仙石線車中。下駄の御仁(=丹治さん)との会話です。
「後、5年で酒が解禁になっちゃ。一緒に呑むべ」
「先輩の方が一年はえぇすぺ。待ってらんねぇっちゃ」
中学最後の学年の頃でございます。酒の味なぞ解らないはずなのですが、このような話はしておりました。
高校生では、酔漢自身酒は飲んでおりません。と申しますのも、一度缶ビールレギュラー一缶を呑みまして、相当悪酔いをいたしまして、その一度で少しばかり懲りたのでした。父からは「高校卒業時に解禁」と言われておりましたので、それはそれで約束は守ったわけです。
はたして、予備校です。同じ予備校に丹治氏もおりまして(深くお考えにならないで下さい)そこから、酔漢の酒の歴史が始まるのでした。
「今日、全国統一模擬試験の最終日だっちゃ。反省会すっぺ」
となるわけです。お金が無いものですから「稲荷小路」はありがたかった。
本当に安く呑めました。
ビールは最初。後はウィスキーを呑んでおりました。
丁度、その頃。人並みに恋をしまして、その彼女に紹介されましたのが「唯梨庵」でございました。彼女にはお姉様がいらして、「唯梨庵」を使っていたのでした。
国分町の頃ではないのです。文化横丁時代の「唯梨庵」でした。しかも、十代のデートですので。考えますれば「少し有り得ない」展開なのでした。
(普通は「邪宗門」とか「俄羅舎」とか喫茶店だよね・・・「カフェソコ」や「モーツァルト」に行くと知った顔が一杯いましたし・・)
そこで、「ウィスキーの氏素性を知りたい」と考えるようになったのでした。
アルバイトのお金は、芝居の公演などに使いましたが、一人でお酒を呑む事もありました。大学時代は当然「コンパ」が主流です。
幹事をします。仙台の飲み方の特徴は「ボトル何本までサービスなのすか?」と居酒屋さんで交渉することなのです。
落語のプログラムに「パブ ドリーム」(ドリームは漢字だったのですが、どんな当て字だったか、忘れてしまいました)のコラムに「コンパ大歓迎!今ならボトルプレゼント」とあるのです。
このコラム。こちらでは絶対に見かけません。
これは、ちゃんとした「仙台文化」なのです!
青葉通り。歩いておりますと丹治氏とバッタリ。
「呑みさぁいぐべ」と相成ります。
ついこの間「パルコ」になりましたビルの地下。「田舎屋」がございました。
金がないのに「揚げ出し豆腐」と焼酎。幸いボトルは丹治氏が入れたばかりなので酒はありました。が、双方お金がありません。
「おめぇ財布さぁいぐらへぇってる?」
見ますと、千円もありません。
散々呑んでおります。会計のときに青くなりかけましたが、なんとか清算。
「皿洗い覚悟したべ」でした。
お酒にまつわる話は尽きません。
父親と呑む酒も結構面白く。就職して帰省しますと、二人でかなり飲みます。
今では、酒量が落ちましたが、かなり強い人です。
負けじと呑みますが、ダメです。
二人で「軽井沢」を一本となんやかんや飲みまして、足腰が立たず、意識が無くなる?事もございました。
その時、その時で、思い出なるお酒はあるのでした。
それを、少しばかり語った次第でございます。
登場しましたお酒を整理いたしましょう。
思いつくままですので・・
スコッチ
●スペイサイドモルト
「アベラワー」「グレンフィディック」「グレンファークラス」「クラガンモア」「ザ・グレンリベット」「ザ・マッカラン」「ザ・バルベニー」
「ザ・マッカラン」「ベンリアック」「グレングラント」「ノッカンドウ」
「クライゲラヒ」
「グレンエルギン」「インチガワー」
●アイラモルト
「アードベック」「ボウモア」「ラガヴーリン」「ラフロイグ」「ブナハーブン」「カリラ」「ブルイックラディ」「ポートエレン」
●ハイランドモルト
「ダルモア」「ロイヤル・ロッホナガー」「グレン・モーレンジ」
「ロッホサイド」「ロッホローモンド」
●キャンベルタウンモルト
「スプリングバンク」「ロングロウ」「グレンスコシア」
●ローランドモルト
「オーヘントッシャン」「グレンチンキー」「リトルミル」「ブラッドノック」
●アイランズモルト
「ハイランド・パーク」「タリスカー」「アラン」「アイル・オブ・ジェラ」
●ブレンディッド
「バランタイン」「シーバスリーガル」「ホワイトホース」「カティサーク」
「ザ・フェイマス・グラウス」「グランツ」「J&B」「ジョニーウォーカー」
「オールド・パー」「ロイヤル・ハウスホールド」「ホワイト&マッカイ」
●アイリッシュ
「ブッシュミルズ」「ミドルトン」「タラモア・デュー」「ジェムソン」
「カマネラ」「ターコネル」「ロックス」
アメリカンウィスキー
●バーボン
「ブラントン」「ブッカーズ」「アーリー・タイムズ」
「エヴァン・ウィリアムズ」「フォア・ローゼス」「I・Wハーパー」
「ジム・ビーム」「メーカーズ・マーク」「オールド・フォレスター」
「ワイルド・ターキー」
●テネシー
「ジャック・ダニエル」
●コーンウィスキー
「ブラッド・ヴァレー」
国産ウィスキー
●シングルモルト
「山崎」「白州」「宮城峡」「余市」「ゴールデンホース秩父」
「駒ケ岳」
●バンティッドモルト
「竹鶴」「軽井沢」
●ブレンディッド
「トリス」「サントリー・ウィスキー」(通称「角」)「響」「オールド」
「ホワイト」「レッド」「ブラックニッカ」「エバモア」「マルス」
「ロバートブラウン」「ボストンクラブ」
多くの酒と出合いました。
ですが、お酒の味を楽しむ事もさることながら、やはり、一緒に呑める友人がいたり、家族がいたり、そういった事が一番お酒が美味しく感じる事なのでしょう。
どんなお酒でも、至福を感じる事が出来るわけです。
中国故事にはこうあります
「酒とはただ酔うもの。その為に呑むもの。その為に働くもの。その為の友を作るもの」
お酒のブログと化して半年以上が経ちました。
まだまだ、語っていないお酒もございますし、思い出もございます。
そうそう、「カナダのお酒」を語っておりません。
いずれ、また。
最後に・・・「酒は天下のまわりもの!」です!
「後、5年で酒が解禁になっちゃ。一緒に呑むべ」
「先輩の方が一年はえぇすぺ。待ってらんねぇっちゃ」
中学最後の学年の頃でございます。酒の味なぞ解らないはずなのですが、このような話はしておりました。
高校生では、酔漢自身酒は飲んでおりません。と申しますのも、一度缶ビールレギュラー一缶を呑みまして、相当悪酔いをいたしまして、その一度で少しばかり懲りたのでした。父からは「高校卒業時に解禁」と言われておりましたので、それはそれで約束は守ったわけです。
はたして、予備校です。同じ予備校に丹治氏もおりまして(深くお考えにならないで下さい)そこから、酔漢の酒の歴史が始まるのでした。
「今日、全国統一模擬試験の最終日だっちゃ。反省会すっぺ」
となるわけです。お金が無いものですから「稲荷小路」はありがたかった。
本当に安く呑めました。
ビールは最初。後はウィスキーを呑んでおりました。
丁度、その頃。人並みに恋をしまして、その彼女に紹介されましたのが「唯梨庵」でございました。彼女にはお姉様がいらして、「唯梨庵」を使っていたのでした。
国分町の頃ではないのです。文化横丁時代の「唯梨庵」でした。しかも、十代のデートですので。考えますれば「少し有り得ない」展開なのでした。
(普通は「邪宗門」とか「俄羅舎」とか喫茶店だよね・・・「カフェソコ」や「モーツァルト」に行くと知った顔が一杯いましたし・・)
そこで、「ウィスキーの氏素性を知りたい」と考えるようになったのでした。
アルバイトのお金は、芝居の公演などに使いましたが、一人でお酒を呑む事もありました。大学時代は当然「コンパ」が主流です。
幹事をします。仙台の飲み方の特徴は「ボトル何本までサービスなのすか?」と居酒屋さんで交渉することなのです。
落語のプログラムに「パブ ドリーム」(ドリームは漢字だったのですが、どんな当て字だったか、忘れてしまいました)のコラムに「コンパ大歓迎!今ならボトルプレゼント」とあるのです。
このコラム。こちらでは絶対に見かけません。
これは、ちゃんとした「仙台文化」なのです!
青葉通り。歩いておりますと丹治氏とバッタリ。
「呑みさぁいぐべ」と相成ります。
ついこの間「パルコ」になりましたビルの地下。「田舎屋」がございました。
金がないのに「揚げ出し豆腐」と焼酎。幸いボトルは丹治氏が入れたばかりなので酒はありました。が、双方お金がありません。
「おめぇ財布さぁいぐらへぇってる?」
見ますと、千円もありません。
散々呑んでおります。会計のときに青くなりかけましたが、なんとか清算。
「皿洗い覚悟したべ」でした。
お酒にまつわる話は尽きません。
父親と呑む酒も結構面白く。就職して帰省しますと、二人でかなり飲みます。
今では、酒量が落ちましたが、かなり強い人です。
負けじと呑みますが、ダメです。
二人で「軽井沢」を一本となんやかんや飲みまして、足腰が立たず、意識が無くなる?事もございました。
その時、その時で、思い出なるお酒はあるのでした。
それを、少しばかり語った次第でございます。
登場しましたお酒を整理いたしましょう。
思いつくままですので・・
スコッチ
●スペイサイドモルト
「アベラワー」「グレンフィディック」「グレンファークラス」「クラガンモア」「ザ・グレンリベット」「ザ・マッカラン」「ザ・バルベニー」
「ザ・マッカラン」「ベンリアック」「グレングラント」「ノッカンドウ」
「クライゲラヒ」
「グレンエルギン」「インチガワー」
●アイラモルト
「アードベック」「ボウモア」「ラガヴーリン」「ラフロイグ」「ブナハーブン」「カリラ」「ブルイックラディ」「ポートエレン」
●ハイランドモルト
「ダルモア」「ロイヤル・ロッホナガー」「グレン・モーレンジ」
「ロッホサイド」「ロッホローモンド」
●キャンベルタウンモルト
「スプリングバンク」「ロングロウ」「グレンスコシア」
●ローランドモルト
「オーヘントッシャン」「グレンチンキー」「リトルミル」「ブラッドノック」
●アイランズモルト
「ハイランド・パーク」「タリスカー」「アラン」「アイル・オブ・ジェラ」
●ブレンディッド
「バランタイン」「シーバスリーガル」「ホワイトホース」「カティサーク」
「ザ・フェイマス・グラウス」「グランツ」「J&B」「ジョニーウォーカー」
「オールド・パー」「ロイヤル・ハウスホールド」「ホワイト&マッカイ」
●アイリッシュ
「ブッシュミルズ」「ミドルトン」「タラモア・デュー」「ジェムソン」
「カマネラ」「ターコネル」「ロックス」
アメリカンウィスキー
●バーボン
「ブラントン」「ブッカーズ」「アーリー・タイムズ」
「エヴァン・ウィリアムズ」「フォア・ローゼス」「I・Wハーパー」
「ジム・ビーム」「メーカーズ・マーク」「オールド・フォレスター」
「ワイルド・ターキー」
●テネシー
「ジャック・ダニエル」
●コーンウィスキー
「ブラッド・ヴァレー」
国産ウィスキー
●シングルモルト
「山崎」「白州」「宮城峡」「余市」「ゴールデンホース秩父」
「駒ケ岳」
●バンティッドモルト
「竹鶴」「軽井沢」
●ブレンディッド
「トリス」「サントリー・ウィスキー」(通称「角」)「響」「オールド」
「ホワイト」「レッド」「ブラックニッカ」「エバモア」「マルス」
「ロバートブラウン」「ボストンクラブ」
多くの酒と出合いました。
ですが、お酒の味を楽しむ事もさることながら、やはり、一緒に呑める友人がいたり、家族がいたり、そういった事が一番お酒が美味しく感じる事なのでしょう。
どんなお酒でも、至福を感じる事が出来るわけです。
中国故事にはこうあります
「酒とはただ酔うもの。その為に呑むもの。その為に働くもの。その為の友を作るもの」
お酒のブログと化して半年以上が経ちました。
まだまだ、語っていないお酒もございますし、思い出もございます。
そうそう、「カナダのお酒」を語っておりません。
いずれ、また。
最後に・・・「酒は天下のまわりもの!」です!
「パブ ドリーム」・・・ありましたなぁ。東一番丁・定禅寺通角のぺぺは今も健在ですよ。それから酔漢さん、あの頃の居酒屋で「山とんぼ」って、行ったことありますか?十年ぐらい前まで、とある洋書に割引券つきのチラシが挟まってました。気になりつつも、行かずじまいの店でした。
酔漢さんの今回のお話を読んでいると、あの頃の酒の情景が一コマ一コマ思い出されます。今晩の酒はきっとウマイことでしょう。
酔漢さん、もうボジョレーのヌーボーは飲みましたか?
キープの期限切れのボトルを、皆で処分?していたこともありましたが、大半は塩竃からの供給でした。
そう、ボトルやビール券やらを、親から送ってもらっていたのです。
顔の広かった現役時代の親父のところには、やたらとブツが集まりましたからね。
水産加工業の会社からの、お中元・お歳暮が主だったようです。
あれから幾星霜。あの頃の親父の年齢に、自分が近づいてしまいました。
で、自分の息子たちに、酒を供給できるかって?あっかんべー!だよー。
ボトルサービス。いい響きです。
社員旅行で泊まるような旅館にも、お銚子1本サービスとか、ありましたよねー。
滅んで欲しくない文化でしたが、結局料金に含まれていたんでしょうねー。
「飲んべ」だけが得をする、すばらしいシステムですが。
旺文社の全国統一模試。ドロップアウト気味の私は、どん底の成績でした。
川内高校の友人の、全国で195番という成績を「目撃」したことがあります。
まさに、奇跡を「目撃」したような感覚でした。
だって、志望大学の予想合格確率が、ぜーんぶ100%なんだもんなー・・・
懐かしい喫茶店の名前ですね。
上高地という喫茶店でバイトしたことありました。いい加減な喫茶店でしたよ。
とてもブログじゃ発表できません。
悪がきの私でさえ酒は高校にあがってからでしょ・・・中学から飲んでるとは、いや、飲んでないんですね・・・、ビールからウィスキー・・・どっかの親父のように飲んでたわけですね・・・www
まぁ、のんべ~の屁理屈ですかねwwww
いつも「コンパの会場に」と思うのですが(やはり本屋の宣伝で知りました)誰も行ったことのない居酒屋ですので、「んで次にすっぺ」となるのでした。
考えれば幻の居酒屋すか?
丹治さんもしゃねかったのすかや。
そいずもしゃねかったっちゃ。
酒飲。亦楽。
ボジョレーは、ハハ。例の通りでした。
何故か、呑めるんですよね。
お金がないときも、そうでないときも。
これまた、至福の人生と考えることにしております。
もしかしたら、我が家からのお届けもございましたでしょうか。
これは謎です。
昔はお酒に寛大な街でした。
4月。新入生がこぞって飲まされる時期。
国分町は学生料金になっておりましたし、警察も、ところどころにおりましたが、未成年飲酒を取り締まるのではなくて、急性アルコール中毒者を介抱する為の配置でした。
居酒屋へ向う道すがら。警官が「おめぇら先輩なんだからっしゃ。一年さぁあんまし呑ませんでねぇど!」と一括。
一年なら未成年。
話のわかる?街でした。
今じゃ、こうはいかないんだろうなぁ。
どうもこのところバタバタしてて、なかなか立ち寄れませんでした。
ウィスキーのオンパレード(今どきいわねぇーか・・・)、知ってるけど飲んだことの無いのが多いかも。
それにしても、なつかしい喫茶店の名前を見て高校時代を思い出しましたよ、
たまり場だったのが、青葉通り一番町バス停前の第一観光ビル地下の四次元(壁からマネキンの手足が生えてて超シュール)、カウベル本店の奥の喫茶コーナー(女子高生もたまり場にしてたんで・・・)、中央通新伝馬町のDJ喫茶ロイヤル(曲のリクエストOKでコーヒーにホイップクリームが付いてくる)etc、etc・・・
そのほかにも、四番町角川ビル地下のダウンビート、駅前再開発(アムス西部のあった辺り)で市民会館向かいへ移転した穀物祭とか、夕方5時半にはグランドパブ(酒場)に早変りする白馬とか、その他ロック喫茶、ジャズ喫茶、ちょっとヤバイ系の喫茶店、etc、etc・・・
書きながらどんどん思い出しちゃって暴走しそうなんで、この辺でやめときます。
当時の酒場のこととかは、またの機会にしましょう・・・ (^_^)/~
有朋自遠方持参酒。不亦説乎。
まだスガマさけってございん。一緒に飲むすぺ!!
バーンズの詩集だげんと、年の暮れの忙しさで(酔漢さんには及ばねけどね)ながなが読めねんだっちゃ。ごめんしてくない。何つったって十二月は「師走」。教師が走る月(つぎ)だすぺ!!
詠み終ったら必ずスコッチの話に投稿すっからっしゃ!!!
いや、参った参った。あんだど喋っと出てくるおんね!!!!
「ロイヤル」はリクエストするとあっという間に曲がかかっていましたね。
案外リクエストする人は少なかったように思います。
ダウンビートとか穀物祭、懐かしいです。
川内高校生のたまり場は、肴町公園そばの「ろじーな」でした。茶畑高校生も集まってきてました。
ロック喫茶といえば、ピーターパン。なぜか店の看板が、私の部屋に飾っています。
そうなんですよ、喫茶店の話は居酒屋の話と同じように(それ以上に・・)皆様思い出をお持ちのようですね。
「四次元」には笑えました。
「カウベル」はチーズケーキ。
「果樹園」のフルーツパフェは大盛りでした。
藤崎一番丁側正面のビル4階「404」はソファの居心地がよかったですし。
でも一番多く通ったのは「カフェソコ」でした
所々で、また、思い出なぞ聞かせてください。