酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

一同無事であるか

2011-03-11 15:15:28 | 東日本大震災
一同無事であるか。
藤沢も今!揺れています!

無事であることを、ただひたすら願っています!

酔漢。

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4 コメント

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無事です (いーちゃんの母)
2011-03-12 00:37:24


岩手の実家も無事との事。
酔漢さん、大丈夫ですか?
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無事です (昌彦)
2011-03-18 16:05:48
昨日、やっと職場から戻れました。
俺も両親も兄の一家も全員無事です。
知広からも連絡あって、昨日の時点で栗駒で足止めくらってるとか(←兄情報)
他の皆とは連絡が取れてないですが…
とりあえず報告までに。
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震災について… (ドナリー)
2014-11-07 09:50:35
酔漢さま、おはようございます。

震災の事なので、こちらにコメさせて頂きますね。

ご推察の通り、私は北浜在住(現在の塩釜警察署のそば)で、当時も実家に住んでおりましたので、残念ながら津波被害は免れませんでした。

ただ、私自身は職場の利府におりましたし、長男は東京、長女は秋田の大学だったので、心配だったのは次女の事だけでした。
あの日は、ちょうど国公立の後期日程の前日で、次女は山形に向かうべく本塩釜のホームにおりました。

携帯も繋がらず、次女の安否も確認できないまま、友人宅に身を寄せ(あの日は千賀の台から下には行かせてもらえなかったので)、次女と連絡がついたのはその日の夜中でした。
たまたま居合わせた友人と塩釜一小に避難し、どうにか命は取り留めました。
後で聞いたところ、家に戻ろうとしていたみたいで、もしそのまま戻っていたらと思うと、今でも心臓がギュッとなります。

翌日、千賀の台から自宅に戻ってみると、小松崎辺りまでは普通でしたが、宮町に入った途端、そこは地獄絵図でした…。

もちろん北浜も瓦礫の山で、私の自宅の横には見知らぬ家と船が流れ着いていました。
我が家も1階は壊滅状態で、大規模半壊の判定を受けましたが、家族全員が無事だったので、幸せな方だと思っています。
今は家も修復して、同じところに住む事ができていますし。

なんか長文で申し訳ありませんでした。
酔漢様のブログで、ちょっと当時を思い出してしまったもので…。
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ドナリーさんへ (酔漢です)
2014-11-10 09:14:50
塩釜警察署のそばなのですね。
ご近所(藤倉ですが・・・)の整形外科の医院長氏は「くだまき」の読者なんですよ!
中学の同期生なんです。

震災の北浜、藤倉の様子は、当日以降、彼から聞いてました。僕が塩竈に戻れたのは、5月2日でした。
それでも、街のあちこちに爪痕がしっかり残ってました。実家は「こまっつぁき」ですので、無事でしたが、母がいつもの時間に買い物をしていたら、無事だったか分かりませんでした。

ご苦労されたのですね。
お察しいたします。
皆様ご無事で良かったですね。

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