心臓を鷲掴みにされたような思い。
情報が入ってこない苛立ち。
何をどうして、どうしたらいいのか解らない焦り。
故郷へ帰る事が出来なかった状況。
知人が亡くなり、故郷の愛すべき風景が失われてしまった悔しさ。
忘れはしまい。
忘れることは出来ない。
忘れる事なんて考えられない。
そんな日。
3月11日。
先の震災でお亡くなりになられました多くの皆様へのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
酔漢 拝
情報が入ってこない苛立ち。
何をどうして、どうしたらいいのか解らない焦り。
故郷へ帰る事が出来なかった状況。
知人が亡くなり、故郷の愛すべき風景が失われてしまった悔しさ。
忘れはしまい。
忘れることは出来ない。
忘れる事なんて考えられない。
そんな日。
3月11日。
先の震災でお亡くなりになられました多くの皆様へのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
酔漢 拝
受け取る側の思いで大きく違いますが、あの日あったことは忘れられませんね。
なすすべもなく流される町、車、それから人・・・
悪夢にしても酷過ぎる。
私の周囲にもごきょうだいを亡くされた人やご実家が被災された人がいるので他人事ではありません。
そしていつか・・・東京が被災地と呼ばれる日がきっと来る。
その時・・・どうする。
覚悟を決めねば。
見たくないのです。 原発の真相は知りたくて見ましたが、あとはバラエティー番組を探して見ていました。
生々しい現場は実際見てきたわけで、物は片付いたかのようにも見えますが、ほとんど見えない所に避けただけです。
進んでいないのは、仮設住宅が3年4年と延びていることでも分かることでしょう。
テレビから流れるサイレンの音は恐怖感を煽ります。
あの音はもう聞きたくない。
最近、通勤や寝るときに落語を聞いています。
最初、音楽を聞いてましたが飽きて来たので落語を数十話入れオーディオプレーヤーで聞いています。
震災の後、TVが見られるようになった時によくこの曲が流れていました。MONKEY MAJIKのメンバーは震災の時、住んでいる仙台を離れる事なく、自らスコップを手にしてボランティア活動を行いました。派手ではないけど同じ地域の住人としてやれる事をやる。その在り方は心に強く残っています。今もこの曲を聞くと言葉にならない感情が湧いてきます。それは痛みでもあり、怒りでもあり、希望でもあります。
また仙台出身の芸人のサンドイッチマンは、今や宮城県人ならば誰しも特別な思いを抱く芸人さんだと思いますが、その二人が震災から二年を迎え、最初の一年に較べ、この一年はそんなに前に進んではいない、足踏みしているようだと感想を述べています。私もまったく同じ感想を抱きます。
被災地=放射能汚染という根拠のないイメージもあって瓦礫処理を引き受ける自治体は東京都などごくわずか。瓦礫の処理は二年かかっても35%止まり。風評被害で観光客も思うようには戻らず、放射線量を厳密に計っていても物産は売れない。それでせっかく再建した水産加工会社が倒産した話も耳にしました。
また建築資材不足は深刻で、資材の値上げに結びつき、それが都合出来ても不足する人材を雇えば赤字になってしまうという悪循環。どこも落札しない公共事業が続出する事態も起こりました。それらの結果、多くの町では復興事業が停滞し、家も働く場所も戻らないから人口は減る一方。宮城県女川町の住人はついに震災前の約半分になってしまったそうです。戻るべき人がいなければ何のための復興か分からないのに。
何が悪いとか、誰が悪いとか、そんな話はきりがありません。被災地の外だけでなく内にだって偏見や対立もあります。ただこの世界にはいろいろな姿に化けている悪意よりも、優しさの総量の方が勝っていると信じるしかないのでしょう。
震災二年目の当日にはAKB48が被災地10ヶ所で支援ライブを行い、追悼の日に不謹慎だとの声もあったようです。その気持ちも分からなくはありません。けれど彼女たちが先月まで22回も被災地訪問を続けている事実は、この日だけ義務で顔を出すどこかの偉い人の黙祷より価値があると思います。そもそも本来芸能が果たすべき役割のひとつは魂振とか鎮魂であるわけですから、生きている子供たちの魂には彼女たちのように行動する勇気を、天国にいる子供たちの魂にはより喜びそうな鎮魂歌を贈ってあげたと思えばいい。秋元康氏は「偽善と思われても、やらないよりはいい」とメンバーに言ったとか。似た事を二年前に炊き出しをしてくれた俳優の杉良太郎氏やSMAPの中居正広氏も言っていました。
きっと知らない町のどこかで、有名人でもない知らない誰かが、同じように「やらないよりはいい」とささやかだけど募金を続けてくれたり、高価なものではなくとも被災地の何かを買ってくれたりしているのでしょうね。それが本当にありがたいです。
この日はやはり「鎮魂」となるのでしょうね。
次年は、地元で迎えてみようかと考えております。
空襲警報の音と津波のサイレン。
人生で一番聞きたくない音なのだそうです。
地元の人はそうなのでしょうね。
東京から、まめに被災地を回っていて、一昨年は塩竈でも開催されました。
小さな事から大きく取り上げられる事まで、目的は一緒なのでしょうね。
何が出来るのか、「被災地の物を優先的に買い物」こうした友人からの手紙が名古屋から届きました。