「酔漢、授業が終わったら職員室さぁ来い」
「なんだや、またおめぇか?今度は何やらかしたんだ?」
「あらかた、古文の成績わるかったからっしゃ。再テストの日取りでも話されんでねぇか」
仙台向山高等学校。3時間目。漢文の授業が終わった直後でございます。
花井弘美先生から酔漢が呼ばれました。花井先生は国語の主任。(現在は仙台市内私立の高校で教鞭をふるっておられます)
酔漢、職員室へ入ります。
「おぅ来たか。まずはこっちゃ座れ」
「先生、何すか?」
「今、ここに、『からす』→高座名が『翔屋からす』でございます(これから先、登場されますお名前は落語の高座名で語ります)がくっからっしゃ。ちょっと待ってってけらいん」
「先生、遅れました」とからす君が職員室へ。
彼、酔漢の後輩。2年生でした。
「酔漢、最初に言うけんど、おめぇ『落研』さぁ、へぇりてぇって?」
「まだ、決めたわけではねぇんですけんど、落語はやった事あっからっしゃ。部員って今、一人なんだすぺ。生徒会も完全に引退したし、やってみっぺって・・」
「んで、決まり!からす。先輩できてえがったなや」
酔漢。これで仙台向山高校落語研究会に無事?入部となったのでした。
前後逆になりましたが、花井先生は顧問でした。
「んで高座名決めっぺ。明日ぐらいまで考えておいてけさいん」と、からす。
「実は名前付けてくれた先輩がいんのっしゃ?」
「誰すか?」
「『弥舞』さんだすぺ」
「酔漢さん、去年卒業した『鯉乃弥舞』さんと知り合いだったのすか?」
「んだ。五橋の先輩だっちゃ。中学のときも落語さそわれたんだすぺ」
「なんでもっと早く落研さぁ来てけねかったのすか?」
「おれもほれ、応援団だの生徒会だのやってたからっしゃ」
「んで、高座名って何っしゃ?」
「『新海亭あん好』だべ。甘党なもんでや」(酒の話をさんざん語った後ですが)
酔漢、この高座名を引退するまで使い続けました。(正体がバレますかな?)
中学の先輩でもあります「弥舞」さん。腕前は相当でした。格好がまたよくて。
空気抵抗値の少なさでは校内一のスリムさを誇っております。普段着は「ロックシンガー」そのもの。ちょっと「ミックジャガー」を意識していたのかな?勿論愛用のウォークマンコレクションには、「ローリングストーンズ」の曲と共に、「古今亭志ん生」ライブが含まれているのでした。ですから「落語をする人」には見えないわけです。
もちろん、入学されました「東北学院大学」でもしっかり落語研究会に所属いたしておりました。
土曜の午後。からす君が教室へ。
「あんこう先輩。今日午後予定ありすか?」
「なんもねかす。何っしゃ?」
「今日、『日立ファミリーセンターホール』で学院大学落研の定例会があんのっしゃ。見さぁいかねぇすか?」
「いぐっちゃ。弥舞先輩もいんだすぺ?」
「もちろんだっちゃ」
青葉通り下車。(緑の市バス)日立ファミリーセンターへ。
ものき(着物の事です。落語の世界では「ものき」と何故か言われてます)を着た部員が声をあげて勧誘しております。
木戸銭(入場料の事です。落語の世界は「木戸銭」といわれてます)はただ。
→演劇と違いましてアマチュアは木戸銭は取りません。
ホールの中へ入りました。
丁度出番の入れ違い。中入り直後の出番です。
番組表と部員紹介表を入り口で頂きました。
次の出番は「はれるやぶんこう」と名前がありました。
「おめぇ知ってか」と酔漢。
「この前も出てました。面白い話する人だべ」とからす君。
題は「やかん」
知ったかぶりのご隠居と相変らずの八五郎との掛け合いです。
この人。爆笑を取りました。しかも上手い!なにせ声がいい。(あん好。声が低いので苦労しました。芝居(演劇)では重宝されましたが・・)
「矢があたってかぁぁーん。やがあたってかぁぁーん。いいですか、リクエストにお答えいたしまして。やがあたって、かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。(ゼイゼイ・・・)やかん。やかん。やかんとあいなりました。 お後がよろしいようで」
「すげぇっちゃ。あの迫力」
「とてもあんな風にはできねぇっちゃ」
「あん好先輩とは芸風が違うっちゃ」(これは、本当です。とてもこんな様にはマネしたくてもできません)
「高座からのオーラが違うっちゃ。座ってるだけで、おもせぇおんなや」
本当でした。
「ぶんこう」さんの話を聞きましたのは、これが最初で最後でした。行き違いが多くて、なかなか聞く機会に恵まれませんでした。
帰り際。
「なんだ、おまえら来てけたんだなや」
「弥舞先輩。(今回は出番はなしでした)あの『ぶんこう』さんっておもせぇかったっちゃ」
「『こういち』か?あいつはプロ目指してんのっしゃ」
「んで大学卒業したら、プロの噺家さぁなんのすか?」
「まぁ本人の希望だけんど」
「あれだけ、完璧で雰囲気もあったらっしゃ。なれんでねぇのすか?」
「へたな二つ目さんよりよっぽどおもせぇっちゃ」
「まぁ、あいずが一番プロに近けぇのは、確かだべ」
24年後。神奈川藤沢。午前7時。テレビ東京から我が家の朝が始まります。
「おっはーーーーーーー!やまちゃんですよぉーー」の声。
「『ぶんこうさん』だべ」
「おやじ誰?『ぶんこう』さんって。今テレビに出てるの『やまちゃん』だよ」
「山寺宏一さんだべ。この人の落語はマネできねえぐれぇ、おもせかったっちゃ」
「親父知ってんの?」
「落語してたかんな。『ぶんこう先輩』は目標だったっちゃ」
昭和58年。東北学院大学プロフィールの写真です。当然「鯉乃弥舞」さんのもあります。が、ページは「はれるやぶんこう」さん。山寺宏一さんのです。
七色の声。「あんぱんまんのシーズー」からポケモン全作品にご登場。
噺家ではありませんでしたが、超一流の声優であらせられます。
何より!あのオーラのまま番組に出演されておりますお姿を見ますと、懐かしさも込み上げてくるのでした。
お後がよろしいようで。
「なんだや、またおめぇか?今度は何やらかしたんだ?」
「あらかた、古文の成績わるかったからっしゃ。再テストの日取りでも話されんでねぇか」
仙台向山高等学校。3時間目。漢文の授業が終わった直後でございます。
花井弘美先生から酔漢が呼ばれました。花井先生は国語の主任。(現在は仙台市内私立の高校で教鞭をふるっておられます)
酔漢、職員室へ入ります。
「おぅ来たか。まずはこっちゃ座れ」
「先生、何すか?」
「今、ここに、『からす』→高座名が『翔屋からす』でございます(これから先、登場されますお名前は落語の高座名で語ります)がくっからっしゃ。ちょっと待ってってけらいん」
「先生、遅れました」とからす君が職員室へ。
彼、酔漢の後輩。2年生でした。
「酔漢、最初に言うけんど、おめぇ『落研』さぁ、へぇりてぇって?」
「まだ、決めたわけではねぇんですけんど、落語はやった事あっからっしゃ。部員って今、一人なんだすぺ。生徒会も完全に引退したし、やってみっぺって・・」
「んで、決まり!からす。先輩できてえがったなや」
酔漢。これで仙台向山高校落語研究会に無事?入部となったのでした。
前後逆になりましたが、花井先生は顧問でした。
「んで高座名決めっぺ。明日ぐらいまで考えておいてけさいん」と、からす。
「実は名前付けてくれた先輩がいんのっしゃ?」
「誰すか?」
「『弥舞』さんだすぺ」
「酔漢さん、去年卒業した『鯉乃弥舞』さんと知り合いだったのすか?」
「んだ。五橋の先輩だっちゃ。中学のときも落語さそわれたんだすぺ」
「なんでもっと早く落研さぁ来てけねかったのすか?」
「おれもほれ、応援団だの生徒会だのやってたからっしゃ」
「んで、高座名って何っしゃ?」
「『新海亭あん好』だべ。甘党なもんでや」(酒の話をさんざん語った後ですが)
酔漢、この高座名を引退するまで使い続けました。(正体がバレますかな?)
中学の先輩でもあります「弥舞」さん。腕前は相当でした。格好がまたよくて。
空気抵抗値の少なさでは校内一のスリムさを誇っております。普段着は「ロックシンガー」そのもの。ちょっと「ミックジャガー」を意識していたのかな?勿論愛用のウォークマンコレクションには、「ローリングストーンズ」の曲と共に、「古今亭志ん生」ライブが含まれているのでした。ですから「落語をする人」には見えないわけです。
もちろん、入学されました「東北学院大学」でもしっかり落語研究会に所属いたしておりました。
土曜の午後。からす君が教室へ。
「あんこう先輩。今日午後予定ありすか?」
「なんもねかす。何っしゃ?」
「今日、『日立ファミリーセンターホール』で学院大学落研の定例会があんのっしゃ。見さぁいかねぇすか?」
「いぐっちゃ。弥舞先輩もいんだすぺ?」
「もちろんだっちゃ」
青葉通り下車。(緑の市バス)日立ファミリーセンターへ。
ものき(着物の事です。落語の世界では「ものき」と何故か言われてます)を着た部員が声をあげて勧誘しております。
木戸銭(入場料の事です。落語の世界は「木戸銭」といわれてます)はただ。
→演劇と違いましてアマチュアは木戸銭は取りません。
ホールの中へ入りました。
丁度出番の入れ違い。中入り直後の出番です。
番組表と部員紹介表を入り口で頂きました。
次の出番は「はれるやぶんこう」と名前がありました。
「おめぇ知ってか」と酔漢。
「この前も出てました。面白い話する人だべ」とからす君。
題は「やかん」
知ったかぶりのご隠居と相変らずの八五郎との掛け合いです。
この人。爆笑を取りました。しかも上手い!なにせ声がいい。(あん好。声が低いので苦労しました。芝居(演劇)では重宝されましたが・・)
「矢があたってかぁぁーん。やがあたってかぁぁーん。いいですか、リクエストにお答えいたしまして。やがあたって、かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。(ゼイゼイ・・・)やかん。やかん。やかんとあいなりました。 お後がよろしいようで」
「すげぇっちゃ。あの迫力」
「とてもあんな風にはできねぇっちゃ」
「あん好先輩とは芸風が違うっちゃ」(これは、本当です。とてもこんな様にはマネしたくてもできません)
「高座からのオーラが違うっちゃ。座ってるだけで、おもせぇおんなや」
本当でした。
「ぶんこう」さんの話を聞きましたのは、これが最初で最後でした。行き違いが多くて、なかなか聞く機会に恵まれませんでした。
帰り際。
「なんだ、おまえら来てけたんだなや」
「弥舞先輩。(今回は出番はなしでした)あの『ぶんこう』さんっておもせぇかったっちゃ」
「『こういち』か?あいつはプロ目指してんのっしゃ」
「んで大学卒業したら、プロの噺家さぁなんのすか?」
「まぁ本人の希望だけんど」
「あれだけ、完璧で雰囲気もあったらっしゃ。なれんでねぇのすか?」
「へたな二つ目さんよりよっぽどおもせぇっちゃ」
「まぁ、あいずが一番プロに近けぇのは、確かだべ」
24年後。神奈川藤沢。午前7時。テレビ東京から我が家の朝が始まります。
「おっはーーーーーーー!やまちゃんですよぉーー」の声。
「『ぶんこうさん』だべ」
「おやじ誰?『ぶんこう』さんって。今テレビに出てるの『やまちゃん』だよ」
「山寺宏一さんだべ。この人の落語はマネできねえぐれぇ、おもせかったっちゃ」
「親父知ってんの?」
「落語してたかんな。『ぶんこう先輩』は目標だったっちゃ」
昭和58年。東北学院大学プロフィールの写真です。当然「鯉乃弥舞」さんのもあります。が、ページは「はれるやぶんこう」さん。山寺宏一さんのです。
七色の声。「あんぱんまんのシーズー」からポケモン全作品にご登場。
噺家ではありませんでしたが、超一流の声優であらせられます。
何より!あのオーラのまま番組に出演されておりますお姿を見ますと、懐かしさも込み上げてくるのでした。
お後がよろしいようで。
あと三週間弱で今年も終わっちゃいますね~。酔漢様も忘年会やお仕事でお身体に無理なさる事も多いと思います。どうぞお気をつけて下さいね。
アレもコレもやらなくちゃいけないんですが・・・やれる範囲だけやろうっという、ダメ主婦がここに一人(笑)
落研って、大学どうしで交流が深かったんですね。
寄せを見る事はまずありませせんが、新宿の末広亭は、2度程見に行きましたよ。
たまには、寄席もいいっちゃね。
いきなり真打登場!でしょ。
座って自身の住所を話すだけで笑いが取れる。
そんな雰囲気をもっていた先輩でした。
このほかにも有名人ではないのですが、本当に面白い方々が大勢いたのでした。
またご紹介いたしますね!
その山寺先輩とご一緒させていただいた事がございました。
サイン貰っておくべきでした。
落語ブームと言われておるようですが、東北福祉大学落語研究会はなくなったようですし、僕らが作りました宮城教育大学落語研究会もしかりです。仙台の落語文化が一番賑わった時代におりました。これから少しづつ語ります。
是非、遊びに来てけらいん。
・・・と、ここまでがコメントの限界!
椎間板ヘルニアが悪化してしまい、2日間寝たきりでした。
今もって、椅子に数分しか座れませんです・・・
クロンシュタット様が以前おられました「頂上」という会社。
世田谷三軒茶屋のお店にいました際、よく価格を調べにまいりました。と言えば、酔漢の現在の職業もお解かりいただけると存じます。
数年前から外資となりました小売の会社です。
しかも、食品を扱っておりますので、そのご苦労は重々承知いたしております。
幸い、腰を痛めることはありませんでした。
自転車をやっておりましたので、その恐さを知っておったのが役にたちました。
完治の難しい病気ではございますが、焦らず直していただきたいと思います。
お見舞い申し上げます。
それと、「頂上」ですが、内定は頂いておりました。クロンシュタット様の後輩になっておったかもしれません。
縁でしょうか。今までだまっておってすみません。
久々の更新、嬉しく拝見。御仕事御疲れ様です。
あれこれ書くと、酔漢さんの半紙を盗っちゃうことになるから書きません。あの話やこの話・・・酔漢さん、楽しみにしてっからネ!
バスの定期代を遊興費に当てていた私は、めったに乗ることかなわずでした。
多くの「お金のなさげな」二高生が、中央通から一番丁を横切り、西公園を通って徒歩で通学していました。やはりバス代は別の用途に消えてしまうのです。
西公園にあるささやかな神社(名前を失念してしまいました)にまっすぐに通じる小道を、我々は「表参道」と呼んでいました。
やがて数年後。上京組は、原宿の表参道にある「ペニーレイン」につどったものです。
本物の表参道はまぶしすぎたのか、上京組の連帯とやらも、数ヶ月で消えてしまいましたが。
中学から高校、そして大学時代、どうしても成就できなかった相手の家へも、日立ファミリーセンターからのバスが通じているのでした。
あの時、ほんのささやかな、でも永遠に見つからなかった「何か」が手に入れば、私は仙台で一生を終えていたのでしょう。
日立ファミリーセンターという響きは、今もって、息苦しくなるような思いがします。
今日は腰痛の悪化に対し半ばヤケクソで出勤し、壊れてしまった体でもって、残業もたっぷりいたしました。
帰宅後、酔漢さんの三軒茶屋話に高揚してしまい、コメントしまくっております。へへー!ですよ。
私は三茶の店には配属されませんでしたが、チラシ製作や新店の販促を担当していた時期が長く、いろんな競合他社の「店舗調査」「価格調査」に手を染めました。
酔漢さんがいらしたのは、茶沢通り沿いの・・・
クリネックス5Pが298円、サランラップが148円、スプーン印の白砂糖が・・・
ところで、日立ファミリーセンター前のバス停はオイラも高校(クロンシュタットさんとことは違いますが)の時に頻繁に利用していましたが、当時あの辺りは仙台市内でもトレンドの高い地域で、今はなき地元資本のバーガーショップ“サンライズハンバーガー”や「吉野家仙台一号店」が軒を並べてましたよね。
青葉通りをまっすぐ。七十七本店まで歩いてかよいました。「サンライズ」はその頃。
「ハンバーガー」という響に都会を感じました「吉野家」は駅前より先。中学の頃です。
500円という大金を手にして、飯が食えました。
それまでは、そばの神田。飯のはんだやが定番でしのに、「吉野家」は革命的存在でした。
なんてたって「味よし」や「ススキノ」「悟空」「大将」「まんみ」などと言ったラーメン屋なんて高級店もいいとこでした。
青葉通りの屋台を見かけなくなりました。
大人になったら一度入りたいと思っておりました。実はあこがれておりました!
・・・高校生で屋台で飲むなっつーの!
昔の噺家の高座をラジオ番組(確か「真打紹介」で放送していた玉置宏氏が、著作権法違反で訴えられました。
他局所有の音源などを、勝手に使用していたとのことらしいです。
よく聞き込んでいた番組でしたので、「何だよー」との思いです。
で、も、たぶん、「著作権」など存在しない時代が落語の世界では長かったのでしょうからね。
通勤路の途中に新宿末広亭があります。いつか覗いてみようかと思い続けております。
中学生の時は、学校の給食以外で空腹を満たすとなると・・・もっぱら駅の立ち食い蕎麦屋でした。あ、それと勿論「みちのくそば屋」。ね、酔漢さん!!
山ちゃんが声優で売れ始めているらしいという話は聞いていたのですが、仙台では「おはスタ」をやっていないので、そんなに人気者になっていたとは知りませんでした。それを知ったのは、バスケ部の同期が夏休みに家族で東京に遊びに行ったとき、まだ眠いのに子供がTVを観て「山ちゃん、山ちゃん」と騒いでいるので(子供たちはコロコロコミックかなにかで知っていたようで)、「うるせごだ、山ちゃんて誰や!?」とTVを観ると、そこには後輩の山寺君が映っており、その同期も「ありゃ!山寺だっちゃ!いや~たまげだなや」と、初めて後輩の活躍ぶりを目の当たりにしたという話を聞いて、それ以来上京すると早起きしておはスタを観たり、日テレ(?)のものまね(終わってしまったけど・・・)を観ては「山寺凄い。あいつの先輩の俺はもっと凄い」(たまたま早く入学しただけで誕生日は3ヶ月くらいしか違わないのに)と一人悦に入っています。
山ちゃんは昔から物まねが得意で、合宿の打ち上げなどでは顧問の先生の真似などをしてやんやの大喝采でした。そんな山ちゃんの活躍が時には萎えてしまいそうになる私の活力源となっています。
お一つだけ・・・
「こじま」さんをご存知ですか?
「ひろし」さんですが・・
もし、知っていらっしゃいましたら・・
過去ブログ中学編で登場しております。
苦竹男様と高校同窓ではなかったかと記憶しております。
仙台には住んでいるはずなので、今度会ったときは酔漢様の件も含め、情報交換をしようと思います。
さて、こじまさん三兄弟でいらして、末弟のただし君は小学校・中学校・高校とも同じクラスだったのでした。
そのひろしさんは、丹治さんと私も、多少ならず影響を受けた方です。
よく、ご自宅へ伺いました。
それにしても、お会いしたことも無い酔漢様とこのように共通の話題でお話(?)できるとは、20世紀に少年だったおやじには何か不思議な気持ちです。
GW中に出かけた先で噂の小島君と会いました。その場所がなんと仙台からはるか離れた山形県の酒田です。
1Fに海鮮市場が入っている建物で,市場をのぞいてから,カミさんが2Fは何があるの?と言うので,2Fに行ってみると,奥さんと二人連れの小島君とバッタリ会ったのです。お互い「正式な相方」と一緒だったから良かったですが(私には当然未公認の相方はいませんが・・・),お互いに「どこで誰と会うかはわからないものだ。悪いことはできないなあ」と暫し,近況を話し合った後,「ところで,五橋で塩釜出身の後輩を覚えているか?」と小島君に聞いてみると,丹治様と酔漢様の名前が即座に帰ってきました。
酔漢様によろしく伝えて欲しいということでしたので,お知らせまで。
ひろし先輩がお元気そうで何よりです。
思えば、五橋中学校廊下で「ハイルタンジ!」
と声をかけておりました。し、一年の頃、クラスに応援指導に来て頂いたのも「ひろし先輩」でした。
それにいたしましても仙台ではなく酒田でお会いになられるとは・・・不思議なものです。
それ以来お顔を拝見することなく過ごしてまいりました。帰塩するも、時間も短くお会いすることなままなりません。ご容赦くださいませ。
今更ですが、花井先生、山村先生は当ブログで実名で紹介いたしました。数名の向山卒業生の方から連絡もございます。
作文、小論文では、かなり厳しい評価を頂きました。先生がご覧になられると聞き、改めて、誤字脱字はもちろん、文章の構成など検証したところです。
「おめぇの文章、何言いたいのか、論文はそこが肝心なんだ」
高校時代に頂きましたご指導のおかげをもちまして、卒業論文、そしてブログと、国語アレルギーから脱する事ができたと信じております。
山村先生からは、お葉書と。そして花井先生からコメントを頂戴し、何とも幸せな高校時代だったと思いました。
8月。高校同窓会の案内が届きました。
今の仕事が佳境に入り、出向くことができません。お話いたしたいことが山程ございます。
その節はよろしくお願いいたします。
今年の年賀状。ホームズ好きな次男です。
「ベーカー街だ。親父俺も行くぞ!」
先生からの年賀状は何故か、次男の葉書ファイルに収まっておりました。