりました。
「映画からは多くの事を学んだ」これは事実なのです。
映画の師匠が一人おりまして、中学時代の先輩なのですが。
「映画を観まくったのはお前の他にはいない『いわい』より観ている」
よく映画の話しになりますと、こう言われました。
(「いわい」君と酔漢の接点。やはり仙台は狭い・・)
さて、写真の新聞記事。
昨日の読売新聞夕刊からです。
「今日は談志師匠のお別れの会だった」と思い出し、その記事を読もうとしたところ、平行するように「森田芳光監督の死去」の記事。
酔漢の中では、「森田監督=落語」という構図になっております。
森田監督が日大芸術へ入学した時、落語研究会の門を叩きます。
当時の部長が「高田文夫氏」。
「映画の中で落語を表現」することは自然な流れだったのかもしれません。
「今日の天気は・・・・・あ・・・・メ・・・だ!」
と、途端に。
快晴!
「なんなんだ!何を言いたいのだぁぁぁ!」
「彼が高座に上がると、これはテクノ落語と言って・・・・あまり・・面白くナイ!」
テクノ落語?シンセサイザーの響き・・・すか?
「しんとと」の飄々とした物腰と、間抜けな行動は与太郎以上。
尾藤イサオさんの演技がまた面白くて・・。
「家族ゲーム」は、代表作と、これは間違いないところですが、「酔漢流」ですと「の・ようなもの」となるわけです。
共通する先輩の結婚式会場。
酔漢のとなりには「いわい」君が座っておりました。
しばし、映画の話題。
「酔漢はだいぶ映画観たんンだってな?」
「数だけだっちゃ。とても『いわい』君みてぇにカメラまわせねぇおん」(酔漢、映画作成の経験だけはあります・・)
その席での彼。
「アカデミー賞作品賞に一番近い監督は『森田芳光』さんだと思う」
真顔で話しておりました。
「そのうち、あんだがとんだすぺ!楽しみにしってからっしゃ」
酔漢の本気に彼は笑っておりました。
談志師匠の「お別れの会」
上映されたのは師匠の「芝浜」。
「よそう・・・また夢になるといけねぇ・・・」
今日。
冬至。
「芝浜」の時期。
思い出すこと・・多々。
コメントも多数頂戴しておりますが、その返礼もしてないままでございます。
お詫び申し上げます。
写真は、昨日の夕刊。
この記事から「語りたいこと」がございました。
少しの間ですが、おつきあいの程よろしくお願い申し上げます。
鈴木清順監督作品の「陽炎座」が封切られました。
前作「ツィゴイネルワイゼン」は、自身が見た映画の中では、ベストに近い作品でした。
その後の作品。
「原田芳雄」さんが出演し、「松田優作」さんが主演。
これは見逃せません。
二本立ての興行でした。もう一本が「の・ようなもの」。
「森田芳光?新人の監督だべ。何者っしゃ」
この位の認識しかございませんでした。
ところが。
日活ロマンポルノのような雰囲気。しかも全編落語。
自身が落語をしておりましたので、その中身に引き込まれたのでした。
あのカメラワーク。しかも、間の取り方が落語。
不思議と見入ってしまったのでした。
「天才?んだども・・・・8ミリで撮ったようなアングルばりで、アマチュアでも相当だったんだべな」
このぐらいの知識しかなかったのでした。
「大森一樹監督」を知って二年。
「日本映画がおもせぐなった」こんな時代だったと思うのです。
「森田芳光」という名は、僕の頭の中にしっかりインプットされたのでした。
その後、酔漢は大学落語研究会に所属します。
同期に「波麗留家幸良州」君もおりました。
彼はその後、福祉大落語研究会を辞めます。ですが、教育大学落語研究会発足と同時に席を移します。
彼の落語が聞けなくなる。
これは、残念。
ですから、酔漢が誘いました。
落語のスタイルは、彼独特のものでした。
好きな落語家は「(先代)林家正三師匠」彼の十八番は「紀州」
以前くだまきでは「禁酒番屋」を演じて頂きました。
「仙台与太郎物語 笑わない男 1~4」
ここで、彼のエピソード。大学研究室では、酔漢、家内とも同級。
酔漢がニューヨークへ行っている間に研究室の打ち上げ会が、鳴子の旅館で行われました。
その宴会の席。彼は、「三波春雄 『忠臣蔵 松の廊下』」を全て諳んじ、見事に演じきったのでありました。
「凄すぎて・・・笑えなかった・・」とは、家内の談でした。
その彼との会話です。
「酔漢は高校の時から落研にいたんだよな?」
「んだっちゃ。んでも中学の頃から落語はやってたべ」
「俺は高校の時からだな。(栃木県 今市高校)」
「やっぱすぃ落研あったのすか?」
「あったことはあった。でも、中学(日光市立東中学校)の先輩が、有名人になって・・」
「誰っしゃ?」
「『伊藤克信』って知ってっか?」
「『森田芳光監督』作品『の・ようなもの』さぁ出てた人だすぺ?」
「酔漢は流石に観てたんだな」
「んだ。8回は観たべ」
「あの映画を8回もか?」
「んだども、同時公開が『陽炎座』だったかんな。そっちがメインっちゃぁメインだなや」
「どう感じた?」
「あれは、落語の世界だなや。おもせがった」
「先輩は東京の城西大学で落研だった」
「なるほどな。どうりで本当の素人ではなかったわけだっちゃ」
映画をくだまきにするのは、まだ先だと考えておりました。
以前も語りましたが、十八の頃。一年間の日数以上に映画を観てました。
「乱観?」(こんな日本語はないのですが・・)
予備校に行く時間も惜しんで(父上すまん!)映画館通いを続けておりました。
「映画からは多くの事を学んだ」これは事実なのです。
映画の師匠が一人おりまして、中学時代の先輩なのですが。
「映画を観まくったのはお前の他にはいない『いわい』より観ている」
よく映画の話しになりますと、こう言われました。
(「いわい」君と酔漢の接点。やはり仙台は狭い・・)
さて、写真の新聞記事。
昨日の読売新聞夕刊からです。
「今日は談志師匠のお別れの会だった」と思い出し、その記事を読もうとしたところ、平行するように「森田芳光監督の死去」の記事。
酔漢の中では、「森田監督=落語」という構図になっております。
森田監督が日大芸術へ入学した時、落語研究会の門を叩きます。
当時の部長が「高田文夫氏」。
「映画の中で落語を表現」することは自然な流れだったのかもしれません。
「今日の天気は・・・・・あ・・・・メ・・・だ!」
と、途端に。
快晴!
「なんなんだ!何を言いたいのだぁぁぁ!」
「彼が高座に上がると、これはテクノ落語と言って・・・・あまり・・面白くナイ!」
テクノ落語?シンセサイザーの響き・・・すか?
「しんとと」の飄々とした物腰と、間抜けな行動は与太郎以上。
尾藤イサオさんの演技がまた面白くて・・。
「家族ゲーム」は、代表作と、これは間違いないところですが、「酔漢流」ですと「の・ようなもの」となるわけです。
共通する先輩の結婚式会場。
酔漢のとなりには「いわい」君が座っておりました。
しばし、映画の話題。
「酔漢はだいぶ映画観たんンだってな?」
「数だけだっちゃ。とても『いわい』君みてぇにカメラまわせねぇおん」(酔漢、映画作成の経験だけはあります・・)
その席での彼。
「アカデミー賞作品賞に一番近い監督は『森田芳光』さんだと思う」
真顔で話しておりました。
「そのうち、あんだがとんだすぺ!楽しみにしってからっしゃ」
酔漢の本気に彼は笑っておりました。
談志師匠の「お別れの会」
上映されたのは師匠の「芝浜」。
「よそう・・・また夢になるといけねぇ・・・」
今日。
冬至。
「芝浜」の時期。
思い出すこと・・多々。
「いわい」君の話もいつか聞かせてくださいね。