昭和52年9月第二週。ですから、丁度今頃。中学校は文化祭の真っ最中でした。
酔漢は「天文クラブ」。これは以前語ったところです。
本当に「じみぃぃ」なクラブですが、このクラブの存在を知らない生徒も、南校舎にあります「天文ドーム」は日々みているわけです。
「あそこで何やってのかなぁ」
は、五矯生が誰しも持つ疑問です。
答えは「天文クラブの僅か数名が昼休みに、太陽黒点の観察をしていた」でした。
わざわざ「見たい!」という生徒は案外に少なくて、時折父兄が屋上までやってきては「この中に何が入っているのか見たかった」的な見学が多かったのでした。
教室には、写真を解説できる者が一人いれば事足りますので、僕らは結構いろんなブースを見学することが出来ました。
廊下を歩く人は大変にぎわっているのですが(音でわかります⇒ガヤガヤ・・)この教室は素通りなのでした。
「んで、俺、どっか見さぁいぐからっしゃ」
と、しょうじ君に伝えて、見学へ出かけました酔漢でした。
南校舎内をうろついておりましたら、廊下に入り切れない人がいるブースを見つけました。
「何やってんだべな」
と酔漢が入って行こうとすると。
女子生徒が大勢います。
と、その時、ギターの音が。
「フォークソング部だっちゃ」
彼らは、文化祭期間中、演奏時には私服でした。
「また恰好いいなや・・」
と、夏服が汚れきった酔漢とは、明らかにオーラが違っております。
酔漢、教室の中へ入ります。
「では、次の曲、行きます。『戦え!ジャイアント馬場ぁぁ!』」
「うの君でねぇか!なんだや、ギターもやんだっちゃ!んでも、団十郎の歌だべ、聞いていぐか」
酔漢の団十郎好きは、以前くだまきにしたところです。
「ジャンボリクエストAMOと団十郎(さん) 2008-02-15 」
朝日が昇る真っ赤な空に
一人の男が夢を描いた
たった一つの小さな夢が
やがていつか大きく育つ
世界は一つ やってやれないことはない
世界を制覇するまでは どんな敵がいようと
嵐の中に立って 受けて立つのさ
この俺は 世界の王者 ジャイアント馬場
思わず、一緒になって口ずさんでいた酔漢でした。
「ラケット握って、コートば、走っているとこしかしゃねがったおんなや。ギター持ってとこも恰好いいなや」
と、感心(否、感動ぅ)しました酔漢でした。
うの君は、テニス部の主将でした。
今じゃ「ソフトテニス」となりました「軟式テニス部」に所属です。(カタカナになったところで・・・と、思います)
酔漢は大怪我以前に所属しておりました。
ちなみに「さうら君」も所属です。
長身の彼のサーブとショットは、歴代の先輩諸氏にも劣らない技術を持っておりました。
(ラケット『プロショット』だったような記憶がぁぁ・・『ナンバーワン』だったっけ?)
テニス部のキャプテンですから、これはもう女子生徒が、ほおっておく存在ではございません。
しかも、文化祭限定で彼の「引き語り」があるわけですから、フォークソング部の教室は賑わうわけでございます。
「俺とは違うんだっちゃなぁ」とは、酔漢の本音でございました。
この文化祭での出来事から、昨年「中村晴子さん」のくだまきを語りました酔漢でございます。
今年の同期会でも、彼女の話題になりました三年三組でした。
「今年はとりさんが来てくれたけど、あとは、『のべ君』と『くろちゃん』と『もんま君』が揃って・・『晴子』もだな・」
「たん君」の独り言でした。
「春・・その優しさに・・2010-09-15 」
昨年、ご主人のご実家のございます塩竈で行われました「写真展」には大勢の方にお越しいただいたと、聞きました。
そして、「うの君」は彼女とは小学生時代からの友人でもありました。
彼からはコメントを頂戴しておりました。
あれから、一年たった今回の同期会。
「くだまき・・見てるよ」と「うの君」
「コメントありがとな。もらい泣きしたっちゃ。んでも晴子と小学校時代からの知り合いだったんだなや」
「塩竈で開業して(整形外科⇒藤倉にあります)・・そこでの出会いもあった・・」
彼も彼女を懐かしんでいる様子。
「こんな出会いもあんだっちゃな。おらいのお袋は、旦那さんのお母さんと友達付き合いしてんだっちゃ」
考えてみれば、中学時代、彼とおおっぴらに話した事はございませんでした。
ですが、あの「晴子のくだまき」から、彼女への思いが一緒だったとそう感じた酔漢でございます。
こんなに話が出来るとは、思いませんでした。
三十数年も経っているのに。
中学でも、それ以降でも、彼との接点は中学同期以外にはなかったのですから。
彼とは一緒に呑みながら、話が弾みました。
「実は、六月に右足の親指がいぎなし腫れてっしゃ。今は何ともねぇんだけんど・・『軟骨腫』でねぇかって医者から言われたのっしゃ。時間があったら、診てけねぇすか?」
「半世紀近く酷使したからだでしたぁぁ 2011-06-23 」
「家来たら?一度診てみるよ。時間ある?」
「明後日、月曜はまだ塩竈さぁいっから、都合があれば訪ねてみっから」
彼とは、そんな約束をいたしました。
彼のクリニックは、酔漢の実家からですと、車でほんの五分もかからないところにございます。
朝診察時間前に到着。
ですが、待合室は、椅子が少しばかりしか残っておりませんでした。
「故郷の訛り懐かし・・・・病院の待合室!」でした。
リハビリに訪れる、お年寄りたちが大勢おられました。
(実は・・知った顔もちらほら・・・でした)
待つ事数十分。
診察室から彼が、顔を出しました。
酔漢の顔を見るなり「おう!」と一言。
診察の前にレントゲンを撮ります。
「酔漢さまぁ。どうぞ!」
彼自らのコール。
診察室は、彼の仕事場でもあります。少しは緊張しました。
友人とはいえ、彼は医者でもあるわけです。
プロの話をきちんと伺いたい。こうした思いもありました。
「一昨日は。あれから・・盛り上がったねぇぇ」
「あれだけの人数が集まったのっっしゃ。熱気がすげかったおんなや」
「で、これが、右足親指の写真・・と。あぁ、この影かなぁぁ」
と酔漢のレントゲン写真を観察しております「うの君」
最初の一声が。
「今、通っている先生の所見と一緒。小さな軟骨腫。そんなに痛むことないと思うよ」
「おらいも何時怪我したかぁ。よく覚えてねぐて」
「尿酸値は?調べた?」
「痛風の疑いはかけられたっちゃ。んでも値は正常だべ」
「痛い時に尿酸値が低くても、時間が経ってまた上がることもままあるんだ・・けど・これ見ている限り悪さしてんのは、やっぱりここだな」
「これから、またいでぐなっことってあんのすか?」
「滅多にないと思うけど。まぁ整形外科医が百人いたらおそらく百人は同じ答えだな。こう思ってもらっていいよ」
診察時間は、そんなに長くはなかったのですが、その後はやはり同期会の話題。
(ですが、医学書を持ち出して、丁寧に説明してくれました)
「安心したっちゃ。ありがと!」
「今度、これ(呑むしぐさ)しよう!」
診察室を後にしました。
実際、足指は、痛くなくて、普通に生活してます。
藤沢のかかり付けには、10月頭に検査することになってます。
ですが、やはり、友人に診てもらいたい。こう思った酔漢でございました。
「今度、『うの君』ばぁ、くだまきさぁ登場させていいすか?」
「俺が?くだまきに?是非!」
とのことで、この「くだまき」を語りました酔漢でございます。
くだまきを語ってなくて、晴子を語ってなかったら、彼とは、こんな会話をするなんて事はなかった。
僕は、これまで、多くの友人と再開し、あたらしい友人知人を、「くだまき」を通して得ることができました。
自身の癖。とは思うものの、改めて「よかった」と思うのでした。
彼のクリニックは、藤倉の奥にありますが、津波の影響を免れる事は出来なかったと聞きました。
まだ、多くの爪痕の残る、塩竈市内。
彼のクリニックの石段も少し痛んでおりました。
駐車場から車を出すときも、多くの人が彼の診察室へ入っていくのが見えました。
「しっかり塩竈に根付いていんだべ」
こう感じながら、彼のクリニックを後にしました。
「また、盛りあがっぺ!な、うの君」
こう心で叫んでおりました。
藤沢に戻って、一昨日。母からの電話。
「今日、下館さんのお母さんにあって、そしたらお孫さんを連れてたのよ!一番上の孫だって。とても、目のきれいなお嬢さんだったわよ」
うの君。
晴子の長女だよ。
きっと、晴子と同じで、「涼しいますっぐに見つめる目」だったんだと思うよ。
酔漢は「天文クラブ」。これは以前語ったところです。
本当に「じみぃぃ」なクラブですが、このクラブの存在を知らない生徒も、南校舎にあります「天文ドーム」は日々みているわけです。
「あそこで何やってのかなぁ」
は、五矯生が誰しも持つ疑問です。
答えは「天文クラブの僅か数名が昼休みに、太陽黒点の観察をしていた」でした。
わざわざ「見たい!」という生徒は案外に少なくて、時折父兄が屋上までやってきては「この中に何が入っているのか見たかった」的な見学が多かったのでした。
教室には、写真を解説できる者が一人いれば事足りますので、僕らは結構いろんなブースを見学することが出来ました。
廊下を歩く人は大変にぎわっているのですが(音でわかります⇒ガヤガヤ・・)この教室は素通りなのでした。
「んで、俺、どっか見さぁいぐからっしゃ」
と、しょうじ君に伝えて、見学へ出かけました酔漢でした。
南校舎内をうろついておりましたら、廊下に入り切れない人がいるブースを見つけました。
「何やってんだべな」
と酔漢が入って行こうとすると。
女子生徒が大勢います。
と、その時、ギターの音が。
「フォークソング部だっちゃ」
彼らは、文化祭期間中、演奏時には私服でした。
「また恰好いいなや・・」
と、夏服が汚れきった酔漢とは、明らかにオーラが違っております。
酔漢、教室の中へ入ります。
「では、次の曲、行きます。『戦え!ジャイアント馬場ぁぁ!』」
「うの君でねぇか!なんだや、ギターもやんだっちゃ!んでも、団十郎の歌だべ、聞いていぐか」
酔漢の団十郎好きは、以前くだまきにしたところです。
「ジャンボリクエストAMOと団十郎(さん) 2008-02-15 」
朝日が昇る真っ赤な空に
一人の男が夢を描いた
たった一つの小さな夢が
やがていつか大きく育つ
世界は一つ やってやれないことはない
世界を制覇するまでは どんな敵がいようと
嵐の中に立って 受けて立つのさ
この俺は 世界の王者 ジャイアント馬場
思わず、一緒になって口ずさんでいた酔漢でした。
「ラケット握って、コートば、走っているとこしかしゃねがったおんなや。ギター持ってとこも恰好いいなや」
と、感心(否、感動ぅ)しました酔漢でした。
うの君は、テニス部の主将でした。
今じゃ「ソフトテニス」となりました「軟式テニス部」に所属です。(カタカナになったところで・・・と、思います)
酔漢は大怪我以前に所属しておりました。
ちなみに「さうら君」も所属です。
長身の彼のサーブとショットは、歴代の先輩諸氏にも劣らない技術を持っておりました。
(ラケット『プロショット』だったような記憶がぁぁ・・『ナンバーワン』だったっけ?)
テニス部のキャプテンですから、これはもう女子生徒が、ほおっておく存在ではございません。
しかも、文化祭限定で彼の「引き語り」があるわけですから、フォークソング部の教室は賑わうわけでございます。
「俺とは違うんだっちゃなぁ」とは、酔漢の本音でございました。
この文化祭での出来事から、昨年「中村晴子さん」のくだまきを語りました酔漢でございます。
今年の同期会でも、彼女の話題になりました三年三組でした。
「今年はとりさんが来てくれたけど、あとは、『のべ君』と『くろちゃん』と『もんま君』が揃って・・『晴子』もだな・」
「たん君」の独り言でした。
「春・・その優しさに・・2010-09-15 」
昨年、ご主人のご実家のございます塩竈で行われました「写真展」には大勢の方にお越しいただいたと、聞きました。
そして、「うの君」は彼女とは小学生時代からの友人でもありました。
彼からはコメントを頂戴しておりました。
あれから、一年たった今回の同期会。
「くだまき・・見てるよ」と「うの君」
「コメントありがとな。もらい泣きしたっちゃ。んでも晴子と小学校時代からの知り合いだったんだなや」
「塩竈で開業して(整形外科⇒藤倉にあります)・・そこでの出会いもあった・・」
彼も彼女を懐かしんでいる様子。
「こんな出会いもあんだっちゃな。おらいのお袋は、旦那さんのお母さんと友達付き合いしてんだっちゃ」
考えてみれば、中学時代、彼とおおっぴらに話した事はございませんでした。
ですが、あの「晴子のくだまき」から、彼女への思いが一緒だったとそう感じた酔漢でございます。
こんなに話が出来るとは、思いませんでした。
三十数年も経っているのに。
中学でも、それ以降でも、彼との接点は中学同期以外にはなかったのですから。
彼とは一緒に呑みながら、話が弾みました。
「実は、六月に右足の親指がいぎなし腫れてっしゃ。今は何ともねぇんだけんど・・『軟骨腫』でねぇかって医者から言われたのっしゃ。時間があったら、診てけねぇすか?」
「半世紀近く酷使したからだでしたぁぁ 2011-06-23 」
「家来たら?一度診てみるよ。時間ある?」
「明後日、月曜はまだ塩竈さぁいっから、都合があれば訪ねてみっから」
彼とは、そんな約束をいたしました。
彼のクリニックは、酔漢の実家からですと、車でほんの五分もかからないところにございます。
朝診察時間前に到着。
ですが、待合室は、椅子が少しばかりしか残っておりませんでした。
「故郷の訛り懐かし・・・・病院の待合室!」でした。
リハビリに訪れる、お年寄りたちが大勢おられました。
(実は・・知った顔もちらほら・・・でした)
待つ事数十分。
診察室から彼が、顔を出しました。
酔漢の顔を見るなり「おう!」と一言。
診察の前にレントゲンを撮ります。
「酔漢さまぁ。どうぞ!」
彼自らのコール。
診察室は、彼の仕事場でもあります。少しは緊張しました。
友人とはいえ、彼は医者でもあるわけです。
プロの話をきちんと伺いたい。こうした思いもありました。
「一昨日は。あれから・・盛り上がったねぇぇ」
「あれだけの人数が集まったのっっしゃ。熱気がすげかったおんなや」
「で、これが、右足親指の写真・・と。あぁ、この影かなぁぁ」
と酔漢のレントゲン写真を観察しております「うの君」
最初の一声が。
「今、通っている先生の所見と一緒。小さな軟骨腫。そんなに痛むことないと思うよ」
「おらいも何時怪我したかぁ。よく覚えてねぐて」
「尿酸値は?調べた?」
「痛風の疑いはかけられたっちゃ。んでも値は正常だべ」
「痛い時に尿酸値が低くても、時間が経ってまた上がることもままあるんだ・・けど・これ見ている限り悪さしてんのは、やっぱりここだな」
「これから、またいでぐなっことってあんのすか?」
「滅多にないと思うけど。まぁ整形外科医が百人いたらおそらく百人は同じ答えだな。こう思ってもらっていいよ」
診察時間は、そんなに長くはなかったのですが、その後はやはり同期会の話題。
(ですが、医学書を持ち出して、丁寧に説明してくれました)
「安心したっちゃ。ありがと!」
「今度、これ(呑むしぐさ)しよう!」
診察室を後にしました。
実際、足指は、痛くなくて、普通に生活してます。
藤沢のかかり付けには、10月頭に検査することになってます。
ですが、やはり、友人に診てもらいたい。こう思った酔漢でございました。
「今度、『うの君』ばぁ、くだまきさぁ登場させていいすか?」
「俺が?くだまきに?是非!」
とのことで、この「くだまき」を語りました酔漢でございます。
くだまきを語ってなくて、晴子を語ってなかったら、彼とは、こんな会話をするなんて事はなかった。
僕は、これまで、多くの友人と再開し、あたらしい友人知人を、「くだまき」を通して得ることができました。
自身の癖。とは思うものの、改めて「よかった」と思うのでした。
彼のクリニックは、藤倉の奥にありますが、津波の影響を免れる事は出来なかったと聞きました。
まだ、多くの爪痕の残る、塩竈市内。
彼のクリニックの石段も少し痛んでおりました。
駐車場から車を出すときも、多くの人が彼の診察室へ入っていくのが見えました。
「しっかり塩竈に根付いていんだべ」
こう感じながら、彼のクリニックを後にしました。
「また、盛りあがっぺ!な、うの君」
こう心で叫んでおりました。
藤沢に戻って、一昨日。母からの電話。
「今日、下館さんのお母さんにあって、そしたらお孫さんを連れてたのよ!一番上の孫だって。とても、目のきれいなお嬢さんだったわよ」
うの君。
晴子の長女だよ。
きっと、晴子と同じで、「涼しいますっぐに見つめる目」だったんだと思うよ。
先日は、わざわざ拙院まで足を運んでいただきありがとう。感謝。
同期会でもいろいろ話ができた良かったね。最近、年のせいか懐古的&寂しがりやになって、昔の友人と会うのがかなり楽しみになっています。
今回の「戦えジャイアント馬場」ネタも、記憶の隅の隅をつかれた感じで、流石酔漢殿、敬服です。(しかも歌詞まで覚えてるとは・・)
そういえばうちの次女がこの春、我らが母校に入学したのですが、私の勧めるテニス部には入らず、なぜか陸上部に入部しました。するとそこには晴子ちゃんの娘さんが、先輩としていたのです。次女に「どんな先輩なの?」と聞くと「すごく良い先輩だよ。超男前なの」だって。女の子なのに「男前」ってと思いましたが、なんかちょっとわかる気がしませんか?
お互いに納得。(笑)
写真展で、「晴子」を見た、多くの知人が、「酔漢さんの話を聞いてたらもう少し、ボーイッシュかなって思ったけど、そんな印象じゃないよね」と話しておりました。
長い髪の彼女の印象は無かったのですが、「もっと綺麗になっている」と思いました。
お嬢様、陸上部ですか。やはり「テニス部」を薦めたのですね!
次男は、高校1年生ですが、今は片瀬海岸でライフセーバーをしてます。テニスは、硬式テニスを7年。このあたりは僕のDNAとは違うものを持っているようです。
そうそう、君の熱唱は、今でも目に焼き付いてます(笑)