NHK教育番組、人形劇「おとぎの国」。
幼稚園の時に見せられました。
話は変わりますが、「ぐりとぐら」を知ったのも、この番組がきっかけだったわけです。
定番の神話ではございますが、「うみさちひことやまさちひこ」
これも番組で人形劇になりました。
単純に「神様」とはいろんな人がいるんだなぁ・・・と感じている年頃でもございます。
この「おとぎばなし」の世界になりますと、ありとあらゆる神が登場するわけでございまして。
「この前は中国の仙人が出てきたけどや。あれは神様なんだべか?」
「おめぇ、あれは神様でねぇべ、仙人だっちゃ」
「どこがどう違うんだべ?」
「・・・・・・」
「びんぼう神は神様だっちゃな?」
「んだべな」
「んでや?・・・・」
「木こりがや、沼さぁ斧ば落としてっしゃ。沼の底からぬーーって出てきた女神っていっちゃ?」
「この前、テレビでやってた奴だべ!めがみっていうからには神様でねぇのか?」
「神様っていっぺいいんだっちゃなや?」
幼稚園児の話ですから、深い意味はないのです。
「仏様と神様は違うのすか?」
と、親父殿に尋ねた記憶がありまして・・・。
お盆の時期で、檀家のご住職が家に来るという日だった。そんな記憶がございます。
親父殿の答え「違うけんどや・・・同じでもあっちゃ!」
その答えに妙に納得した酔漢でした。
さて、話が少しそれました。
再び幼稚園の部屋へ戻ります。
あさひ幼児園(無認可だったと・・)の門馬先生が本を読んでくれる日でした。
「この前、テレビの人形劇で見た『うみさちひこやまさちひこ』を今日は読みますね」
僕らは黙って聞いておりました。
ひと通り読み終えた先生が、最後にこう付け加えてくれました。
「ここに出てきた、海のおじいさん神様が塩竈神社にいるんですよ!」
僕らは一斉に「えーーーーっつ!」と。
「今度行ったらちゃんとご挨拶しなさいねぇ」とも。
帰り道。
「おめぇ、神様の名前、覚えてっか?」
「しおのなんとか・・・って言ってたっしゃ・・」
「しおがまさまっていうからや、『しお』ってついてんだべ!」
僕は、「なるほどぉぉ」っと。ともひろ君の答えに納得して家に帰りました。
白いひげを蓄え、大きな杖を持ち、にこにこしながら、知恵を授けてくれる。
「何ともやさしいおじいさんのイメージ」その神様は、このように僕らの印象に残ったのでした。
「古事記」という言葉を知ったのは、小学校高学年の頃。
「卑弥呼はどこにいたのか、邪馬台国はどこにあるのか」と世間で話題になった事がきっかけでした。
この「うみさちひこやまさちひこ」の話も「古事記」に由来するという事も合わせて知りました。
ここにその弟、泣き患ひて海辺に居ましし時に、塩椎神来て、問ひて曰しく、「何にぞ虚空津日高の泣き患ひたまふ由は」といへば、
答へて言りたまひしく、「我と兄と鉤を易へて、その鉤を失ひつ」。ここにその鉤を乞ふ故に、多くの鉤を償へども受けずて、
「なおその本の鉤を得む」と言ひき。「故、泣き患ふぞ」とのりたまひき。ここに塩椎神、「我、汝命のために善き議を作さむ」と言ひて、即ち牟間勝間の小船を造り、その船に載せて、教へて曰ひしく、「我その船を押し流さば、ややしまし往でませ。味し御路あらむ。乃ちその道に乗りて往でまさば、魚鱗のごと造れる宮、それ綿津見神の宮ぞ。その神の御門に到りましなば、傍の井の上にゆつ香木あらむ。故、その木の上に坐さば、その海神の女、見て相議らむぞ」といひき。
ところで、この神様、日本書紀にも、ご登場と相成ります。
かいつまんでお話いたしますと。
神武天皇の東方遠征を具申したのは、他でもなく「塩土老翁神」であるとされております。
「東に美国あり。青山四方に周れり。其の中に亦天磐船(また、あめのいわふね)に乗りて飛び降りれる者有りといへり」と教えたとされております。
その昔、神話の頃から、現代までも、その姿を変えることなく、絵本のイメージそのものであってそれらを整理いたしますと。
「古老の姿」をし「海から突然現れ出でて」「困った者を助け」て、「知恵を授ける」話ができるほど「知識が豊富」。しかも、「やさしい」と来ているわけです。
もう、老若男女より慕われている。そんな神様なんですね。
そして、これは案外世界共通の心情ともいえることだと、ある本を拝読し気付いた次第でもあります。
松村武雄氏は、日本神話研究の第一人者でありましたが、その著「日本神話の研究」の中でこう述べておられます。
「塩椎神(老翁)。この神の名に『翁』の文字が付与されている点は、他の神にはみられないところである。海に内在すると信ぜられた霊能の神格化は、人の姿に自身を変え、老翁の姿をしたのち、すぐれた『物知り』である。観ずるのは、ギリシア神話におけるオーケアノスやプロメテウス、北欧神話のニーヨルド、また古代バビロニアにおけるエアなど、多くの民族の宗教観念に共通している。オーケアノスは世界のはじめからののあらゆるできごとを知るを信ぜられ、プロメテウスは「海の予言者」と知られ、ニーヨルドおよびエアも、「すべてを知る者」「隠された知識の所有者」として登場している。海は世界の太初から、すべての事象をみているものであるから、それが「優れた物知り」であるのは、当然と言えば当然の事なのである
この塩土老翁、全国に製塩を伝えながら北上していったと伝えられております。
和歌山市にございます鹽竈神社。ご神体は塩槌翁(椎ではなく槌と記されております)とされております。文字通り、この土地に「製塩を伝えた」とされております。
この神社の伝説をご紹介いたしましょう。
塩槌翁が全国に伝えた製塩箇所が十三あって、紀州和歌浦は九か所目にあたる。翁は東へ赴き、十三箇所目にあたった奥州の地に伝えた後、東へは向かわなくなった。その地を「果の鹽竈」という。
塩椎翁、塩竈へ向かう途中で二人の屈強な神様お二人と出会います。(←諸説多々ございますが、とりあえず、酔漢流)武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)。
両名とも、刀と雷の化身となっております。
「お前さん。わしのボディーガードをしやせんかいのぉ」と言ったかどうかも、遊びの中での会話なのですが。
塩竈様の伝説では、この塩椎神のおぼしめしによって、武甕槌神と経津主神を導いて、この地にあり。そうされております。
この社の左側、左宮に武甕槌神。右側、右宮に経津主神が祀られております。そして、その右側にしっかり、おられます。塩椎神です。
この度、無事にリフォームが終了いたしまして、新しい宮柱がずっしりとした赴きで目に入って参ります。
「住み心地は如何ですか?」こう聞いても、にこにこしたお姿で、目の前の現れてくるのではないか。こんな想像もしてみたくなる神様です。
くだまきを語っている最中、ふと塩竈様へ行きたくなって、先ほど撮影した、塩椎神のお住まい、「別宮」を撮影してまいりました。
志波彦様の脇では、寒椿が可憐な花を咲かせておりました
酔漢、「どんと祭」会場ともなる駐車場に車を止めますが、社務所の脇、小さな土手に黄色の花が咲いておりました。
福寿草です。
帆手祭が来月10日に開催されます。
塩竈に春を告げる祭り。
塩竈にも春が来ました。
小さい頃「まんが 日本昔話」大好きで よく見ていたのを思い出しました^^
神話とかって 読んでいて面白いですよね
神様が同居していてケンカしないのですかね・・・