写真 魚を売るイネさん82歳 中村ハルコ
今年初め、中学同期の「なんちゃん」とハルコさんの親友であり、写真に造形の深い「じゅんこ」さんと会食。
お酒も頂きながらの談笑です。
「なんちゃん」は同期ではありましたが、同じクラスになったことはなくて、お互い「顔は知っているよなぁ」と、そんな感じ。
中学時代、話をした記憶はありませんでした。
彼女と話をするのは昨年の同期会から。
話題はハルコさんの写真。
「じゅんこさんねぇ、酔漢君とハルコの視点って似てるよ」
「なんだべ。俺ハルコ程感性があるとは思えねぇっちゃ」
「酔漢君さぁ『かつぎやのおばちゃん』の話題。『くだまき』にしてたよね」
忘れていた、過去のくだまきをふと思い出しました。
「仙石線の話だすぺ!なんちゃん読んだのすか?」
「あれねぇ・・・実は一番面白かった!」
「えっつ?なんですかぁ?聞きたいなぁ」と突っ込みを入れた、じゅんこさんです。
一度書いた「くだまき」を実際に語った酔漢でした。
仙石線での通学 もう少しだけ電車の話2007-10-05 00:57:19 | 仙石線の話
高城町駅始発電車。7時12分本塩釜駅発。6時57分に乗り遅れますとこの電車に乗らなくてはなりません。この電車に乗って、次の西塩釜駅で降り、7時20分、西塩釜駅始発の電車を待って座って通学するという技を使ったのは、酔漢高校に通ってからでした。そして、酔漢はこの7時12分本塩釜駅発仙台駅行きの電車が嫌いでした。それには2つの理由がありました。一つはサラリーマンで混んでいる事、そしてもう一つは、かつぎやのおばちゃん達が車座になって陣取って電車の中で朝ご飯を食べていることでした。だったら、「かつぎ屋さん達がいない車両に移ればいいんでないかい?」という声も聞こえますが、そうでない車両は、今申しました通り、サラリーマンで一杯なのと、とても長い学生服を着た、宮城野原駅前高校(別に他意はございません。叔父はOBです)に通う高校生がやはり恐かったからでした。
ですから酔漢自身は、しかたなくこの電車に乗らなくてはならない時は、またまたしかたなく前から3両目に乗っておりました。
かつぎ屋のおばちゃん達は、でかい弁当箱を広げておりました。おかずは、みんなして持ち寄っているらしく、そこだけが、通勤電車にはない風景を作りだしておりました。
雪が降り、電車も時間が遅れたある日の事です。
本塩釜駅改札を出たと同時に、6時57分発仙台駅行きが発車いたしました。
「なんだやついてねぇっちゃなや」と思い、次の7時12分に乗る事にいたしました
前から3両目、4つドアの2番目、電車の鉄柱のあたりでいつものおばちゃん達が4人、車座になってごはんを食べていました。僕はサラリーマンがいる窓際からちょうどおばちゃん達が車座に座っているそばで立っておりました。
つり革は背伸びすれば届くようになっておりました。
その時、一人のおばちゃんが僕に声をかけてきました。
「あんだ、学校さぁ行ってのすか?」
おばちゃんは、おおきな背負い籠(トタンで出来たような銀色の箱)に寄りかかりながら、話かけて来ました。するともう一人のおばちゃんも「いつも、はやぐぅから電車さ乗るやろっこがいると思ってたおん。なして電車さぁ乗ってんのがぁと思ってたっちゃ。あんだどこの学校さぁ行ってのすか?」
周りにおかまいなく大きな声で話しするこのおばちゃん達のインタビューを急に受ける事になった状況に僕は思いっきり緊張しました。日ごろから「あんたは仙台から小学校に通っていることになっているんだから、どこから通っているかって聞かれたら、たまたま塩釜から今日だけ電車に乗ってると言いなさい」って言われておりました。しかし、ほとんど毎日電車の中で顔を合わせているおばちゃん達です。そんな言い逃れは通用いたしません。
僕は周りを気にしながら、小声で答えました。
「仙台の小学校さぁ行ってる」
「なして、また仙台さぁわざわざ通ってのすか?」
毎度の質問です。僕が仙台の小学校に通っていることに驚いた大人たちは決まってそう質問するのでした。最初に通い始めたとき、本塩釜の改札の駅員さんにも聞かれました。僕が答えに困っていると、もう一人の(3人目の)おばちゃんがお茶をすすりながらこう言いました。
「あんだ、わかんねぇのすか、このやろっこは、頭いいから、塩釜から仙台の小学校さ通ってんだっちゃ。6年生なんだべ?(僕に振られても。。)来年五橋だっちゃなや」
複雑な家庭の事情を話してもしょうがないし、かと言って塩釜から五橋中学校に通っている先輩達(この時点ではまだ誰も知りませんでしたが)の成績の良さを思いますと、こう思われてもいたしかたがないのかもしれませんが。
僕は顔から火がでそうなくらい、恥ずかしい思いでした。でもようやく、口を開きました。
「俺そんなに成績よくねぇおん。ただ仙台の小学校さぁ通っているだけだっちゃ」
4人いたおばちゃん達は一斉に大笑いでした。
多賀城を過ぎ(この当時まだ中野栄はありません)陸前高砂でまた電車は混み始めました。乗ってきたサラリーマン達はおばちゃん達を避けるかのように、立っています。考えれば、おばちゃん達のそばにいるから、僕はサラリーマンのお尻に顔を潰されないでいられるのかもしれません。僕が少しだけ、話したものですから、おばちゃん達はあれこれ話しかけてきました。
「だれ、小学生が一人して電車で学校さぁいぐんだおんねぇ、ちゃんと朝ご飯くってきたのすか?」
「今日はパン食べてきたっちゃ」
「ほれ、今日は寒かったすべ。おちゃっこ飲んだらいいっちゃ」
水筒から番茶(これがものすごく渋かった)を出してくれたので、僕は悪いと思い飲みました。とたんに電車が ガタン 急ブレーキ。お茶を吹き出しました。
そこでまた大笑い。
電車は宮城野原駅に止まるところです。
「そんなかさぁ何へぇってのしゃ?」と気持ちがほぐれたからでしょうか、籠の中が気になっていた僕は聞きました。
「こいづかぁ、魚とか海苔とか、仙台の団地さぁ回って売ってのっしゃ。ほれ、新海苔。いいにおいだすぺ」
考えればこの車両中、魚だの海苔だの臭いが充満しているのでした。
やはりどうりで、ラッシュ時間の割りにはすいているわけです。
「ここさぁは焼きたてのかまぼこさぁ入ってんだべ」
もう一人のおばちゃんがかまぼこを見せてくれました。
「あんだ持っていぐかぁ?」
「だめだっちゃ、だれこの人、昼は給食だっちゃ」
「んだなや、わすれったなや。おらほの孫とおんなしくれぇだおん」
おばちゃんは、この笹かまぼこを少しだけちぎって僕にくれたのでした。
「うめぇかったなや」(酔漢談)
今考えると、異様な電車の中の様子です。でも当時、だれも咎めはいたしませんでした。かなり迷惑だったんだろうと思うのですが、おばちゃん達が電車の中にいる風景が自然な時代だったのかもしれません。
ですが、気づいた頃には、かつぎ屋のおばちゃん達は姿を消しておりました。
魚臭いあの仙石線の車両は、今じゃ考えられない光景でしょう。
酔漢、下駄電(73系?)と魚の臭いがワンセットとなって、当時の記憶があるのでした。
「いい話しだなぁぁぁ」と、じゅんこさん。
「このかつぎやのおばちゃんって、ハルコがテーマにしとことがあるんだよ」
「そうそう、私もあのおばちゃんの顔・・すきだなぁ」
「酔漢君のくだまき読んでね。ハルコの写真を思い出した・・・」
僕は、その写真が実際どんな作品かは、知りませんでした。
じゅんこさんから、メールを拝受。
仙台メディアパ-クで写真展(キャノン主催)が5月25日から開催されるというもの。
そして、ハルコの、「かつぎやのおばちゃん」が、紹介されるとも案内にありました。
その解説です。
フォルマーレ・ラ・ルーチェ。ホームページより抜粋です。
このホームページには、たくさんの「イネさん」が写っております。
ご覧下さい。
そして、「じゅんこ」さんの紹介文です。
1995年に発表された中村ハルコさんの作品「魚を売るイネさん82歳」。
5月25ー30日、せんだいメディアテーク6faで
ご紹介させていただくことになりました。
その準備で、ここしばらくイネさんの写真と向き合っていたのですが、 味わい深い、芯のあるステキなおばあちゃまが写し出されています。
ハルコさんは、そのイネさんに夢中になって、夏と冬の10日間、 寝食を共にして撮影されたそうです。
ハルコさんのお姉様曰く、イネさんのたくましさ、強さ、早起き、自由さに惚れていたのではないかとのこと。
小樽のイネさんは、朝から魚の仕入れを一人で行い、行商します。
発泡スチロールの保冷箱をひきずって売り歩く姿は、今はなき、存在しない商人の原型なのかもしれません。
昔はこういう商売の仕方もあったんだなぁとたいへんさを痛感し、そしてそれを頼りにしていた買い手の方とのやりとりが大きな笑顔となって描き写され、こちら側(見る側)にも笑みを起させてくれます。
イネさんのしわの数だけ、人生の喜怒哀楽が刻み込まれている、ステキな写真の数々です。
お豆腐やさんのラッパの音を聞きつけて、思わすイネさんの話になってしまいましたが、写真の中に、何の魚が売られているのか、チェックしてみようと覗きこんでみました。
あじの開き、イカ、カレイらしきものがありましたよ。
写真ってこんな感じで自分なりの見方が加わってくると、さらなる発見が広がって、ますます見ることが楽しくなってくるんです。
仙石線の電車の中に「かつぎ屋のおばちゃん」達が入ってくると、それまでOL達の化粧の匂いの充満していた車内が、突然「魚の匂い」に変わってきます。
僕は、その匂いは全く気になりませんでした。むしろ、香水の匂いのする電車よりは安心する。
それは、塩竃の夕方の景色と一緒の匂い。親父の作業着の匂い。同じ懐かしさを感じていたのかもしれません。
「ハルコもその中に何かを感じていたんだ」
彼女が何を感じ取っていたのか、今さらですが、聞き出したい衝動に駆られております。
「あんだ、お茶っこ飲まねぇすか」
水筒から出された渋い番茶の味も、思い出されます。
その作品が、この度、公開、展示されることとなりました。
ご紹介いたします。
キヤノンが「写真新世紀 仙台展 2012」を開催
キヤノンは、新人写真家の発掘・育成・支援を目的とした写真公募コンテスト「写真新世紀」の2011年度(第34回公募)の受賞作品展を、2012年5月25日から5月30日まで、宮城県仙台市の「せんだいメディアテーク」で開催します。
■「写真新世紀 仙台展 2012」の内容・特徴
1.2011年度の受賞作品、2010年度のグランプリ受賞者の新作を展示
「写真新世紀 仙台展 2012」は、「写真新世紀 東京展 2011」(開催期間:2011年10月29日~11月20日)を再構成した写真展です。 「写真新世紀」の2011年度グランプリ受賞者の赤鹿麻耶氏をはじめ優秀賞受賞者4名、佳作受賞者20名の受賞作品を展示するほか、東北在住・出身の歴代受賞者4名*1による特別展示も予定しています。 また、2010年度のグランプリ受賞者である佐藤華連氏の新作個展『間、うつろう』を同時開催します*2。
2.出展者と来場者の交流を図るトークショー「アーティスト・トーク」を実施
2012年5月26日(土)15時30分より、会場内において、2011年度グランプリ受賞者、2010年度グランプリ受賞者、東北在住・出身の歴代受賞者4名のうち3名の、計5名によるトークショー「アーティスト・トーク」を実施します。 作品のスライドショーを交えながら、受賞者各自に制作意図や作品コンセプト、今後の活動予定などについてプレゼンテーションしてもらうほか、来場者との質疑応答など交流の場を設けます。
*1福島県、宮城県在住・出身の菅野パンダ氏、伊藤トオル氏、木戸孝子氏、中村ハルコ氏の計4名。 中村ハルコ氏は2005年に逝去されており、今回の「写真新世紀 2012 仙台展」では過去の作品を展示します。 ほか3名は、主に近年撮影した新作を展示します。
*2グランプリ受賞者には翌年の受賞作品展における個展開催の権利を授与しています。
【 実施概要 】
■名称:「写真新世紀 仙台展 2012」
■日時:2012年5月25日(金)~5月30日(水) 10:00~19:00(会期中無休)
■主催:キヤノン株式会社
■入場料:無料
■会場:せんだいメディアテーク 6階 ギャラリーb
〒980-0821 宮城県仙台市青葉区春日町2-1 TEL:022-713-3171
■交通:
【電車の場合】
仙台駅から泉中央行きで約3分、勾当台公園駅下車。「公園2」出口から徒歩6分
【バスの場合】
仙台市営バス 仙台駅前29番(荘内銀行前)のりばから「定禅寺通市役所前経由
交通局大学病院」行き(系統番号J410)で約10分
■関連イベント:アーティスト・トーク 2012年5月26日(土)15:30~17:30
「ハルコ」さんの作品と「かつぎ屋のおばちゃん」でコラボレーション。
彼女のコメントを聞いてみたい・・・そう思いました。
今年初め、中学同期の「なんちゃん」とハルコさんの親友であり、写真に造形の深い「じゅんこ」さんと会食。
お酒も頂きながらの談笑です。
「なんちゃん」は同期ではありましたが、同じクラスになったことはなくて、お互い「顔は知っているよなぁ」と、そんな感じ。
中学時代、話をした記憶はありませんでした。
彼女と話をするのは昨年の同期会から。
話題はハルコさんの写真。
「じゅんこさんねぇ、酔漢君とハルコの視点って似てるよ」
「なんだべ。俺ハルコ程感性があるとは思えねぇっちゃ」
「酔漢君さぁ『かつぎやのおばちゃん』の話題。『くだまき』にしてたよね」
忘れていた、過去のくだまきをふと思い出しました。
「仙石線の話だすぺ!なんちゃん読んだのすか?」
「あれねぇ・・・実は一番面白かった!」
「えっつ?なんですかぁ?聞きたいなぁ」と突っ込みを入れた、じゅんこさんです。
一度書いた「くだまき」を実際に語った酔漢でした。
仙石線での通学 もう少しだけ電車の話2007-10-05 00:57:19 | 仙石線の話
高城町駅始発電車。7時12分本塩釜駅発。6時57分に乗り遅れますとこの電車に乗らなくてはなりません。この電車に乗って、次の西塩釜駅で降り、7時20分、西塩釜駅始発の電車を待って座って通学するという技を使ったのは、酔漢高校に通ってからでした。そして、酔漢はこの7時12分本塩釜駅発仙台駅行きの電車が嫌いでした。それには2つの理由がありました。一つはサラリーマンで混んでいる事、そしてもう一つは、かつぎやのおばちゃん達が車座になって陣取って電車の中で朝ご飯を食べていることでした。だったら、「かつぎ屋さん達がいない車両に移ればいいんでないかい?」という声も聞こえますが、そうでない車両は、今申しました通り、サラリーマンで一杯なのと、とても長い学生服を着た、宮城野原駅前高校(別に他意はございません。叔父はOBです)に通う高校生がやはり恐かったからでした。
ですから酔漢自身は、しかたなくこの電車に乗らなくてはならない時は、またまたしかたなく前から3両目に乗っておりました。
かつぎ屋のおばちゃん達は、でかい弁当箱を広げておりました。おかずは、みんなして持ち寄っているらしく、そこだけが、通勤電車にはない風景を作りだしておりました。
雪が降り、電車も時間が遅れたある日の事です。
本塩釜駅改札を出たと同時に、6時57分発仙台駅行きが発車いたしました。
「なんだやついてねぇっちゃなや」と思い、次の7時12分に乗る事にいたしました
前から3両目、4つドアの2番目、電車の鉄柱のあたりでいつものおばちゃん達が4人、車座になってごはんを食べていました。僕はサラリーマンがいる窓際からちょうどおばちゃん達が車座に座っているそばで立っておりました。
つり革は背伸びすれば届くようになっておりました。
その時、一人のおばちゃんが僕に声をかけてきました。
「あんだ、学校さぁ行ってのすか?」
おばちゃんは、おおきな背負い籠(トタンで出来たような銀色の箱)に寄りかかりながら、話かけて来ました。するともう一人のおばちゃんも「いつも、はやぐぅから電車さ乗るやろっこがいると思ってたおん。なして電車さぁ乗ってんのがぁと思ってたっちゃ。あんだどこの学校さぁ行ってのすか?」
周りにおかまいなく大きな声で話しするこのおばちゃん達のインタビューを急に受ける事になった状況に僕は思いっきり緊張しました。日ごろから「あんたは仙台から小学校に通っていることになっているんだから、どこから通っているかって聞かれたら、たまたま塩釜から今日だけ電車に乗ってると言いなさい」って言われておりました。しかし、ほとんど毎日電車の中で顔を合わせているおばちゃん達です。そんな言い逃れは通用いたしません。
僕は周りを気にしながら、小声で答えました。
「仙台の小学校さぁ行ってる」
「なして、また仙台さぁわざわざ通ってのすか?」
毎度の質問です。僕が仙台の小学校に通っていることに驚いた大人たちは決まってそう質問するのでした。最初に通い始めたとき、本塩釜の改札の駅員さんにも聞かれました。僕が答えに困っていると、もう一人の(3人目の)おばちゃんがお茶をすすりながらこう言いました。
「あんだ、わかんねぇのすか、このやろっこは、頭いいから、塩釜から仙台の小学校さ通ってんだっちゃ。6年生なんだべ?(僕に振られても。。)来年五橋だっちゃなや」
複雑な家庭の事情を話してもしょうがないし、かと言って塩釜から五橋中学校に通っている先輩達(この時点ではまだ誰も知りませんでしたが)の成績の良さを思いますと、こう思われてもいたしかたがないのかもしれませんが。
僕は顔から火がでそうなくらい、恥ずかしい思いでした。でもようやく、口を開きました。
「俺そんなに成績よくねぇおん。ただ仙台の小学校さぁ通っているだけだっちゃ」
4人いたおばちゃん達は一斉に大笑いでした。
多賀城を過ぎ(この当時まだ中野栄はありません)陸前高砂でまた電車は混み始めました。乗ってきたサラリーマン達はおばちゃん達を避けるかのように、立っています。考えれば、おばちゃん達のそばにいるから、僕はサラリーマンのお尻に顔を潰されないでいられるのかもしれません。僕が少しだけ、話したものですから、おばちゃん達はあれこれ話しかけてきました。
「だれ、小学生が一人して電車で学校さぁいぐんだおんねぇ、ちゃんと朝ご飯くってきたのすか?」
「今日はパン食べてきたっちゃ」
「ほれ、今日は寒かったすべ。おちゃっこ飲んだらいいっちゃ」
水筒から番茶(これがものすごく渋かった)を出してくれたので、僕は悪いと思い飲みました。とたんに電車が ガタン 急ブレーキ。お茶を吹き出しました。
そこでまた大笑い。
電車は宮城野原駅に止まるところです。
「そんなかさぁ何へぇってのしゃ?」と気持ちがほぐれたからでしょうか、籠の中が気になっていた僕は聞きました。
「こいづかぁ、魚とか海苔とか、仙台の団地さぁ回って売ってのっしゃ。ほれ、新海苔。いいにおいだすぺ」
考えればこの車両中、魚だの海苔だの臭いが充満しているのでした。
やはりどうりで、ラッシュ時間の割りにはすいているわけです。
「ここさぁは焼きたてのかまぼこさぁ入ってんだべ」
もう一人のおばちゃんがかまぼこを見せてくれました。
「あんだ持っていぐかぁ?」
「だめだっちゃ、だれこの人、昼は給食だっちゃ」
「んだなや、わすれったなや。おらほの孫とおんなしくれぇだおん」
おばちゃんは、この笹かまぼこを少しだけちぎって僕にくれたのでした。
「うめぇかったなや」(酔漢談)
今考えると、異様な電車の中の様子です。でも当時、だれも咎めはいたしませんでした。かなり迷惑だったんだろうと思うのですが、おばちゃん達が電車の中にいる風景が自然な時代だったのかもしれません。
ですが、気づいた頃には、かつぎ屋のおばちゃん達は姿を消しておりました。
魚臭いあの仙石線の車両は、今じゃ考えられない光景でしょう。
酔漢、下駄電(73系?)と魚の臭いがワンセットとなって、当時の記憶があるのでした。
「いい話しだなぁぁぁ」と、じゅんこさん。
「このかつぎやのおばちゃんって、ハルコがテーマにしとことがあるんだよ」
「そうそう、私もあのおばちゃんの顔・・すきだなぁ」
「酔漢君のくだまき読んでね。ハルコの写真を思い出した・・・」
僕は、その写真が実際どんな作品かは、知りませんでした。
じゅんこさんから、メールを拝受。
仙台メディアパ-クで写真展(キャノン主催)が5月25日から開催されるというもの。
そして、ハルコの、「かつぎやのおばちゃん」が、紹介されるとも案内にありました。
その解説です。
フォルマーレ・ラ・ルーチェ。ホームページより抜粋です。
このホームページには、たくさんの「イネさん」が写っております。
ご覧下さい。
そして、「じゅんこ」さんの紹介文です。
1995年に発表された中村ハルコさんの作品「魚を売るイネさん82歳」。
5月25ー30日、せんだいメディアテーク6faで
ご紹介させていただくことになりました。
その準備で、ここしばらくイネさんの写真と向き合っていたのですが、 味わい深い、芯のあるステキなおばあちゃまが写し出されています。
ハルコさんは、そのイネさんに夢中になって、夏と冬の10日間、 寝食を共にして撮影されたそうです。
ハルコさんのお姉様曰く、イネさんのたくましさ、強さ、早起き、自由さに惚れていたのではないかとのこと。
小樽のイネさんは、朝から魚の仕入れを一人で行い、行商します。
発泡スチロールの保冷箱をひきずって売り歩く姿は、今はなき、存在しない商人の原型なのかもしれません。
昔はこういう商売の仕方もあったんだなぁとたいへんさを痛感し、そしてそれを頼りにしていた買い手の方とのやりとりが大きな笑顔となって描き写され、こちら側(見る側)にも笑みを起させてくれます。
イネさんのしわの数だけ、人生の喜怒哀楽が刻み込まれている、ステキな写真の数々です。
お豆腐やさんのラッパの音を聞きつけて、思わすイネさんの話になってしまいましたが、写真の中に、何の魚が売られているのか、チェックしてみようと覗きこんでみました。
あじの開き、イカ、カレイらしきものがありましたよ。
写真ってこんな感じで自分なりの見方が加わってくると、さらなる発見が広がって、ますます見ることが楽しくなってくるんです。
仙石線の電車の中に「かつぎ屋のおばちゃん」達が入ってくると、それまでOL達の化粧の匂いの充満していた車内が、突然「魚の匂い」に変わってきます。
僕は、その匂いは全く気になりませんでした。むしろ、香水の匂いのする電車よりは安心する。
それは、塩竃の夕方の景色と一緒の匂い。親父の作業着の匂い。同じ懐かしさを感じていたのかもしれません。
「ハルコもその中に何かを感じていたんだ」
彼女が何を感じ取っていたのか、今さらですが、聞き出したい衝動に駆られております。
「あんだ、お茶っこ飲まねぇすか」
水筒から出された渋い番茶の味も、思い出されます。
その作品が、この度、公開、展示されることとなりました。
ご紹介いたします。
キヤノンが「写真新世紀 仙台展 2012」を開催
キヤノンは、新人写真家の発掘・育成・支援を目的とした写真公募コンテスト「写真新世紀」の2011年度(第34回公募)の受賞作品展を、2012年5月25日から5月30日まで、宮城県仙台市の「せんだいメディアテーク」で開催します。
■「写真新世紀 仙台展 2012」の内容・特徴
1.2011年度の受賞作品、2010年度のグランプリ受賞者の新作を展示
「写真新世紀 仙台展 2012」は、「写真新世紀 東京展 2011」(開催期間:2011年10月29日~11月20日)を再構成した写真展です。 「写真新世紀」の2011年度グランプリ受賞者の赤鹿麻耶氏をはじめ優秀賞受賞者4名、佳作受賞者20名の受賞作品を展示するほか、東北在住・出身の歴代受賞者4名*1による特別展示も予定しています。 また、2010年度のグランプリ受賞者である佐藤華連氏の新作個展『間、うつろう』を同時開催します*2。
2.出展者と来場者の交流を図るトークショー「アーティスト・トーク」を実施
2012年5月26日(土)15時30分より、会場内において、2011年度グランプリ受賞者、2010年度グランプリ受賞者、東北在住・出身の歴代受賞者4名のうち3名の、計5名によるトークショー「アーティスト・トーク」を実施します。 作品のスライドショーを交えながら、受賞者各自に制作意図や作品コンセプト、今後の活動予定などについてプレゼンテーションしてもらうほか、来場者との質疑応答など交流の場を設けます。
*1福島県、宮城県在住・出身の菅野パンダ氏、伊藤トオル氏、木戸孝子氏、中村ハルコ氏の計4名。 中村ハルコ氏は2005年に逝去されており、今回の「写真新世紀 2012 仙台展」では過去の作品を展示します。 ほか3名は、主に近年撮影した新作を展示します。
*2グランプリ受賞者には翌年の受賞作品展における個展開催の権利を授与しています。
【 実施概要 】
■名称:「写真新世紀 仙台展 2012」
■日時:2012年5月25日(金)~5月30日(水) 10:00~19:00(会期中無休)
■主催:キヤノン株式会社
■入場料:無料
■会場:せんだいメディアテーク 6階 ギャラリーb
〒980-0821 宮城県仙台市青葉区春日町2-1 TEL:022-713-3171
■交通:
【電車の場合】
仙台駅から泉中央行きで約3分、勾当台公園駅下車。「公園2」出口から徒歩6分
【バスの場合】
仙台市営バス 仙台駅前29番(荘内銀行前)のりばから「定禅寺通市役所前経由
交通局大学病院」行き(系統番号J410)で約10分
■関連イベント:アーティスト・トーク 2012年5月26日(土)15:30~17:30
「ハルコ」さんの作品と「かつぎ屋のおばちゃん」でコラボレーション。
彼女のコメントを聞いてみたい・・・そう思いました。
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