「かわせみ」です。シティラピッド君撮影です。
場所は横浜から藤沢を流れます「境川」人口密集地帯にこのような自然が残されております。我が家からそんなに遠くない場所です。
「酔漢、何読んでんのっしゃ?」
「こいずすか?『新田次郎』だっちゃ。『栄光の岩壁』だすぺ」
「俺も読んだ」
「先輩もすか?」
「俺、結構、山好きだっちゃ。『新田次郎』は、結構読んでんのっしゃ。主人公『岳彦』が、『一の倉沢』さぁ挑戦すっとこあったっちゃ。『マッターホルン北壁』に成功するときよりおもせぇかったっちゃ」
「まだそこまで読んでねぇのっしゃ。先ばおしえねぇでけさいん」
「すまん」
相変らず、仙石線の中でございます。
話の相手は(やはり?)丹治氏。この頃(丹治氏中学3年時。酔漢2年時)は、高足駄を履いておりました丹治氏でございます。
ふとしたことから新田次郎の小説にはまりました。最初は「孤高の人」でしたが、山になぞ登った事などないのに、山を登っている主人公の息そのものが聞こえてくるようで、中学時代は読みふけっておりました。
丹治氏も同様だったそうです。
「一度パーティーさぁ組んで、山やっぺし!」
「酒ば一緒に呑むべ!」という約束事は、簡単に果たしましたが、これは、今だ果たしておりません。丹治氏、いつも単独行です。
丹治氏は卒業しております。酔漢中学3年生。仙台一高応援団副団長を務めました「もんま君」(「仙台一高応援団に想う」で登場)名デフェンダーとして活躍しました「かのい君」同じサッカー部ストライカー「はらだ君」(「幻のサッカー部」で登場)と同級でございました。
因みに、担任は「コンパル」です(→OB諸氏。懐かしいでしょ!)
昼休み。酔漢読書中。
読んでおります本は「八甲田山死の彷徨」でした。読み始めて最初の件。丁度神田が徳島自宅を訪ねるあたりを読んでいた時です。
「本読んでるところ、話しかけてごめんね」
「とりさんでねぇすか。何っしゃ?」
「とりさん」というのは、もちろん本名ではございません。「はっとりさん」が女子の間で「とりさん」と呼ばれておりましたところから、僕らも時たま「とりさん」と呼ぶようなときがあったのでした。学年でもベスト5に入る程の才女でございました。
「酔漢君ってこんな本読むんだ・・ふーーん」と、顔を覗き込んでおります。
「こいずが?・・『新田次郎』だすぺ」
「ブックカバー掛けてないもん。題名も分かるよ。去年読んだなぁ」
「去年すか?」
「『新田次郎』好きなんだよね。一度ヨーロッパアルプス行ってみたいなぁ」
「やっぱすぃ。三大北壁『アイガー』『マッターホルン』『グランドジョラス』は見てみてぇちゃ」
「写真見た事ある?『シャモニ』の針峰とか『ユングフラウヨッホ』とか、綺麗な山よね」
「とりさん、詳しいんだなや」
「『栄光の岩壁』でね、主人公が本名(吉野満彦氏)で書いた『山靴の音』があったけど面白かったよ。でも酔漢君がねぇ、意外だなぁ。今どの辺?そうそう、これから、人が一杯死ぬんだよ。」
「これからすか?」
「賽の河原でね。ぐるぐる歩き回っちゃうんだよね」
「とりさん。先は言わなぇでけさいん」
「でもね、酔漢君のイメージは、時代劇かな?」
「んだね。俺さぁ『モンテローザ』は似合わねぇべさ(笑)んでもっしゃ。一度はやっぱすぃ行ってみてぇなや」
この人。本当に自然が好きなのでした。
これがきっかけで、とりさんとは、卒業するまでよく話をいたしました。
尤も、成績優秀な方でしたので、近くの女子高へ入学。
合う機会もないまま、時間が過ぎました。
先にお話いたしましたが、酔漢。高校を卒業後、まずは?本町予備校へ通っておりました
そんなある日の事でした。
「なんだや、こいず?写真葉書すかや?」
見た事あるようなないような、アルプスの写真が表紙でした。しかも、エアメール
裏を返しますと。とりさんの名前。
手紙の内容はこうでした。
「今、念願叶いまして、ヨーロッパアルプスに来ております。写真はあの時酔漢君も見てみたいと話しておりました『モンテローザ』です」
「なにっしゃ?これだけすか」
他に内容はありませんでした。
「んだとも、こいずだけでも、貴重な葉書だっちゃ」
「めったに快晴の日がない」と言われております。が、やはり絵葉書の写真です。
快晴の青空に白く雪を被りましたモンテローザの頂です。
「あの話は覚えていてくれたんだすぺ」
彼女の優しさに感謝でした。
4年後。あるテレビニュース。
蒲生の干潟の話題。
住宅建設やら、河川の汚れなどで、蒲生干潟が失われつつあり、野鳥の楽園も環境変化が著しいとの内容でした。
野鳥の会が蒲生干潟の野鳥を調査の映像に・・
「あれ『とりさん』だっちゃ」
「おめぇ、野鳥のニュースさぁ『とり』が出てくるのはあたりめだっちゃ」
「親父。その『とり』でねぇのっしゃ。中学で同級生の『はっとりさん』だすぺ」
彼女、蒲生干潟の野鳥を守る運動をしていたのでした。
東北大学理学部へ進学したとの話は人づてに聞いてはおりましたが、やはり彼女は自然が好きな人のままでいたのでした。
早朝。愛車(自転車)にまたがり、名取まで、海岸線を走ります。
仙台港を過ぎ、海へ向います。黒松林を抜けて、乗馬クラブの前を通り、貞山運河縁を南下。蒲生へ到着。
確かに、多くの水鳥達が餌を捕っているのが見られます。
鳥類にはまったく知識がございませんが、その仕草を見るのは飽きないものです。
100万人の人口を誇る都市の真ん中に、そんな野鳥の楽園があることを、大切にしていきたいとも思います。
たぶん彼女の事です。
どこぞやで野鳥を観察しているのに違いありません。
場所は横浜から藤沢を流れます「境川」人口密集地帯にこのような自然が残されております。我が家からそんなに遠くない場所です。
「酔漢、何読んでんのっしゃ?」
「こいずすか?『新田次郎』だっちゃ。『栄光の岩壁』だすぺ」
「俺も読んだ」
「先輩もすか?」
「俺、結構、山好きだっちゃ。『新田次郎』は、結構読んでんのっしゃ。主人公『岳彦』が、『一の倉沢』さぁ挑戦すっとこあったっちゃ。『マッターホルン北壁』に成功するときよりおもせぇかったっちゃ」
「まだそこまで読んでねぇのっしゃ。先ばおしえねぇでけさいん」
「すまん」
相変らず、仙石線の中でございます。
話の相手は(やはり?)丹治氏。この頃(丹治氏中学3年時。酔漢2年時)は、高足駄を履いておりました丹治氏でございます。
ふとしたことから新田次郎の小説にはまりました。最初は「孤高の人」でしたが、山になぞ登った事などないのに、山を登っている主人公の息そのものが聞こえてくるようで、中学時代は読みふけっておりました。
丹治氏も同様だったそうです。
「一度パーティーさぁ組んで、山やっぺし!」
「酒ば一緒に呑むべ!」という約束事は、簡単に果たしましたが、これは、今だ果たしておりません。丹治氏、いつも単独行です。
丹治氏は卒業しております。酔漢中学3年生。仙台一高応援団副団長を務めました「もんま君」(「仙台一高応援団に想う」で登場)名デフェンダーとして活躍しました「かのい君」同じサッカー部ストライカー「はらだ君」(「幻のサッカー部」で登場)と同級でございました。
因みに、担任は「コンパル」です(→OB諸氏。懐かしいでしょ!)
昼休み。酔漢読書中。
読んでおります本は「八甲田山死の彷徨」でした。読み始めて最初の件。丁度神田が徳島自宅を訪ねるあたりを読んでいた時です。
「本読んでるところ、話しかけてごめんね」
「とりさんでねぇすか。何っしゃ?」
「とりさん」というのは、もちろん本名ではございません。「はっとりさん」が女子の間で「とりさん」と呼ばれておりましたところから、僕らも時たま「とりさん」と呼ぶようなときがあったのでした。学年でもベスト5に入る程の才女でございました。
「酔漢君ってこんな本読むんだ・・ふーーん」と、顔を覗き込んでおります。
「こいずが?・・『新田次郎』だすぺ」
「ブックカバー掛けてないもん。題名も分かるよ。去年読んだなぁ」
「去年すか?」
「『新田次郎』好きなんだよね。一度ヨーロッパアルプス行ってみたいなぁ」
「やっぱすぃ。三大北壁『アイガー』『マッターホルン』『グランドジョラス』は見てみてぇちゃ」
「写真見た事ある?『シャモニ』の針峰とか『ユングフラウヨッホ』とか、綺麗な山よね」
「とりさん、詳しいんだなや」
「『栄光の岩壁』でね、主人公が本名(吉野満彦氏)で書いた『山靴の音』があったけど面白かったよ。でも酔漢君がねぇ、意外だなぁ。今どの辺?そうそう、これから、人が一杯死ぬんだよ。」
「これからすか?」
「賽の河原でね。ぐるぐる歩き回っちゃうんだよね」
「とりさん。先は言わなぇでけさいん」
「でもね、酔漢君のイメージは、時代劇かな?」
「んだね。俺さぁ『モンテローザ』は似合わねぇべさ(笑)んでもっしゃ。一度はやっぱすぃ行ってみてぇなや」
この人。本当に自然が好きなのでした。
これがきっかけで、とりさんとは、卒業するまでよく話をいたしました。
尤も、成績優秀な方でしたので、近くの女子高へ入学。
合う機会もないまま、時間が過ぎました。
先にお話いたしましたが、酔漢。高校を卒業後、まずは?本町予備校へ通っておりました
そんなある日の事でした。
「なんだや、こいず?写真葉書すかや?」
見た事あるようなないような、アルプスの写真が表紙でした。しかも、エアメール
裏を返しますと。とりさんの名前。
手紙の内容はこうでした。
「今、念願叶いまして、ヨーロッパアルプスに来ております。写真はあの時酔漢君も見てみたいと話しておりました『モンテローザ』です」
「なにっしゃ?これだけすか」
他に内容はありませんでした。
「んだとも、こいずだけでも、貴重な葉書だっちゃ」
「めったに快晴の日がない」と言われております。が、やはり絵葉書の写真です。
快晴の青空に白く雪を被りましたモンテローザの頂です。
「あの話は覚えていてくれたんだすぺ」
彼女の優しさに感謝でした。
4年後。あるテレビニュース。
蒲生の干潟の話題。
住宅建設やら、河川の汚れなどで、蒲生干潟が失われつつあり、野鳥の楽園も環境変化が著しいとの内容でした。
野鳥の会が蒲生干潟の野鳥を調査の映像に・・
「あれ『とりさん』だっちゃ」
「おめぇ、野鳥のニュースさぁ『とり』が出てくるのはあたりめだっちゃ」
「親父。その『とり』でねぇのっしゃ。中学で同級生の『はっとりさん』だすぺ」
彼女、蒲生干潟の野鳥を守る運動をしていたのでした。
東北大学理学部へ進学したとの話は人づてに聞いてはおりましたが、やはり彼女は自然が好きな人のままでいたのでした。
早朝。愛車(自転車)にまたがり、名取まで、海岸線を走ります。
仙台港を過ぎ、海へ向います。黒松林を抜けて、乗馬クラブの前を通り、貞山運河縁を南下。蒲生へ到着。
確かに、多くの水鳥達が餌を捕っているのが見られます。
鳥類にはまったく知識がございませんが、その仕草を見るのは飽きないものです。
100万人の人口を誇る都市の真ん中に、そんな野鳥の楽園があることを、大切にしていきたいとも思います。
たぶん彼女の事です。
どこぞやで野鳥を観察しているのに違いありません。
自分のブロ友さんも四国ですが庭で撮影したようです。
八甲田山については、写真を撮ってきたらあの話を書こうと思ってます。
何度も行って悲惨な話しを聞いてますので・・
映画もDVDで見ました。
数年前までは、あの銅像あたりが心霊スポット1位でした。
真冬でもあの山は越えられるので、吹雪いたらどうなるか体験してます。
もちろん登山ではなくバスの中でですが。
バスよりも高い雪の壁に挟まれ吹雪くと視界0・・フロントガラスに白い画用紙を張られた状態でしたよ。あれでは、案内人が居なかったら死んでしまいますよ。
子育てが終わってリタイアした私が立っている場所です。
中学生時に私はウィンパーのマッターホルン、エルゾーグのアンナプルナと、初登頂の自伝を読みふけっていました。
やがて進学した高校の大先輩には、マナスルの槙有恒さんがおりました。
シュトラム・ウント・ドランク。
怠惰な大人にしかなれなかった私は、河童橋でビールをあおることで満足してしまう、そんな人生を送っています。
三大北壁の中では、グランドジョラスがダントツです。
自分が凄いのでは無く周りが悪すぎるのです。wwww
それはともかく、生徒手帳を見ると、下駄での通学は引っかからないのです。
「明日がら、下駄履いで通学すっぺ!」
友人と3人夏場は下駄で通った次第です。
鳴瀬の友人宅で、酒を飲み、酔った勢いで「こんなの走ればすぐさめる!」馬鹿な事をしたものです。
ますます、酒は回り2階の窓から……GERO
翌日、バケツに水を汲み屋根掃除でした。
忘れられない、高一の思い出です。
日本一低い山とは知りませんでした。
あの場所は何度か行ったはずなのに、その存在に気づきませんでした。
写真は彼が中学生の頃に撮影したものです。
ビギナーズラックでしょうか。
邪心のない者に反応するのでしょうね。
さて、八甲田。自転車で越えましたが、越えたそばから十和田湖あたりで足を痛めました。
途中雨降り。まさしく「天は見放したぁ」でございました。
従兄弟がアイガーグレッシャー駅で高山病にかかって相当ひどい目にあったと話しておりました。登山鉄道で急に登ると、やはり症状はでやすいとか。
ジョラスは落石と雷が多い山と聞きました。
美しい姿とは裏腹に悪魔の住む山であるとか・・
「下駄履き禁止」と明示されているのでした。
他校にはないのでした。(当時の話です)
ですから、丹治氏は、正門まで下駄で通学してそこで下足。靴に履き替えて、登校していたのでした。
丹治様公表しました。ご容赦下さい。
書いてある校則も校則なら、履いてくる生徒も(数名ほどおりました)生徒でございます。
教室で貸し借りした新田次郎、モンテローザ..長らく心のどこかに置き忘れていましたが、懐かしい思い出です。覚えていて下さって有難うございます。
大学に入ってからの私は、学業そっちのけで鳥を見たり、山に登ったりの日々でした。登ったのは、栗駒、焼石、安達太良など。根性なしなので「それほど遠くなくて、近くに温泉がある山」がメインでした(笑)。最後に登ったのは剣岳。そう新田次郎の「点の記」の舞台です。たまたま会社に本物の山男がいたので実現した山行です。山自体の険しさもさることながら、アプローチの長さがきつかったです。今でも、無事に生きて帰ってきたのが奇跡に思えます。
最近は「犬」に忙しくて山には行っていませんが、「在宅バードウォッチング」は楽しんでおります。これだけは、どんなに月日が流れても変わることのない私の趣味だと思います。
そして、懐かしい蒲生。
復興のため、干潟の回復のため、少しづつでもできることをしていこうと思います。
それではまた。次の機会を楽しみにしています!
TORIさん。先だってはこちらこそありがとうございました。
早速、シェルティーズを拝見。
素敵な方達?ですね。
さて、上記にアクセス致しますと、日和山の事が少し詳しく語っております。
冒頭の写真が「帽章」となってます。
また、お会い出来る事。楽しみにしております