この春、中学を卒業したばかりの次男(酔漢の息子、シティラピッド君の弟)は、家にいる事が多い日々。
彼は丹治さんと、父の葬儀等で逢ってから、すっかり彼のファン。
「俺!絶対見つけてやる」と言っていた。
しつこく、無駄と解っていても、自宅の固定電話から、丹治さんの携帯へかけ続けていた。
かけた回数は百回近く。
「親父!心配するな丹治さん訳あって連絡つかないだけだから」
彼はいつもそう話していた。
酔漢、昨日は仕事。
そして、午後4時過ぎ、携帯に電話。次男から。
「親父!丹治さんと連絡とれた!自宅だ!塩竈にいる!」
忙しい時間だったので、これで電話を切る。
「無事でよかった」
「『ごたごたしていて、連絡できないでいる。落ち着いたら連絡すると伝えてくれ』と言っていた」と。
無事報告、安堵の後。ふと思うのが。
「新地から塩竈までどうやって移動したんだ」という疑問。
次男もそこまで気づかなかったそう。
これは、丹治さんから直接聞くしかない。
「歩いたのでは」というのが酔漢の推察。
丹治さんの弟さん(都内在住)へ連絡し、彼も安心したとの事。
しかし、多くの、、行方不明者の中に、親せき知人は今だに多くいるのも事実。
テレビからの情報で推察できるのみ。
名取閖上には、知人が多く、大変世話になった方が住んでいた。
宮城の方は停電の為、存知なかろうと思うが、地震直後に発令された津波警報直後から沖合を飛んでいるテレビ局のヘリコプターが、ライブで津波の様子を放映していた。
酔漢は実況中継で、名取を襲った大津波を見ることが出来たのだ。
「早く!逃げろ!。早く逃げるんだ!」
酔漢がいつも叔母の家へ向かう道路を多くの車が通行している。そこに津波が迫っている。
テレビを見ている僕らからはこの車が津波に襲われることが時間の問題だと気づいている。映像は何十万人以上の人が見ているのだ。そしてその何十万人は、この運転手が辿る運命も想像できる。
田畑を飲み込む津波。
勢い止まらず!
慌てて、携帯を手にする。
叔母つながらず!→名取市下余田。
従弟(叔母息子)の家→名取北高側。
そのお世話になった方の家は閖上小塚原地区。
津波がもうすぐに迫っている。
何十回目かにようやく従弟の家につながる。
娘(中学生)が電話に出る。
最初の言葉。
「地震は大丈夫です」
「はやく、ここから離れて!早く!」
彼女は何のことやら合点がいかない様子。そこでようやく親(その子の母親)に変わる。
「津波?ここまで?電気がないからテレビつかないし、ラジオも警報のまま・・」
「何も知らされてないのか!今、そこまで津波が来ている!早く離れるんだ!」
翌日、再び、奇跡的に電話がつながり、下余田の叔母、従弟と話す。
下余田叔母家手前、1km手前で津波が止まるも。閖上小塚原は完全水没。家流失。
家族、ほとんど(高専に通うその家長男は無事だった)消息不明。
何故だ!何故だ!こんなことがあるのか!
NHKのヘリコプターは、津波がまだ海上にある時間から、その様子を写して、全国へ流しているのだ!それを見ていた日本人は何十万人いたのだ!
カメラマンも届くはずのない声を上げている。
「おーーい逃げるんだ」
悔しさ!どうして、それが出来なかったのだ。
大津波警報発令であれば、海自や保安庁はヘリを飛ばして、いち早く津波の様子を観察し、沿岸部へ連絡できなかったのか!
タラレバを語っている。これを承知で許していただきたい。
無理もない。有史より想像できない津波だったのだ。
誰も責められまいて。
だが、この悔しさはなんだ!携帯さえつながれば、多くの命が救われたのだ!
通話制限も必要だが、これがなかったら救われた命もあったかもしれない!
これもタラレバだ。
そう考えなければ、怒りの持って行きようがない自分。悔しい。ひたすら悔しい。
丹治さんからのメール。後の酔漢からの返信。
「無事なにより、気をつけて」
「新地」がどこで、海に近くて、大津波警報が出ていて、それを冷静に判断していれば、
「津波が来る。早く逃げろ」とメール出来なかったのか。
この事が分かったのも、時間が経ってからだった。
自分を責める自分もいる。
アマチュアカメラマンの映像は衝撃的であった。
南三陸町は、酔漢の思い出があった。
石巻、女川には親戚筋もいる。
同じ社の事業所は多賀城桜木にあり、水没する。同僚社員、本社でも把握できていない。
やはり、安否を確認できない多くの知人達。
今朝のテレビ。
題「避難所で体を守る為には」
ある大学教授が作成したパンフレット。
「手洗い、うがいをまめにする。マスクをする」インフルエンザ流行を防止。
「高齢者は水分を多く取り、体を動かす」エコノミー症候群を防止。
どこにそんなものがあるのだ!笑わせるな!
なくて困っているから「避難所」なのだ!宮城だけでも31万人以上の人達が避難生活をしているのだ。
そんな事は言われなくたって解るのだ!
マスクどころか、水も、体温を保護する毛布も、熱量に必要な分だけの食糧もないのだ。
早く、早く!救援を乞う!
比較的、被害の少ない「塩竈港」は使えないのか!
(使えない事情があるのだろう。これは酔漢にも解らない。素人目である)
早く、宮城へ向かいたい!
歩いてでも。
向かいたい!
「行ってどうするのだ」
「何もできない」解っている。
「何かは出来る」そう信じたい。
彼は丹治さんと、父の葬儀等で逢ってから、すっかり彼のファン。
「俺!絶対見つけてやる」と言っていた。
しつこく、無駄と解っていても、自宅の固定電話から、丹治さんの携帯へかけ続けていた。
かけた回数は百回近く。
「親父!心配するな丹治さん訳あって連絡つかないだけだから」
彼はいつもそう話していた。
酔漢、昨日は仕事。
そして、午後4時過ぎ、携帯に電話。次男から。
「親父!丹治さんと連絡とれた!自宅だ!塩竈にいる!」
忙しい時間だったので、これで電話を切る。
「無事でよかった」
「『ごたごたしていて、連絡できないでいる。落ち着いたら連絡すると伝えてくれ』と言っていた」と。
無事報告、安堵の後。ふと思うのが。
「新地から塩竈までどうやって移動したんだ」という疑問。
次男もそこまで気づかなかったそう。
これは、丹治さんから直接聞くしかない。
「歩いたのでは」というのが酔漢の推察。
丹治さんの弟さん(都内在住)へ連絡し、彼も安心したとの事。
しかし、多くの、、行方不明者の中に、親せき知人は今だに多くいるのも事実。
テレビからの情報で推察できるのみ。
名取閖上には、知人が多く、大変世話になった方が住んでいた。
宮城の方は停電の為、存知なかろうと思うが、地震直後に発令された津波警報直後から沖合を飛んでいるテレビ局のヘリコプターが、ライブで津波の様子を放映していた。
酔漢は実況中継で、名取を襲った大津波を見ることが出来たのだ。
「早く!逃げろ!。早く逃げるんだ!」
酔漢がいつも叔母の家へ向かう道路を多くの車が通行している。そこに津波が迫っている。
テレビを見ている僕らからはこの車が津波に襲われることが時間の問題だと気づいている。映像は何十万人以上の人が見ているのだ。そしてその何十万人は、この運転手が辿る運命も想像できる。
田畑を飲み込む津波。
勢い止まらず!
慌てて、携帯を手にする。
叔母つながらず!→名取市下余田。
従弟(叔母息子)の家→名取北高側。
そのお世話になった方の家は閖上小塚原地区。
津波がもうすぐに迫っている。
何十回目かにようやく従弟の家につながる。
娘(中学生)が電話に出る。
最初の言葉。
「地震は大丈夫です」
「はやく、ここから離れて!早く!」
彼女は何のことやら合点がいかない様子。そこでようやく親(その子の母親)に変わる。
「津波?ここまで?電気がないからテレビつかないし、ラジオも警報のまま・・」
「何も知らされてないのか!今、そこまで津波が来ている!早く離れるんだ!」
翌日、再び、奇跡的に電話がつながり、下余田の叔母、従弟と話す。
下余田叔母家手前、1km手前で津波が止まるも。閖上小塚原は完全水没。家流失。
家族、ほとんど(高専に通うその家長男は無事だった)消息不明。
何故だ!何故だ!こんなことがあるのか!
NHKのヘリコプターは、津波がまだ海上にある時間から、その様子を写して、全国へ流しているのだ!それを見ていた日本人は何十万人いたのだ!
カメラマンも届くはずのない声を上げている。
「おーーい逃げるんだ」
悔しさ!どうして、それが出来なかったのだ。
大津波警報発令であれば、海自や保安庁はヘリを飛ばして、いち早く津波の様子を観察し、沿岸部へ連絡できなかったのか!
タラレバを語っている。これを承知で許していただきたい。
無理もない。有史より想像できない津波だったのだ。
誰も責められまいて。
だが、この悔しさはなんだ!携帯さえつながれば、多くの命が救われたのだ!
通話制限も必要だが、これがなかったら救われた命もあったかもしれない!
これもタラレバだ。
そう考えなければ、怒りの持って行きようがない自分。悔しい。ひたすら悔しい。
丹治さんからのメール。後の酔漢からの返信。
「無事なにより、気をつけて」
「新地」がどこで、海に近くて、大津波警報が出ていて、それを冷静に判断していれば、
「津波が来る。早く逃げろ」とメール出来なかったのか。
この事が分かったのも、時間が経ってからだった。
自分を責める自分もいる。
アマチュアカメラマンの映像は衝撃的であった。
南三陸町は、酔漢の思い出があった。
石巻、女川には親戚筋もいる。
同じ社の事業所は多賀城桜木にあり、水没する。同僚社員、本社でも把握できていない。
やはり、安否を確認できない多くの知人達。
今朝のテレビ。
題「避難所で体を守る為には」
ある大学教授が作成したパンフレット。
「手洗い、うがいをまめにする。マスクをする」インフルエンザ流行を防止。
「高齢者は水分を多く取り、体を動かす」エコノミー症候群を防止。
どこにそんなものがあるのだ!笑わせるな!
なくて困っているから「避難所」なのだ!宮城だけでも31万人以上の人達が避難生活をしているのだ。
そんな事は言われなくたって解るのだ!
マスクどころか、水も、体温を保護する毛布も、熱量に必要な分だけの食糧もないのだ。
早く、早く!救援を乞う!
比較的、被害の少ない「塩竈港」は使えないのか!
(使えない事情があるのだろう。これは酔漢にも解らない。素人目である)
早く、宮城へ向かいたい!
歩いてでも。
向かいたい!
「行ってどうするのだ」
「何もできない」解っている。
「何かは出来る」そう信じたい。
まだ安否不明の方も多数…多くの方の無事を祈ります。
でもまだ安否不明の方々がいらっしゃる…、酔漢さんの心中お察しします。
ありがとうございます! 板橋より
ご無事で安心いたしました。
良かった、やっぱり先生はご無事だったんだ…。
やはり新地から塩竈まで歩いて移動したんでしょうか。先生なら、それだけの馬力を発揮してくださいそうですね。
まだまだ予断を許しませんが、どうか皆さんが無事であり、また助かった方々も無事に生き延びられることを祈ります…。
こんな未曾有の大災害であるのに、自分にできることは、本当にあまりにも少なくて、その現実に打ちのめされそうです…。