「ニコニコ動画」へのアクセスが今だ出来ずにおります。
最初にお断りいたしておきますが、「ニコ動」で「落語⇒鼠穴」で検索いたしますと、映像がなくて残念ではありますが「立川談志」師匠と「柳家小三治」師匠の「鼠穴」を聞くことができます。
まずは御一聴を。この噺を見てからでもよろしいのですが、お時間がございましたら、是非。
では、「鼠穴」御紹介いたします。
「旦那(だァ)さん、えェお国から、あの、竹次郎さんという方がお見えになりまして・・」
「うん?竹次郎?うん、おらの弟だ。おう、こっちぃ通せ・・おぅ、どうした、まぁええ。こちいぃ、入れ(へえれ)」
「(丁寧にお辞儀をして)あにさん、お久しぶりでございます」
「あつ、はははは、久しぶりだなぁぁぁぁ・・・いやぁぁ・・国元で別れた自分は、まだまだ子供離れがしなかったが、いやぁぁ、立派に大人になったなぁぁ。うん。まぁ、まぁ、もっと前(めぇ)に来(こ)。何(あん)だ?うん?江戸見物にでも来たのか?」
「いやね、・・・そんな浮いたこっちゃねぇが・・・・じ・実はね・・・あ・兄さん(あにさん⇒以下竹は『あにさん』と呼んでいる)に・・・少ぅしぃ・・頼みがあって・・・そいでもって来やした・・・」
「何だなぁ?えぇ?頼み事っちゃ・・・ええ?何(あん)だぁ?」
「いやねぇ・・・・(と、ちょっと言い澱み)父っあんが死ぬときに兄さんと俺(おら)へ身代(しんでぇ)分けてくだすっただ。兄さんは、すぐにそれを金にして、江戸へ出なすった・・今じゃぁ、(と、部屋の中を見回して)こんな、江戸中に聞こえるような大棚の主になっていなさる。俺ぁ、故郷(くに)で百姓ぶっていたが、悪い友達が出来て、茶屋酒覚えてぇ、女子(あまっこ)にとろけて、田地田畑みんなもう売り払っちまった。俺ぁが悪い、俺ぁが悪いこたぁあ解っている。いる。・・だども・・だども兄さん!これじゃぁ、死んだ父つぁまに申し訳ネェ。・・・何とか、兄さんにたのんで、奉公ぶたしてもらって・・一生懸命稼いで、半分でも取り返してぇ・・兄さん、お願ぇだ、奉公ぶたしてもらえねぇべか・・・兄さんも俺ぁが弟だって思ったら、使いずれぇべ。どうか兄弟(きょうでぇ)と思わずに使っておくんなせぇまし・・またぁ辛ぇ事があるだども、俺ぁも他人だとおもいやして辛抱しやすんで・・・ねぇ兄さん、ひとつ・ひとつ・・お願ぇ申しますんで・・」
(深々と頭をさげる竹次郎、何度もさげる)
「まぁ、まぁ、何んだ(あんだ)なぁ、そうそう頭ぁ下げる事ぁねえぇって・・なぁ竹」
(しばらく、黙ったまま、竹次郎を見ている・・・口を開く・・・)
「そうかぇぇぇ・・・あぁ、俺ぁが江戸さぁ出ている間に、そんな事があったなぁ、まぁなぁ、竹よ。まぁ、いいや、まぁ、なぁ。いいやちゅうなぁな、汝(われ)が悪いと気づいたからだ、なぁ。うん。一番悪いぃ事ぁ気づかずにいる奴の事だ・・なぁうん・・汝が悪いと気がつけば、使った金は無駄にはならねぇ。勉強代と思えばいいだけさぁなぁ竹。しかしなぁ、竹、お前ぇ奉公ぶつだと言うがぁ・・・そりゃ俺ぇんとこの奉公人さぁなるっちゅうなぁ簡単な事だべ。だけどよ竹、そりゃつまんねぇ事だ(こんだ)。仮に俺ぁんとこでねぐてもだ、どこへ奉公するにしても汝が器量で百両儲けたとする。主人の前へ銭ッ子持っていくだ、なぁ『今度の商い(あきねぇ)でこれだけ儲けました』『ご苦労様』の一言はあっかもしんねぇ、しんねぇけどもよ竹、お前ぇさんの取り分は何ぼだ?うん?ま、くれてたかだか十両、五両か・・・・一文もくれねぇといって苦情いうわけにもいかねぇ、なぁ。それよりどうだ、商売ぶってみろ、うん?そうすりゃ一両しきゃ儲からねぇ時は一両、もし百両儲ければそれが汝のもんになる。な?その方がええ。のう竹、汝自分で商売ぶってみろや!それが一番ええちゅうもんだべ」
「はっ、兄さん。それは、それにこしたこたぁねぇだが・・・何せ、元がねぇだべ。・・兄さんしたらばそのぉ、商売の元さぁ貸しておもらいもうしてえぇ」
「そうか、その気になったか、のお竹。いやぁいいとも・・・(と、奥にいるような番頭を呼んで、何やら小声で話す。すると、奥から包みをこさえ来た心で・・)さぁさぁ、この中に商売の元を入れておいただ。あぁ、大事(でぇじ)なもんだべ、なくさねぇように、しっかり懐さぁいれてだなぁ・・・いいか!竹」
「はい!ありがとうごぜぇます!兄さん本当にありがとうごぜぇます!そんじゃぁ、あっしもこれから早速かからさせていただきます。またぁ、ちょっくら目鼻ついたら兄さんさんとこへ寄らさせてもらいますだ。はい・・・ごめんなさいまし・・・・(店をでる際)では、番頭さん、ごめんくださいまし・・(店を出て、外へと歩き出す竹次郎)・・あぁぁ、やっぱしぃ、兄さんだ。血を分けた兄弟(きょうでぇ)てぇなぁ、いいもんだべ。故郷(くに)の者(もん)は、なぁんって言ってる?『お前(おめぇ)の兄貴は、ありゃ、人間じゃぁねぇ、鬼だ!尋ねて行っても茶の一杯(いっぺい)も出さねぇ。金稼ぎにばかり頭ぁ、使ってる鬼みてぇな奴だ』・・なんて・・・へへへ・・・兄さんの事だべ、やはり
弟のおらぁさは、商い(あきねぇ)の元さぁ貸してくだすっただ。ありがてぇこった。
(と言いながら、中身の封筒を覗き込む。そして、中身を書き出すように、封筒の中から金銭を手のひらへと取り出す。手が怒りに震える。怒りだす竹次郎)
あ?あ・・・あ?何(あん)だぁ!!こりゃぁぁぁ!さ・三文。三文入ぇってる!三文だぁ!?ふざけるなぁ!よくも、さっきは言いやがった!『大事な商売の元手だ。失くさねぇようにすろ!』って。(怒り心頭の竹次郎である。吐き出すように、声を荒げて・・)
馬鹿にしやがって!三文べえの銭、なくすもなくさねぇもなかんべぇ!!だんだ!こんなも・・・・ん・・・(と、三文いりの包みを、放り投げようと、右手を高く挙げる。だが、すぐさま、ふと、手を降ろす。考え直す)・・いや、そうでねぇ。今の俺ぁ、こればっかっしの銭、もっちゃいねぇ。地べた掘ったところで、出てきやしねぇ。三文、三文でも商売はできねぇ事ぁねぇ。やってみっぺ!」
三文という、金。今では、どうでしょう。おおよそ30円。それ以下かもしれません。
何が買えるかと申しますと。真っ先に浮かびますのが「うまかぼう」ではございますが、それじゃぁ、商売にも何にもなりません。
竹次郎さんも、三文でどうするか、何が買えるか探しておりました。
そして、米屋の店先でふと思いつくものがございます。「空き俵」でございます。
その、空き俵を売ってもらおうかと思いましたが、三文では買えません。そこで、あの俵の上へ乗せる丸い、『さんだらぼっち』というものがありまして、こいつぁ買えました。田舎の人ですから、手先は器用。こいつを上手く解くってぇいいますと、またよります。出来上がりましたのは緡(さし⇒銭さし)でございました。当時の貨幣は、穴が開いておりまして、もっとも、今でも五円や五十円硬貨には穴が開いておりますが、これには意味がございます。紐とかで通して勘定しやすいようにするためなんですね。特に、江戸時代の商人達は、銭箱へ放り込むんです。これで、店を閉めた時間に勘定するのですが、この緡というものに、お金を通して勘定いたしました。当時の必需品でございます。これをこしらえて売って歩いた。三文のお金が六文になった。「これは、売れる」と思いまして、またさんだらぼっちを買って、緡をこしらえます。十二文、二十四文となって、今度は空き俵が買えました。これを解きますてぇと、今度はわらじを作り始めます。そのあまりで、緡をこさえて・・・まぁこんな事を繰り返してぇいく内に、わずかではあったものの、商いの元手(もと)が出来ました。商売をはじめます。商売たって、一つだけじゃありません。竹次郎さん、朝から晩まで働きます。
朝早く起きるてぇと
「なっと、なっとぉぉーー。なっと!」
納豆売って帰って来る。昼前になると
「(天秤を担いでいる様子で)きんちゃぁーーん。あまいよぉぉぉ」
てんで、茹で小豆を売りまして、暮れ方になると
「(天秤を担いでいる様子)うでぇだぁぁしぃぃーう・どぉぉーん」
夜になると
「(盤台をかついで)お・いなぁぁりぃぃさぁぁんんん!」
稲荷寿司を売る。
真夜中になるてぇと、「泥棒の提灯持ち」までしたという・・・ま、それはどうだかわかりませんが、よくあんなに身体が続くものかと思われるくらいに働きます。
「・・・おいつく貧乏神はいない」と言われます。
「夢を見る間もない」とも言われます。
夢なんて見るもんだと思われる方もいらっしゃいますでしょうが、人間というものは、五臓がちゃんと健全であれば夢を見る事はないんだそうでございます。五臓。当時の言葉ではございますが「肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓」これを五臓といいます。このいずれかが、衰えてまいりますと夢を見るようになる言われておりました。
一年が経ち、二年が過ぎようとしていた頃には、十両というお金をこしらえました。
昔は、十両は大金といいまして。泥棒でも、十両盗んだら首がとびます。だから、十両にならないように、盗みをするのが鉄則だったそうでございまして。
「その方、盗んだ『きんす』はいくらである?」
「へぇ、九両三分二朱でごぜぇます」
お馴染みの取調べ。お白洲の場面でございますが、もうわずかであるけれども十両にはなっておりません。
「うーーんどうして九両(くりょう⇒くれよう)三分二朱」とお奉行が言ったとか言わなかったとか。
ねえ、その昔、子供の時分には百円札がありました。ですから、百円は大金に思えたものです。お年玉に三百円なんてぇ事はざらにありました。
今では、コインですからね。まぁ物価もだいぶ違ってはおりますが、最後に無くなったのが五百円札でして、これも銭になってからやはりその重みが違っております。
「おい、そこのやろっこ!百円けっからっしゃ!」
といわれまして
「わぁぁぁぁい」というのが、私の時代で。今は
「なんだ!これだけ」と言われかねない。(人様から貰ってこんな感謝のない事ではいけません!!)
当時、の十両です。たいした金でございます。
で、信用する者があって、おかみさんを世話してくれた。
「一人口じゃぁ食えねぇが二人口なら食える」これいい言葉です。亭主は表で働く。おかみさん、内助の功でございます。「稼ぎ男に繰り女」を絵に書いたような夫婦です。子供が産まれました。これが理髪な女の子でございます。裏店(うらだな)から表に店をかまえまして、奉公人を一人おき、二人おき。十年経ったときには、深川蛤町、蔵が三戸前ありまして、間口が四間半ある。りっぱな大棚となりました。
最初にお断りいたしておきますが、「ニコ動」で「落語⇒鼠穴」で検索いたしますと、映像がなくて残念ではありますが「立川談志」師匠と「柳家小三治」師匠の「鼠穴」を聞くことができます。
まずは御一聴を。この噺を見てからでもよろしいのですが、お時間がございましたら、是非。
では、「鼠穴」御紹介いたします。
「旦那(だァ)さん、えェお国から、あの、竹次郎さんという方がお見えになりまして・・」
「うん?竹次郎?うん、おらの弟だ。おう、こっちぃ通せ・・おぅ、どうした、まぁええ。こちいぃ、入れ(へえれ)」
「(丁寧にお辞儀をして)あにさん、お久しぶりでございます」
「あつ、はははは、久しぶりだなぁぁぁぁ・・・いやぁぁ・・国元で別れた自分は、まだまだ子供離れがしなかったが、いやぁぁ、立派に大人になったなぁぁ。うん。まぁ、まぁ、もっと前(めぇ)に来(こ)。何(あん)だ?うん?江戸見物にでも来たのか?」
「いやね、・・・そんな浮いたこっちゃねぇが・・・・じ・実はね・・・あ・兄さん(あにさん⇒以下竹は『あにさん』と呼んでいる)に・・・少ぅしぃ・・頼みがあって・・・そいでもって来やした・・・」
「何だなぁ?えぇ?頼み事っちゃ・・・ええ?何(あん)だぁ?」
「いやねぇ・・・・(と、ちょっと言い澱み)父っあんが死ぬときに兄さんと俺(おら)へ身代(しんでぇ)分けてくだすっただ。兄さんは、すぐにそれを金にして、江戸へ出なすった・・今じゃぁ、(と、部屋の中を見回して)こんな、江戸中に聞こえるような大棚の主になっていなさる。俺ぁ、故郷(くに)で百姓ぶっていたが、悪い友達が出来て、茶屋酒覚えてぇ、女子(あまっこ)にとろけて、田地田畑みんなもう売り払っちまった。俺ぁが悪い、俺ぁが悪いこたぁあ解っている。いる。・・だども・・だども兄さん!これじゃぁ、死んだ父つぁまに申し訳ネェ。・・・何とか、兄さんにたのんで、奉公ぶたしてもらって・・一生懸命稼いで、半分でも取り返してぇ・・兄さん、お願ぇだ、奉公ぶたしてもらえねぇべか・・・兄さんも俺ぁが弟だって思ったら、使いずれぇべ。どうか兄弟(きょうでぇ)と思わずに使っておくんなせぇまし・・またぁ辛ぇ事があるだども、俺ぁも他人だとおもいやして辛抱しやすんで・・・ねぇ兄さん、ひとつ・ひとつ・・お願ぇ申しますんで・・」
(深々と頭をさげる竹次郎、何度もさげる)
「まぁ、まぁ、何んだ(あんだ)なぁ、そうそう頭ぁ下げる事ぁねえぇって・・なぁ竹」
(しばらく、黙ったまま、竹次郎を見ている・・・口を開く・・・)
「そうかぇぇぇ・・・あぁ、俺ぁが江戸さぁ出ている間に、そんな事があったなぁ、まぁなぁ、竹よ。まぁ、いいや、まぁ、なぁ。いいやちゅうなぁな、汝(われ)が悪いと気づいたからだ、なぁ。うん。一番悪いぃ事ぁ気づかずにいる奴の事だ・・なぁうん・・汝が悪いと気がつけば、使った金は無駄にはならねぇ。勉強代と思えばいいだけさぁなぁ竹。しかしなぁ、竹、お前ぇ奉公ぶつだと言うがぁ・・・そりゃ俺ぇんとこの奉公人さぁなるっちゅうなぁ簡単な事だべ。だけどよ竹、そりゃつまんねぇ事だ(こんだ)。仮に俺ぁんとこでねぐてもだ、どこへ奉公するにしても汝が器量で百両儲けたとする。主人の前へ銭ッ子持っていくだ、なぁ『今度の商い(あきねぇ)でこれだけ儲けました』『ご苦労様』の一言はあっかもしんねぇ、しんねぇけどもよ竹、お前ぇさんの取り分は何ぼだ?うん?ま、くれてたかだか十両、五両か・・・・一文もくれねぇといって苦情いうわけにもいかねぇ、なぁ。それよりどうだ、商売ぶってみろ、うん?そうすりゃ一両しきゃ儲からねぇ時は一両、もし百両儲ければそれが汝のもんになる。な?その方がええ。のう竹、汝自分で商売ぶってみろや!それが一番ええちゅうもんだべ」
「はっ、兄さん。それは、それにこしたこたぁねぇだが・・・何せ、元がねぇだべ。・・兄さんしたらばそのぉ、商売の元さぁ貸しておもらいもうしてえぇ」
「そうか、その気になったか、のお竹。いやぁいいとも・・・(と、奥にいるような番頭を呼んで、何やら小声で話す。すると、奥から包みをこさえ来た心で・・)さぁさぁ、この中に商売の元を入れておいただ。あぁ、大事(でぇじ)なもんだべ、なくさねぇように、しっかり懐さぁいれてだなぁ・・・いいか!竹」
「はい!ありがとうごぜぇます!兄さん本当にありがとうごぜぇます!そんじゃぁ、あっしもこれから早速かからさせていただきます。またぁ、ちょっくら目鼻ついたら兄さんさんとこへ寄らさせてもらいますだ。はい・・・ごめんなさいまし・・・・(店をでる際)では、番頭さん、ごめんくださいまし・・(店を出て、外へと歩き出す竹次郎)・・あぁぁ、やっぱしぃ、兄さんだ。血を分けた兄弟(きょうでぇ)てぇなぁ、いいもんだべ。故郷(くに)の者(もん)は、なぁんって言ってる?『お前(おめぇ)の兄貴は、ありゃ、人間じゃぁねぇ、鬼だ!尋ねて行っても茶の一杯(いっぺい)も出さねぇ。金稼ぎにばかり頭ぁ、使ってる鬼みてぇな奴だ』・・なんて・・・へへへ・・・兄さんの事だべ、やはり
弟のおらぁさは、商い(あきねぇ)の元さぁ貸してくだすっただ。ありがてぇこった。
(と言いながら、中身の封筒を覗き込む。そして、中身を書き出すように、封筒の中から金銭を手のひらへと取り出す。手が怒りに震える。怒りだす竹次郎)
あ?あ・・・あ?何(あん)だぁ!!こりゃぁぁぁ!さ・三文。三文入ぇってる!三文だぁ!?ふざけるなぁ!よくも、さっきは言いやがった!『大事な商売の元手だ。失くさねぇようにすろ!』って。(怒り心頭の竹次郎である。吐き出すように、声を荒げて・・)
馬鹿にしやがって!三文べえの銭、なくすもなくさねぇもなかんべぇ!!だんだ!こんなも・・・・ん・・・(と、三文いりの包みを、放り投げようと、右手を高く挙げる。だが、すぐさま、ふと、手を降ろす。考え直す)・・いや、そうでねぇ。今の俺ぁ、こればっかっしの銭、もっちゃいねぇ。地べた掘ったところで、出てきやしねぇ。三文、三文でも商売はできねぇ事ぁねぇ。やってみっぺ!」
三文という、金。今では、どうでしょう。おおよそ30円。それ以下かもしれません。
何が買えるかと申しますと。真っ先に浮かびますのが「うまかぼう」ではございますが、それじゃぁ、商売にも何にもなりません。
竹次郎さんも、三文でどうするか、何が買えるか探しておりました。
そして、米屋の店先でふと思いつくものがございます。「空き俵」でございます。
その、空き俵を売ってもらおうかと思いましたが、三文では買えません。そこで、あの俵の上へ乗せる丸い、『さんだらぼっち』というものがありまして、こいつぁ買えました。田舎の人ですから、手先は器用。こいつを上手く解くってぇいいますと、またよります。出来上がりましたのは緡(さし⇒銭さし)でございました。当時の貨幣は、穴が開いておりまして、もっとも、今でも五円や五十円硬貨には穴が開いておりますが、これには意味がございます。紐とかで通して勘定しやすいようにするためなんですね。特に、江戸時代の商人達は、銭箱へ放り込むんです。これで、店を閉めた時間に勘定するのですが、この緡というものに、お金を通して勘定いたしました。当時の必需品でございます。これをこしらえて売って歩いた。三文のお金が六文になった。「これは、売れる」と思いまして、またさんだらぼっちを買って、緡をこしらえます。十二文、二十四文となって、今度は空き俵が買えました。これを解きますてぇと、今度はわらじを作り始めます。そのあまりで、緡をこさえて・・・まぁこんな事を繰り返してぇいく内に、わずかではあったものの、商いの元手(もと)が出来ました。商売をはじめます。商売たって、一つだけじゃありません。竹次郎さん、朝から晩まで働きます。
朝早く起きるてぇと
「なっと、なっとぉぉーー。なっと!」
納豆売って帰って来る。昼前になると
「(天秤を担いでいる様子で)きんちゃぁーーん。あまいよぉぉぉ」
てんで、茹で小豆を売りまして、暮れ方になると
「(天秤を担いでいる様子)うでぇだぁぁしぃぃーう・どぉぉーん」
夜になると
「(盤台をかついで)お・いなぁぁりぃぃさぁぁんんん!」
稲荷寿司を売る。
真夜中になるてぇと、「泥棒の提灯持ち」までしたという・・・ま、それはどうだかわかりませんが、よくあんなに身体が続くものかと思われるくらいに働きます。
「・・・おいつく貧乏神はいない」と言われます。
「夢を見る間もない」とも言われます。
夢なんて見るもんだと思われる方もいらっしゃいますでしょうが、人間というものは、五臓がちゃんと健全であれば夢を見る事はないんだそうでございます。五臓。当時の言葉ではございますが「肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓」これを五臓といいます。このいずれかが、衰えてまいりますと夢を見るようになる言われておりました。
一年が経ち、二年が過ぎようとしていた頃には、十両というお金をこしらえました。
昔は、十両は大金といいまして。泥棒でも、十両盗んだら首がとびます。だから、十両にならないように、盗みをするのが鉄則だったそうでございまして。
「その方、盗んだ『きんす』はいくらである?」
「へぇ、九両三分二朱でごぜぇます」
お馴染みの取調べ。お白洲の場面でございますが、もうわずかであるけれども十両にはなっておりません。
「うーーんどうして九両(くりょう⇒くれよう)三分二朱」とお奉行が言ったとか言わなかったとか。
ねえ、その昔、子供の時分には百円札がありました。ですから、百円は大金に思えたものです。お年玉に三百円なんてぇ事はざらにありました。
今では、コインですからね。まぁ物価もだいぶ違ってはおりますが、最後に無くなったのが五百円札でして、これも銭になってからやはりその重みが違っております。
「おい、そこのやろっこ!百円けっからっしゃ!」
といわれまして
「わぁぁぁぁい」というのが、私の時代で。今は
「なんだ!これだけ」と言われかねない。(人様から貰ってこんな感謝のない事ではいけません!!)
当時、の十両です。たいした金でございます。
で、信用する者があって、おかみさんを世話してくれた。
「一人口じゃぁ食えねぇが二人口なら食える」これいい言葉です。亭主は表で働く。おかみさん、内助の功でございます。「稼ぎ男に繰り女」を絵に書いたような夫婦です。子供が産まれました。これが理髪な女の子でございます。裏店(うらだな)から表に店をかまえまして、奉公人を一人おき、二人おき。十年経ったときには、深川蛤町、蔵が三戸前ありまして、間口が四間半ある。りっぱな大棚となりました。
でも、すんません読むのは、明日にします。
今忙しくて、落ち着かないので・・・
読んでから、ニコ動見ます。
上京者には眩しくも痛々しい言葉です。
私は「働きに働いた」記憶がある最後の世代かもしれません。
そりゃ、業界職種によっては、今現在も「働きに働いて」いる方も大勢いらっしゃるでしょう。
でも、何か、「精神的なもの」に追われるようにして、働き尽くめだった記憶があります。
「都会の人間には負けたくない、馬鹿にされたくない」。
表立っては言い表しませんが、上京者にとっては、ずっとずっと心の底に隠し持っている感情です。
青雲の志。
大学の友人には、そんな奴らが多かったのでした。
人生もそろそろ終盤の入り口に差し掛かってきました。
大棚とかセレブとか、そんな立場にはなれませんでした。
しかしながら、毎晩家族で騒ぎつつ飲むビールの味わいだけは、人生で得ることが出来ました。
以前ネタ本であらすじを読んだことはあったんだけど・・・
というのも、オイラの落語の知識のほとんどが昭和40年代のNHKラジオの寄せ番組からなので
長いネタでも30分が限度だったのっしゃぁ~
続きが気になるところです。
紙のお金を貰えると嬉しかったですね~
今でも私の財布には、板垣退助が入ってますよ。
小三治師匠の「鼠穴」が最も長くて約59分ありますが、そのうち10分程は「江戸貨幣の解説」です。事細かに説明されております。
基本的に4進法。
銭形平次も出しながら、おもしろく解説されております。
お返事遅れました。
休みお酒の味は・・・格別だったりするのでした。
NHKの落語特選ですと、やはり30分でした。
少し長い噺ですと二回に分けていたのを覚えております。
ですが、編集を入れての事ですので、本当に原版が残っているのでしょうか。
「鼠穴」は最近では「立川志の輔」師匠がよかったです。
師匠とは違った味が出ているのでした。
意外に越えているかも・・・