雨か嵐か暗雲の
十字の砲火青葉城
いざ戦わん我が健児
熱血沸きて血は踊る
進め 進め 断固と進め
仙台二高の応援歌を紹介させていただきました。酔漢は、仙台向山高校で応援団にも所属していたものですから、よく高校総体でこの歌を聴きました。名曲だと思います。当時、向山高校は、新設高校でしたから(酔漢は4年目)伝統ある高校の雰囲気が大変うらやましくも思いました。特に、定期戦を見に行きますと、白い学生服に身を包み、旗を平行に振る(ワイパーのように? すみません)二高応援団諸君は、仙台二高らしさを見事に表現していたものでした。
先だって、丹治道彦氏より電話がありました。(丹治氏は現在、東北工業大学ドイツ語助教授。酔漢とはもう30年来の友人になります。仙台最後のバンカラ?だった。一高応援団OBでもありました)
「おう、酔漢か、久しぶり。で、今年の定期線は一高が逆転で勝ったのっしゃ」
「二高は共学になって初めての定期戦でした?」
「今、二高には応援団がなくてな」
「ない?いないんじゃなくて?」
「いや、応援団そのものがないって言ってもいいんじゃないか。いやなくしたというのが、本当のところかも知れない」
事情を把握できない酔漢ですから、まずは丹治氏の話を聞きました。ちなみに丹治氏は仙台一高応援団OBで、幹部長でした。
「共学が問題になったとき、現役応援団諸君が共学に反対の立場を取ったのさ。その時、何故か応援団が悪者みたいになってしまったような状態にまでなって。これはあくまでも、俺の主観だけどな。細かい事情まではわからないけど。で、応援歌とか、旗とか、応援団が自主的に封印すると宣言したのっしゃ」
「封印って?」
「今後、応援歌も歌わないでくれ みたいな感じだべ」
「じゃぁ、これからはいろんな大会で二高の応援歌は聞けないわけ?」
「まぁ、そういうことになるだろうな」
「さびしいですね」
「ああ、定期戦がつまらないよ。時代かも知れないけどな」
二高 二高 二高の勇者 仙台二高
野球応援のとき、この歌は結構盛り上がるんだよね。
二高は何処北陵の 高くそびえるビルディング
なぜかビルディングなのですよ、二高は。
酔漢高校1年時、高校総体応援団打ち合わせ会なるものに参加したことがあります。二高からの出席者は、工藤さんでした。当時2年生。この時のNHK教育番組(確か青春グラフティー)で、一・二高定期戦の特集がありました。一高のゲストは菅原文太さんでした。二高のゲストはすみません記憶にないのです。ただ西沢潤一先生のコメントがあったような記憶があります。で、工藤さんと帰りに一緒になり、この番組の話題をおもちかけたところ
「定期戦前の合宿で、練習中に倒れた部員写ってたでしょ。あれ俺なんだよね」
「きびしい練習でしたね」
「定期戦前はあんな感じだし、でも写すことないよ。一高はあれネタにしてたし」
その年の定期戦は一高の2連勝で終わったのでした。工藤さんは、次の年、しっかり二高応援団長になっておりました。高校総体で酔漢を見つけると、気さくに声をかけてくださったやさしい方でした。練習はきつかったのだろうな。
外野は黙っていたほうがいいのでしょう。僕らは二高応援団諸君のとったジャッジには、なんら異論を唱えるつもりはありません。でも、伝統ある仙台二高応援団がまったく活動がないというものは、仙台から文化が一つなくなったような気がしてなりません。
盛岡一高は共学でも、応援団はそのスタンスを崩さずにやってます。八重樫(現在外交官。東大野球部キャプテンでした。たけしのスポーツ大将でたけし軍団と野球をして官僚チームは辛くもかちました)要する盛岡一高野球部が甲子園にいったとき、和太鼓、下駄禁止の甲子園で彼らは、はだしで、声、旗だけで他校をあっとうする応援を披露してくれました。
なんとか、盛岡一高のようなスタイルが今後二高でとれないものか、共存の道はないのか、教育関係者は彼らとのコミュニケーションをしっかり取れたのか、単に共学のエゴを彼らに押し付けただけだったのではないのか(推察の粋ですが)いろんな事が考えられますが、あらたな方向性を模索する手段を見つけてくれる事を期待してやみません。
詩に詠まれし荒城に
岩咬む流れ広瀬川
意気衝天の我が健児
鉄腕誰をか恐れんや
進め 進め 断固と進め
(記憶をたどって書きました、表記等誤りがございましたらご容赦下さい)
前々回のブログをそのまま更新いたしました。このブログで紹介いたしました仙台二高応援団長のお名前を間違えておりました。
大変失礼いたしました。
十字の砲火青葉城
いざ戦わん我が健児
熱血沸きて血は踊る
進め 進め 断固と進め
仙台二高の応援歌を紹介させていただきました。酔漢は、仙台向山高校で応援団にも所属していたものですから、よく高校総体でこの歌を聴きました。名曲だと思います。当時、向山高校は、新設高校でしたから(酔漢は4年目)伝統ある高校の雰囲気が大変うらやましくも思いました。特に、定期戦を見に行きますと、白い学生服に身を包み、旗を平行に振る(ワイパーのように? すみません)二高応援団諸君は、仙台二高らしさを見事に表現していたものでした。
先だって、丹治道彦氏より電話がありました。(丹治氏は現在、東北工業大学ドイツ語助教授。酔漢とはもう30年来の友人になります。仙台最後のバンカラ?だった。一高応援団OBでもありました)
「おう、酔漢か、久しぶり。で、今年の定期線は一高が逆転で勝ったのっしゃ」
「二高は共学になって初めての定期戦でした?」
「今、二高には応援団がなくてな」
「ない?いないんじゃなくて?」
「いや、応援団そのものがないって言ってもいいんじゃないか。いやなくしたというのが、本当のところかも知れない」
事情を把握できない酔漢ですから、まずは丹治氏の話を聞きました。ちなみに丹治氏は仙台一高応援団OBで、幹部長でした。
「共学が問題になったとき、現役応援団諸君が共学に反対の立場を取ったのさ。その時、何故か応援団が悪者みたいになってしまったような状態にまでなって。これはあくまでも、俺の主観だけどな。細かい事情まではわからないけど。で、応援歌とか、旗とか、応援団が自主的に封印すると宣言したのっしゃ」
「封印って?」
「今後、応援歌も歌わないでくれ みたいな感じだべ」
「じゃぁ、これからはいろんな大会で二高の応援歌は聞けないわけ?」
「まぁ、そういうことになるだろうな」
「さびしいですね」
「ああ、定期戦がつまらないよ。時代かも知れないけどな」
二高 二高 二高の勇者 仙台二高
野球応援のとき、この歌は結構盛り上がるんだよね。
二高は何処北陵の 高くそびえるビルディング
なぜかビルディングなのですよ、二高は。
酔漢高校1年時、高校総体応援団打ち合わせ会なるものに参加したことがあります。二高からの出席者は、工藤さんでした。当時2年生。この時のNHK教育番組(確か青春グラフティー)で、一・二高定期戦の特集がありました。一高のゲストは菅原文太さんでした。二高のゲストはすみません記憶にないのです。ただ西沢潤一先生のコメントがあったような記憶があります。で、工藤さんと帰りに一緒になり、この番組の話題をおもちかけたところ
「定期戦前の合宿で、練習中に倒れた部員写ってたでしょ。あれ俺なんだよね」
「きびしい練習でしたね」
「定期戦前はあんな感じだし、でも写すことないよ。一高はあれネタにしてたし」
その年の定期戦は一高の2連勝で終わったのでした。工藤さんは、次の年、しっかり二高応援団長になっておりました。高校総体で酔漢を見つけると、気さくに声をかけてくださったやさしい方でした。練習はきつかったのだろうな。
外野は黙っていたほうがいいのでしょう。僕らは二高応援団諸君のとったジャッジには、なんら異論を唱えるつもりはありません。でも、伝統ある仙台二高応援団がまったく活動がないというものは、仙台から文化が一つなくなったような気がしてなりません。
盛岡一高は共学でも、応援団はそのスタンスを崩さずにやってます。八重樫(現在外交官。東大野球部キャプテンでした。たけしのスポーツ大将でたけし軍団と野球をして官僚チームは辛くもかちました)要する盛岡一高野球部が甲子園にいったとき、和太鼓、下駄禁止の甲子園で彼らは、はだしで、声、旗だけで他校をあっとうする応援を披露してくれました。
なんとか、盛岡一高のようなスタイルが今後二高でとれないものか、共存の道はないのか、教育関係者は彼らとのコミュニケーションをしっかり取れたのか、単に共学のエゴを彼らに押し付けただけだったのではないのか(推察の粋ですが)いろんな事が考えられますが、あらたな方向性を模索する手段を見つけてくれる事を期待してやみません。
詩に詠まれし荒城に
岩咬む流れ広瀬川
意気衝天の我が健児
鉄腕誰をか恐れんや
進め 進め 断固と進め
(記憶をたどって書きました、表記等誤りがございましたらご容赦下さい)
前々回のブログをそのまま更新いたしました。このブログで紹介いたしました仙台二高応援団長のお名前を間違えておりました。
大変失礼いたしました。
今年の野球定期戦で応援をしてまいりました。
又、応援団OBではありませんが、定期戦後の応援団OB会に参加して参りました。
今年の野球定期戦も現役の応援団は0名で、残念ではありました。
しかし、応援団の復活を願い、応援団OBが大集合し、現役生徒に応援を披露しました。
又現在、在校生に応援団になりたいと、2~3名の希望者がいるということで、応援の伝承を若手応援団OBが実施している頃かと思われます。
来年の3月か4月頃より、その復活の様子がメディアで報告されることと思われます。
二高応援団有志諸君がいらっしゃるという情報、私も本当にうれしく思います。(OBでないのですが、本音です)昨年一高は団長一人でした。応援団の成り手がいないのは時代かもしれませんが、またあの二高の勇姿が宮城野原で見られるのかと思いますと楽しみが増えたようでなりません。やっぱり定期戦は合戦でないと。(本当に当事者でないのんきな言い分です)
また、貴重な情報を下さった貴殿の配慮に感謝いたします。
ありがとうございました。
数年ぶりに復活した本校の応援団ですが、聞くところによると、毎年5月の恒例行事となっている定期戦前のPR行進の開催を、今年は学校側が共学化を理由に反対しているとのこと。
大人の勝手で伝統が失われてしまうのが歯がゆくて、いま県内高校の応援団OBや知人達と一緒に、二高に対しPR行進の問い合わせor抗議のメールを送る活動を展開しております。
よろしければ、活動にご賛同ください↓
仙台第二高等学校<niko@sen2-h.myswan.ne.jp>
塩竈に実家がございますものですから、知った方々が大勢おります。
あの「定期戦アピール行進」が無くなるのですか。
あれはあれで、楽しめました。仙台の文化の一つを担っていたように思います。
本音をお話すれば、「共学を理由に中止する」ということでは、説得力に欠けると考えます。あの「仙台二高」に入学を希望する女子学生諸君であれば、「定期戦」なる行事の意味は知っていてよいと思うのです。また、それを楽しむ?余裕を持って入学を志していただきたいと思います。
仙台向山は当時一学年に女子20数名。
一緒にガヤガヤやっておりました。
応援もね。母校(向山)の応援団も一年半ぶりに復活したようです。
小生、とある高校の元応援団幹部で、仙台一高と仙台二高の両方に知り合いがおります。両校の定期戦をめぐる現状には、小生も心を痛めておりました。小生の聞いたところによれば、アピール行進は続いております。但し一高のみですが・・・
二高のアピール行進参加がなくなったのは、一昨年のこと。二高当局の申し入れによるものです。この年は一高側が二高校門前まで行ってエールを送りました。かなりの数の二高生が校門附近に集っていたそうです。ただ残念なのは、一高側がエールを送っても暖簾に腕押し、糠に釘だったこと。「これが二高当局の意向によるものかどうかは知らないが」とは、知り合いの一高応援団幹部OBの言です。
昨年は「御願いだから、アピール行進で我が校の前を通らないでくれ」と、二高側から一高側に泣きが入ったとか。
今年は二高応援団が復活しましたが、それに伴って定期戦当日の球場前のセレモニーが復活するそうです。また二高の生徒諸君もアピール行進には参加せぬものの、西公園には来るとのこと。だとすればエール交換ぐらいはあるかもしれませんね。
何でも二高の生徒諸君は両校そろってのアピール行進を復活させたがっているそうです。一高の生徒たちは、勿論のこと大歓迎。一高当局も「事故さえ起きなければ、別に問題ないのでは」という意向だとか。
一定期戦ファンとして、両校そろったアピール行進の復活を強く願っています。
たしかにあの二つの学校の応援合戦(ヤジの応酬)はある意味で過激ですから、共学化した二高当局が神経を尖らせるのも分らないではありません。でも二高の女子が「アピール行進やりたい」って言い出したら、二高の先生方はどうするんでしょうネ。
「応援団が乱暴なやり方で男らしさを強制するのはよくないと言った有識者会議の座長がいました(⇒「だから共学化してしまえ」ということになるのでしょうか)。でも、こんな次元の根拠で伝統行事がすたれていくことには、いくつも?マークをつけたくなります。
真の共学化は単なる「伝統つぶし」ではないはずです。
この手の人たちはよく「古い伝統にしがみつかないで、新しい伝統を創造するんだ」と言います。しかしロシア革命にしてもプロレタリア文化大革命にしても、そして戦後の日本の教育改革にしても、新しい伝統の創造を掲げて起こした運動が、どれだけ有形無形の文化遺産や伝統を破壊したことでしょうか。いやしくも「有識者」ならば、もっとしっかり歴史を勉強してほしいものです。
もう少し、後になってから、「仙台一高応援団」のお話を、酔漢の知っている人達の(笑える?)エピソードを交えて、お話しようと思っておりました。
事情は詳しく解らないので、どう解釈したらよいのか解りかねる部分も多々あろうかと思いますが、思うことを語ろうかと存じます。
このところ「定期戦」であるとか「一高応援団」「二高応援団」と言った、言葉で検索されていらっしゃる
方々が多くなっているのも事実でございます。
ガサツで不器用な男子応援団団員を、大笑いしながら、影でやさしく眺めている女子生徒が大勢いるような風景が、普通になっておったら・・これが正解なのではないかと・・単純に思ってしまう酔漢でございました。
長文、乱文になりますが失礼します。
自分の学年は、ご存知の通り男子最後の学年で来年からは全部共学となってしまします。
男子最後として、伝統のPR行進を体験できなかったことが非常に悔しいです。
まだ、きちんと納得のいく説明が前々からなされていたのであれば、まだ理解もできるのですが、定期戦のまさにその週、しかも生徒からの署名をいっさい無視し、早朝の校長への抗議行動によってやっと説明会がされたしだいであります。生徒側は、応援団も復活しPR行進は年間予定にも載っており、やるものだと思っていたので、署名がまわってきたときはまさに寝耳に水状態で、皆唖然としておりました。
説明会自体も、制限時間を設け、さらに時間ぎりぎりまで説明を伸ばし、質問意見等を全く受け付けないと言うずさんなものでした。
これ以上書くと愚痴っぽくなるのでやめますが、今回のことで学校への生徒から信頼は地に落ちたといっても過言ではありません。(元から低いのですが…)
PR行進ができなかったことは残念ですが、まずは明日の定期戦を全力で応援し、最後の定期戦を勝利で飾り、『ファイヤーストーム』ができる事を信じて、応援して期待と思います!!
さてどのような結果になっておりますことでしょう。
現役諸君がどのようなお気持ちで定期戦を迎えておりましたでしょうか。
生徒会長であり応援団副団長でもありました。
かねがね思いますのは「学生の自治」です。そういった視点に立ちますと、どちらかと言えば、「教職員」がトップダウン的にもの事を進めているように見えてなりません。ですから、再三再四、述べておりますのは「学生と腹を割って話し合ってもらいたい」との希望でした。貴校の教員の中にはお世話になりました先生のお名前も、拝見いたします。話し合いに応じないような堅物な教員ではなかったはずです(と、今でも信じております)現校長先生は二高を母校とし、また仙台一高でも教鞭を振るわれた先生ですので、「定期戦」や「PR行進」を知らないはずはないのです。
貴殿の思いは、他の学生諸君と同じでしょう。
「重ね重ねご苦労されておるのでは」と、同じ年の息子を持つ親の立場といたしましても、心苦しく思う次第です。「生徒の不安を、そのまま放っておく教師」が多数であると判断したら、私だったら「騒ぎます」当然「親として」です。
さて、貴殿の最後の言葉に安心したのも事実です。
そうです「打倒一高」で行きましょう!
応援歌を腹の底から歌いましょう!
一高の野次なんかに負けないで行きましょう!
君たちは天下の「二高生」なのです。
最後には「凱歌」を高らかに!
戦い勝てり 美酒をくみて讃えん君ら皆
光涼しく 月照れば 喜びに満つ 五城楼
先ごろ「仙台一高応援団に思う」を語りました
お時間ありますれば、ご一読を
貴殿の健勝を切に祈っております
また、覗きに来てけらいん!
雨か嵐か暗雲の
十字の砲火青葉城
いざ戦わん我が健児
熱血沸きて血は踊る
進め 進め 断固と進め
評定河原球場一中側応援団席で、うっとりしながら聴いておりました。のち、応援をしてもらう側になって耳を傾ける余裕もなくなりましたが、一番の歌詞、時々口ずさむことがあるんですよ。二番も併せてコピーさせていただきます!!
ありがとうございました。
雨か嵐か暗雲の
十字の砲火青葉城
いざ戦わん我が健児
熱血沸きて血は踊る
進め 進め 断固と進め
評定河原球場一中側応援団席で、うっとりしながら聴いておりました。のち、応援をしてもらう側になって耳を傾ける余裕もなくなりましたが、一番の歌詞、時々口ずさむことがあるんですよ。二番も併せてコピーさせていただきます!!
ありがとうございました。