「やっぱし、一度はニューヨークさぁ行ってみてぇっちゃ」
「JAZZは本場で聞いてみたいよね」
マスターとの会話でした。
ここは、仙台です。「唯梨庵」の中。呑んでおりますお酒は「マルスアンバー」です。唯梨庵では「地ウィスキー」として、国産マイナーブレンディッドウィスキーを紹介していたのでした。
酔漢がウィスキーにはまりましたのはこのウィスキーに出合ったからですし、「JAZZ」も、もちろんこの店に来てからよく聞くようになったのでした。
「どう、これ結構いけるでしょ」
これまでは「サントリーホワイト」をボトルキープしていた酔漢です。
(お金もなかったし、まずは呑めればいいといったお話です)
「香っていうのすか?甘い匂いがするっちゃ」
「本当はね、ウィスキーはこの香が命なんだ」
ポテトを炒めながら、マスターが解説してくれています。
「マルスアンバー」は今では、透き通ったボトルですが、当時は黒塗りのボトルでして、「サントリーローヤール」のような形をしておりました。形は今でも当時のままです。安いのかもしれませんが、とっても丁寧に作られているといった感じのウィスキーです。焼酎メーカー本坊酒造が作っております。
ニッカとは深いつながりがございます。
少し、お話いたしましょうか。
国産ウィスキーの祖「竹鶴政孝」氏。彼が、スコットランドへウィスキー作りの為に渡航したお話は幾度となくしてまいりました。
最初はキャンベルタウンへそして「ログロウ」蒸留所へ。
その竹鶴氏と共に国産ウィスキー作りを志した人の中に「岩井喜一郎」氏もおられます。彼は竹鶴氏を師とし、スコットランドへ彼が旅たつ際、最後の見送りをしております。そして竹鶴氏の帰国。詳細な「竹鶴レポート」は、その岩井氏に渡されました。そしてそのレポートに従い「ポットスティル」を作成。その蒸留技術をもって「原酒」→「モルト」を生産しておるのでした。
ブレンディッドに使われてますグレーンも独自で蒸留していると聞きましたが、詳細はわかりません。
ここで登場してまいります「マルスアンバー」はブレンディッドウィスキーですが、「駒ケ岳」というシングルモルトもございます。このモルトのフルーティーな香は独特な風味で、外連味のない味に仕上がっております。機会がございましたらお試し下さい。スペイサイドのフルティーさとハイランドのような辛さとを併せ持つシングルモルトといった感じです。
「俺、年明けたらニューヨークさぁ行ってみっちゃ」
「やっぱり行くんですか」
「ミュージカルも見てみてぇし、JAZZも聞いてみてぇしさ」
翌年2月「ニューヨーク」へ参ります。入社しました会社の研修もかねておりました。(よく審査通ったっちゃなや)
ここで、ボウモアと出会い、そのお話は以前語っております。
ここでは、「ブルーノート」の話をいたします。
写真はその「ブルーノート」のキーホルダーです。
無断で失敬いたしました。今も使っております。
レストルームへ行く壁にさり気に掛けておりました。ちゃっかり頂きました。
(問題かなぁ)
「酔漢、今日の夜は、どっかさぁ行くのか?」
「ブルーノートさぁいぐかと思ってんのっしゃ」
「どうやって?」と研修仲間が聞いてきました。
「ダメモトで電話してみっちゃ。予約さぁ取ってみっぺ」
度胸一番です。電話をしました。案外通じるものですね。なんやかんやで7名の仲間と一緒に行く事になりました。
僕らのホテルはカーネギーホールの2軒隣。「ウェリントンホテル」です。
タクシーを使って行きました。
「酔漢、今日のライブ。誰が出てるか知ってるのか?」
「しゃねえぇっちゃ。行ってみてからだべ」
本当に無鉄砲極まりない行動です。
ですが、当日のライブは・・・・
「『ランディブレッカー』だっちゃ。あたりだべ!」
そうなのです、あの「ブレッカーブラザース」(兄弟ユニット)から独立したばかりの「ランディブレッカー」が独自のメンバーと共に、ライブをするのでした。
もう感動です。
最初の曲「雑踏」から感動!
そこで呑んでますお酒はもちろん「ワイルドターキー」
ここはバーボンとばかり迷わず注文いたしました。
しかして、お酒の味よりは、彼の演奏に聞き入ってました。
午前3時頃。ホテル着。
「酔漢が一番、乗ってたよな」
「だれあたりめだっちゃ。憧れの『ブルーノート』だべ。こいずばぁ失敬してきたっちゃ」
と先の写真を見せました。
「お前ちゃっかりしているな」
「他にも、ナプキンとかコースターとか(全部ブルーノートのロゴが入っておりました)頂戴してきたのっしゃ」
「お前のような観光客が日本人の品位を落としているんだぁ!」
同僚は呆れ顔でした。
「ニューヨークはどうでした」
文横から国分町へ移ったばかりの「唯梨庵」の中です。大学卒業式があるために一度仙台へ戻った時でした。
「やっぱし、寒かったっちゃ。摂氏にしたら-8℃くれぇだおん。んでも湿気がねぇっちゃ。静電気バチバチですげぇんだおん。仙台の寒さとは異質だべ」
やはり「マルスアンバー」を呑んでおります。
「JAZZは?」
「『ビレッジバンガード』さは行けねぇかったっちゃ。んだとも『ブルーノート』さぁは行ったっちゃ」
と、キーホルダーをマスターに見せました。
「これは?」
「ちゃっかり失敬してきたっちゃ」
「んでも、ニューヨークってっしゃ。仙台ばでけくしたような街だったっちゃ。仙台歩き慣れていたらニューヨークも迷わねぇっちゃ」
マスター笑っております。
そして、この頃から「お酒への興味」が湧いてまいりました酔漢でございました。
その年の春。今の会社へお世話になります。お酒の勉強もする事にはなるのですが、そこはそこ。仕事と趣味に一緒になりまして現在に至っておるわけです。
仙台にいなかったら、ウィスキーへの興味も無かったのだろうと思うのです。
長らく語っておりましたお酒の話ですが、まとめてお話するのは、次回(これも、何時更新できるかなぁ、何せ仕事がまた忙しくなってまいりました。基本的に、仕事休みの日に更新しております。更新が途絶えておる間は、仕事をしている日なのです。→連続出勤だぁ)で終了いたします。
そろそろ、酔漢、中学を卒業しなくてはならない事を思い出しました。
「JAZZは本場で聞いてみたいよね」
マスターとの会話でした。
ここは、仙台です。「唯梨庵」の中。呑んでおりますお酒は「マルスアンバー」です。唯梨庵では「地ウィスキー」として、国産マイナーブレンディッドウィスキーを紹介していたのでした。
酔漢がウィスキーにはまりましたのはこのウィスキーに出合ったからですし、「JAZZ」も、もちろんこの店に来てからよく聞くようになったのでした。
「どう、これ結構いけるでしょ」
これまでは「サントリーホワイト」をボトルキープしていた酔漢です。
(お金もなかったし、まずは呑めればいいといったお話です)
「香っていうのすか?甘い匂いがするっちゃ」
「本当はね、ウィスキーはこの香が命なんだ」
ポテトを炒めながら、マスターが解説してくれています。
「マルスアンバー」は今では、透き通ったボトルですが、当時は黒塗りのボトルでして、「サントリーローヤール」のような形をしておりました。形は今でも当時のままです。安いのかもしれませんが、とっても丁寧に作られているといった感じのウィスキーです。焼酎メーカー本坊酒造が作っております。
ニッカとは深いつながりがございます。
少し、お話いたしましょうか。
国産ウィスキーの祖「竹鶴政孝」氏。彼が、スコットランドへウィスキー作りの為に渡航したお話は幾度となくしてまいりました。
最初はキャンベルタウンへそして「ログロウ」蒸留所へ。
その竹鶴氏と共に国産ウィスキー作りを志した人の中に「岩井喜一郎」氏もおられます。彼は竹鶴氏を師とし、スコットランドへ彼が旅たつ際、最後の見送りをしております。そして竹鶴氏の帰国。詳細な「竹鶴レポート」は、その岩井氏に渡されました。そしてそのレポートに従い「ポットスティル」を作成。その蒸留技術をもって「原酒」→「モルト」を生産しておるのでした。
ブレンディッドに使われてますグレーンも独自で蒸留していると聞きましたが、詳細はわかりません。
ここで登場してまいります「マルスアンバー」はブレンディッドウィスキーですが、「駒ケ岳」というシングルモルトもございます。このモルトのフルーティーな香は独特な風味で、外連味のない味に仕上がっております。機会がございましたらお試し下さい。スペイサイドのフルティーさとハイランドのような辛さとを併せ持つシングルモルトといった感じです。
「俺、年明けたらニューヨークさぁ行ってみっちゃ」
「やっぱり行くんですか」
「ミュージカルも見てみてぇし、JAZZも聞いてみてぇしさ」
翌年2月「ニューヨーク」へ参ります。入社しました会社の研修もかねておりました。(よく審査通ったっちゃなや)
ここで、ボウモアと出会い、そのお話は以前語っております。
ここでは、「ブルーノート」の話をいたします。
写真はその「ブルーノート」のキーホルダーです。
無断で失敬いたしました。今も使っております。
レストルームへ行く壁にさり気に掛けておりました。ちゃっかり頂きました。
(問題かなぁ)
「酔漢、今日の夜は、どっかさぁ行くのか?」
「ブルーノートさぁいぐかと思ってんのっしゃ」
「どうやって?」と研修仲間が聞いてきました。
「ダメモトで電話してみっちゃ。予約さぁ取ってみっぺ」
度胸一番です。電話をしました。案外通じるものですね。なんやかんやで7名の仲間と一緒に行く事になりました。
僕らのホテルはカーネギーホールの2軒隣。「ウェリントンホテル」です。
タクシーを使って行きました。
「酔漢、今日のライブ。誰が出てるか知ってるのか?」
「しゃねえぇっちゃ。行ってみてからだべ」
本当に無鉄砲極まりない行動です。
ですが、当日のライブは・・・・
「『ランディブレッカー』だっちゃ。あたりだべ!」
そうなのです、あの「ブレッカーブラザース」(兄弟ユニット)から独立したばかりの「ランディブレッカー」が独自のメンバーと共に、ライブをするのでした。
もう感動です。
最初の曲「雑踏」から感動!
そこで呑んでますお酒はもちろん「ワイルドターキー」
ここはバーボンとばかり迷わず注文いたしました。
しかして、お酒の味よりは、彼の演奏に聞き入ってました。
午前3時頃。ホテル着。
「酔漢が一番、乗ってたよな」
「だれあたりめだっちゃ。憧れの『ブルーノート』だべ。こいずばぁ失敬してきたっちゃ」
と先の写真を見せました。
「お前ちゃっかりしているな」
「他にも、ナプキンとかコースターとか(全部ブルーノートのロゴが入っておりました)頂戴してきたのっしゃ」
「お前のような観光客が日本人の品位を落としているんだぁ!」
同僚は呆れ顔でした。
「ニューヨークはどうでした」
文横から国分町へ移ったばかりの「唯梨庵」の中です。大学卒業式があるために一度仙台へ戻った時でした。
「やっぱし、寒かったっちゃ。摂氏にしたら-8℃くれぇだおん。んでも湿気がねぇっちゃ。静電気バチバチですげぇんだおん。仙台の寒さとは異質だべ」
やはり「マルスアンバー」を呑んでおります。
「JAZZは?」
「『ビレッジバンガード』さは行けねぇかったっちゃ。んだとも『ブルーノート』さぁは行ったっちゃ」
と、キーホルダーをマスターに見せました。
「これは?」
「ちゃっかり失敬してきたっちゃ」
「んでも、ニューヨークってっしゃ。仙台ばでけくしたような街だったっちゃ。仙台歩き慣れていたらニューヨークも迷わねぇっちゃ」
マスター笑っております。
そして、この頃から「お酒への興味」が湧いてまいりました酔漢でございました。
その年の春。今の会社へお世話になります。お酒の勉強もする事にはなるのですが、そこはそこ。仕事と趣味に一緒になりまして現在に至っておるわけです。
仙台にいなかったら、ウィスキーへの興味も無かったのだろうと思うのです。
長らく語っておりましたお酒の話ですが、まとめてお話するのは、次回(これも、何時更新できるかなぁ、何せ仕事がまた忙しくなってまいりました。基本的に、仕事休みの日に更新しております。更新が途絶えておる間は、仕事をしている日なのです。→連続出勤だぁ)で終了いたします。
そろそろ、酔漢、中学を卒業しなくてはならない事を思い出しました。
そしてニューヨークジャズクラブのメッカ、ブルーノート。大人の空間って感じで素敵です~!まずはかなり近いとこですが、子供入店不可の仙台のK'sバーへ行ってみようかと…♪
酔漢さんも年末お忙しいでしょうが、ご無理せずに…(~o~)
ジャズやニューヨークというと小生の守備範囲を外れますが、酔漢さんにとっては初めての外国ですよね。酔漢さんの思い入れ、よく分ります。
ところで、実に久しぶりの更新でしたね。ようやく時間の余裕が出来たっつうこどだべが。これがら、もっともっと忙しぐなんだすぺ。無理だげはしねでけさい。
いぐら更新が延びでも、読者はちゃんと間ってっからっしゃ。
丹治氏得意のお店です。
本人が申しますには「スコッチシングルモルトのコレクションは仙台一」とか。また「ハギス」の味も確かだとか。
何度か誘われておるのですが、なかなか行くことが出来ずにおります。
「ハギス」で一杯。
是非、お試し下さい。
毎年の事ですので、もう慣れっこです。
この時期に忙しくなりませんと、「年末が近いなぁ」とも感じません。
大丈夫です。
お気遣いありがとうございます。
ですが、一週間も空いたのですよね。
お久しぶりでした。
本拠地に行かれたこと、うらやましいです。
ニューヨークへは友人が大学を卒業後に留学したまま、音信不通になってしまいました。
政経学部に通いつつホストクラブでバイトし、留学資金を貯めていました。
「クロンシュタット(大学当時からそう呼ばれていました)もホストやろうよー」とずいぶん誘われましたっけ。
ニューヨークの町並みが仙台に似ているという印象、なるほどですね。
それならば、吉祥寺も碁盤目状で、緑が多くて、アーケードがあって、闇市みたいなマーケットがあって・・・それににぎやかなのに、どこかほっとする街ですよ。
私が仕事の「手を抜く」のは、自分を守ることもありますが、家族のためです。
昨年中学校の同級会があり、ニューヨークから30年ぶりで友人が帰ってきました。
今では、ロングアイランドで日本料理店をやっているそうですよ。
ちなみに店の名は「長島」だそうです。
唯梨庵もジャズもニューヨークも必然の出会いだったのでしょう。
これがきっかけで、今の酔漢さんがあるのですね。
ぐずらの同級生=小生の同級生であり、あの日はウオッカを飲み二日酔いでダウンでした。
時たま吉祥寺には出かけます。
なるほど、通りの雰囲気は似ているような気がいたします。
もっとジャズを勉強してから行ってもよかったかなとも思いました。
ヴィレッジバンガードとは違って、ニューヨークの外れにありますので、案外空いているのが印象でした。
高級店が多くて、入れませんでした。
ですから、もっぱらデリカテッセンで買い物をして、ホテルの部屋で食べていたりしました。
カーネギーホールの正面。ホテルのほぼ正面のデリカテッセンには朝食を取りに毎日いきましたが、「ローストビーフサンドイッチ」を食べている人が大勢おりまして、それを食べてました。とにかくデカイ!これがニューヨークサイズだと思っておりましたら(ナイフでばらすのが大変なのです)日本に帰ってみて驚き。
「カーネギーホール前。57丁目のデリカテッセンのローストビーフサンドは全米一の厚さ」
の記事。
本当に毎日食っていた。そして安かった。