1978年、ヤクルトスワローズは、広岡達郎監督の下、球団創設以来初のリーグ優勝をなしとげました。この話はその前年。酔漢が中学2年生のときの話です。
教室には、さかい君がおりました。彼はヤクルトスワローズの数少ない?ファンでした。(彼はまた、五橋中学一の天体マニアでもありました)
「昨日は、安田が調子よかったもんな。阪神やっつけたし」
「あさってから、仙台でしょ。相手大洋だよね」
「大洋主催だけど。俺は当然見に行くよ。多分岡田さん(故ヤクルト応援団長)もくるだろうしね」
仙台でのデーゲームです。横浜が大洋ホエールズの頃は年に一回は仙台で主催ゲームを行なってくれたのでした。宮城は漁業関係者が多いのですが、大洋子会社も多数ありましたし、鮎川は大洋の近海捕鯨の基地でもありました。(昔の話ですが)
「で、明日、仙台ワシントンホテルにヤクルトの選手来るんだけど、俺、サインもらいに行こうと思って。酔漢つき合わねぇか」
「予定ないからいいよ。しょうじ君は一緒に行く?」
「つきあうよ。今年は巨人だめだよね。ヤクルトにやられているもんな」
話は決まりました。明日は、学校終了後ワシントンホテルです。ちなみにまだ東北新幹線は開業してません。ヤクルトは、一日の試合移動の場合は飛行機を使って移動しておりました。ちなみに、大洋ホエールズは、花京院交差点そば、ホテルメイフラワーを使っておりました。(ワシントンホテルは阪神も使っていました)
で、当日です。
僕らは学校終わると、速攻でワシントンホテルへと向いました。雨が降って来ました。「明日は、午後から晴れる予報だけど、グランドの状態が心配だね」とか話しておりました。
ワシントンホテルのロビーの前、いっこうに選手の姿が見えません。
「ロビーでコーヒー飲んでる選手が一人くらいいたっていいんでねぇか?」
「それにしても、腹減ってきな。どのくらいいる?」
「今、7時半だから、かれこれ2時間ちょっとはいるよね」
「8時になったら帰ろうぜ」「えーあきらめるのかよ。俺一人で待ってみる」
さかい君はねばる様子です。
で、その時です。
「あれ!大杉さんでねぇか?」ふとロビーを見ると、大杉(大杉勝男さん)さんがいるではありませんか。僕らは色紙を持って、大杉さんのところまで、駆け寄りました。
「あの大杉さん、サインお願いします」
「なんだ、中学生か?おそくまで、ダメじゃないか」
「ヤクルトの選手のサイン欲しくて、待ってました」
「どのくらい、待ってたんだ?」「もう3時間くらい」
「そうか、ごめん今日は、雨も降って来たから、ホテルの上で食事と飲んでるやつがほとんどなんだ。ちょっとここでまってて」と大杉さんは僕らの色紙を持ってまたエレベーターに乗り込みました。
約30分位経ったでしょうか、再び大杉さんが戻って来ました。
「おいぼうずども、これでいいか?」
大杉さんは、ホテルに残っている選手のサインをもらってきてくれたのでした。
「大杉さん、すみません。本当にありがとうございます」
「誰のが欲しいか分からなかったから、いる奴ら適当にサインしてもらってきたんだけど、誰か欲しかった?」
「あのー若松さんのは」(ここまで、来てまだ言っているさかい君です)
「あっはっはっ。ごめん若松は出かけているよ」
「大杉さんありがとうございました」
「夜遅いから、早く帰りなさいよ」
と言って大杉さんは、ロビーに戻りました。
「まったかいがあったね」「本当だね」「で、サイン見せて」
「おっ!松岡さんあるぞ。これは、水谷さんでしょ。あとこれは、梶間さん。やっぱりピッチャーはいるんだ」
サインの数よりも、大杉さんが僕らの為に骨を折ってくれた事の方に、感動しました。野球選手を本当に身近に感じた瞬間でした。
翌日、宮城球場で無事試合が行なわれました。結果は大洋が斉藤明雄の好投で勝ちました(点差等は記憶にありませんが)大杉さんも打ってなかったように思います
酔漢自身、これ以来、ヤクルトを応援するようになりました。
今、多くの球団で、ファンイベントなど、積極的に行なうようになりました。地域密着、メジャーリーグのようなホームタウン制など、一昔よりは、ファンと触れ合う機会が増えたと思います。でも、大杉さんのように、一人一人に声をかける選手が増えてくれば、野球ファンはもっと増えると思います。選手を身近に感じることがいかに大事なことでしょうか。
で、次回もヤクルトスワローズのお話です。(すみません)高校3年時の担任(現在、築館高校、校長先生)との話です。
教室には、さかい君がおりました。彼はヤクルトスワローズの数少ない?ファンでした。(彼はまた、五橋中学一の天体マニアでもありました)
「昨日は、安田が調子よかったもんな。阪神やっつけたし」
「あさってから、仙台でしょ。相手大洋だよね」
「大洋主催だけど。俺は当然見に行くよ。多分岡田さん(故ヤクルト応援団長)もくるだろうしね」
仙台でのデーゲームです。横浜が大洋ホエールズの頃は年に一回は仙台で主催ゲームを行なってくれたのでした。宮城は漁業関係者が多いのですが、大洋子会社も多数ありましたし、鮎川は大洋の近海捕鯨の基地でもありました。(昔の話ですが)
「で、明日、仙台ワシントンホテルにヤクルトの選手来るんだけど、俺、サインもらいに行こうと思って。酔漢つき合わねぇか」
「予定ないからいいよ。しょうじ君は一緒に行く?」
「つきあうよ。今年は巨人だめだよね。ヤクルトにやられているもんな」
話は決まりました。明日は、学校終了後ワシントンホテルです。ちなみにまだ東北新幹線は開業してません。ヤクルトは、一日の試合移動の場合は飛行機を使って移動しておりました。ちなみに、大洋ホエールズは、花京院交差点そば、ホテルメイフラワーを使っておりました。(ワシントンホテルは阪神も使っていました)
で、当日です。
僕らは学校終わると、速攻でワシントンホテルへと向いました。雨が降って来ました。「明日は、午後から晴れる予報だけど、グランドの状態が心配だね」とか話しておりました。
ワシントンホテルのロビーの前、いっこうに選手の姿が見えません。
「ロビーでコーヒー飲んでる選手が一人くらいいたっていいんでねぇか?」
「それにしても、腹減ってきな。どのくらいいる?」
「今、7時半だから、かれこれ2時間ちょっとはいるよね」
「8時になったら帰ろうぜ」「えーあきらめるのかよ。俺一人で待ってみる」
さかい君はねばる様子です。
で、その時です。
「あれ!大杉さんでねぇか?」ふとロビーを見ると、大杉(大杉勝男さん)さんがいるではありませんか。僕らは色紙を持って、大杉さんのところまで、駆け寄りました。
「あの大杉さん、サインお願いします」
「なんだ、中学生か?おそくまで、ダメじゃないか」
「ヤクルトの選手のサイン欲しくて、待ってました」
「どのくらい、待ってたんだ?」「もう3時間くらい」
「そうか、ごめん今日は、雨も降って来たから、ホテルの上で食事と飲んでるやつがほとんどなんだ。ちょっとここでまってて」と大杉さんは僕らの色紙を持ってまたエレベーターに乗り込みました。
約30分位経ったでしょうか、再び大杉さんが戻って来ました。
「おいぼうずども、これでいいか?」
大杉さんは、ホテルに残っている選手のサインをもらってきてくれたのでした。
「大杉さん、すみません。本当にありがとうございます」
「誰のが欲しいか分からなかったから、いる奴ら適当にサインしてもらってきたんだけど、誰か欲しかった?」
「あのー若松さんのは」(ここまで、来てまだ言っているさかい君です)
「あっはっはっ。ごめん若松は出かけているよ」
「大杉さんありがとうございました」
「夜遅いから、早く帰りなさいよ」
と言って大杉さんは、ロビーに戻りました。
「まったかいがあったね」「本当だね」「で、サイン見せて」
「おっ!松岡さんあるぞ。これは、水谷さんでしょ。あとこれは、梶間さん。やっぱりピッチャーはいるんだ」
サインの数よりも、大杉さんが僕らの為に骨を折ってくれた事の方に、感動しました。野球選手を本当に身近に感じた瞬間でした。
翌日、宮城球場で無事試合が行なわれました。結果は大洋が斉藤明雄の好投で勝ちました(点差等は記憶にありませんが)大杉さんも打ってなかったように思います
酔漢自身、これ以来、ヤクルトを応援するようになりました。
今、多くの球団で、ファンイベントなど、積極的に行なうようになりました。地域密着、メジャーリーグのようなホームタウン制など、一昔よりは、ファンと触れ合う機会が増えたと思います。でも、大杉さんのように、一人一人に声をかける選手が増えてくれば、野球ファンはもっと増えると思います。選手を身近に感じることがいかに大事なことでしょうか。
で、次回もヤクルトスワローズのお話です。(すみません)高校3年時の担任(現在、築館高校、校長先生)との話です。
楽しみにしてるんで更新頑張って下さいね!
僕のブログではターバン野口の折り方を紹介しています。
暇があったら是非どうぞ。
http://panicblog.blog109.fc2.com/?eid=1108