酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 準特攻 参

2011-02-15 11:36:32 | 大和を語る
コメントへの返礼が滞りました。
この場を借りまして、お詫び申し上げます。

再度、再度「一億特攻のさきがけ」を検証してまいります。
「一億総特攻」について、この言葉が使われた時期を推察してまいります。

「海上特攻作戦は、作戦の担当者としてこんなに辛いことはなかった。命令する立場として『お前死んでこい』と平然と申しわたすにはよほどの修養を積む必要があった。ところが、作戦課の周囲にいる人たち、みずから特攻に行くわけでもなく、また特攻を命令する立場でない人たちが、さかんに『一億総特攻』と言い始めた。これが印象に残っている」と述べている。これもまぎれもない事実であり、忘れてはならない。
(元軍令部作戦課部員 土肥一夫中佐 証言より抜粋)

だれが、だれともなく、無責任な言葉が一人歩きいたしました。
前線で、敵と相対したこともない人達が簡単に使った言葉なのかと。
言葉を言い出した人達は何の思慮深いところもなく使った言葉なのかと。
しかし、この言葉でもって多くの命が失われていることが事実なのです。
映画「男たちの大和」において、第二艦隊伊藤整一司令長官はこう発言されておられます「承知した」と。
しかしながらこの「承知」は一体どこまでが「承知」だったのでしょうか。
「海軍は私に死ねと言っているのか」(伊藤司令長官の言葉)これは、元二艦隊副官石田恒夫さん(元少佐)の戦後の証言ではありますが。
「海上特攻」としての命令受けざるを得ない状況を吐露しているのだと考えます。
伊藤司令長官は「特攻」という言葉を使って作戦を下令している軍に対して大きな嫌悪を持ち、しかしながら、軍人である以上命令を拒否できる立場ではなく言葉として受けざるを得なかったと解釈するのが史実であろうと、こう考えます。
その状況を見てみます。

昭和二十年四月五日。「十五時三十分、水上機一機『大和』の舷側近くに着水、同機で草鹿参謀長来艦す。参謀長は先ず司令官室に消えた」と能村元副長手記にはこうございます。
草鹿参謀長の作戦目的説明の間、伊藤司令長官は黙して聞いております。
しびれを切らした三上参謀(GF作戦参謀)は、「本作戦は陸軍の総反撃の呼応して敵の上陸地点に艦をのし上げ、陸兵となって斬りこむところまで考えている」と上申し、この言葉の直後に「それならば何をかいわんや。よく了解した」と伊藤司令長官が初めて口を開いた。とございます。
石田恒夫元少佐はこの場にはおられませんでしたが、その状況をお話しになられた際の状況とは一致いたします。
これが「了解」の史実です。
さすれば、「『特攻』という言葉だけでは伊藤司令長官は動かなかった」とみるのが正解であろうと、このように考えます。
作戦であれば納得し、「単純に特攻であれば納得しがたい」これが司令長官の腹だったのです。(酔漢的に結論といたします)
さらに、「艦隊が大半を失うような事態が発生した場合、作戦の変更もあることは承知してもらいたい」と付け加えます。
これが、第二艦隊がGFに突き付けた最後のカードとなる言葉なのです。
この時、三上参謀が急に立ち上がり、顔面蒼白の形相で、伊藤司令長官に噛みつこうとした史実は多くの書の中でも記載されていない場面です。(失念。どなたかの証言です)
それを制しての草鹿参謀長の発言です。
「司令長官の心にあることです」
「・・・気が晴れた・・・」
GFに釘をしっかり刺しております。
この草鹿参謀長の言葉により「本作戦の主導権がGFから2Fへと移行した」と考えるべきではないか。そう考えます。
ここで作戦の趣旨を整理してみます。
属に言われております「沖縄上陸。砲撃。」ではなく「敵水上艦艇、敵輸送船団の撃滅」なのです。これが最終のミッションです。
ですが、航海途中、敵からの空襲、敵潜水艦からの雷撃は容易に想定でき、このミッションの成否はこの航海途中の攻撃を「いかにかわすか」がポイントとなってまいります。
伊藤司令長官が危惧しておりましたのは、「途中の激しい攻撃」です。この「激しい攻撃」にさらされた際に「作戦の中止も想定しておかなければならない」これは、作戦立案としては「しっかりと考えておかなければならない事項」の一つです。
「沖縄に突っ込む」ということがGFの最初の動機であれば、その主旨が変更されております。
「特攻」ではあり「特攻的作戦」ではあるものの、酔漢が定義しております「特攻」とは違っております。
上記はその一つの例(ほかにもあるのですが)ですが、この背景、状況を見ますれば「本作戦は海上特攻作戦」というには違っていると考えます。
「特攻作戦には中止はない」のです。そして作戦説明の時点で「それを約束させた」のであればこの瞬間に「特攻ではなくなるのです」
映画にあるように「一億総特攻のさきがけ」という言葉だけで伊藤司令長官が「納得した」ということは史実と違っているのです。
別な視点で見てみます。
仮に「一億総特攻のさきがけ」であれば、その宣伝が必要です。
「大和が特攻する」という事実を「一億人が知らなくてはならない」という事実です。
「日本が誇る世界一大きな砲をもつ戦艦が、敵の真っただ中に突入した」ということを広く国民が知っておいていいのです。
さすれば、軍として大義名分が立ちます。「大和でさえ敵に突っ込んだ、況や他の部隊もや」でなくてはなりません。
ですが、大和はその存在自体が秘匿中の秘匿。その存在を知っている国民はいない(ごくわずか)ことになっているのです。
これでは「一億総特攻のさきがけ」にはなりません。
「一億総特攻のさきがけ」が作戦の主であれば、もっと効果的なものがあるのではないのでしょうか。
極論を申し上げます(これも本意ではございません。ご容赦ください)
「GF司令長官が単身で飛行機に乗り込み敵艦に突っ込む」
これが「一億総特攻のさきがけ」ではないかと。酔漢は考えます。
誰しもが知っているGF司令長官がそうなっているのであれば、国民は納得し、(これも怖い話ですが)「一億総特攻のさきがけ」になりえます。
しかしこうはなりませんでした。
秘匿の戦艦では無理です。
この話「映画もそうですが」戦後、美談的に語れる背景があり
「そうなってしまった」と。
大和を失った事実を国民に知らせるには「こうする話」が一番手っ取り早いのです。
世界一の戦艦を囮として使用するという具体的な作戦は立案されましたが、「囮となった」では恰好がつかない。「敵輸送船団、敵水上部隊殲滅」であれば、尤もな作戦ではあるが、その過程において成功がむずかしい敵の激しい攻撃に遭遇するのは必至。燃料も不足している(不足どころか枯渇)しかし、畏れ多き方の御言葉(「我が国にはもう水上部隊はないのか」)もあり、後に引けない状況に陥った海軍がこの言葉を使用する。
言葉的に軍が勝手に納得し得た「一億総特攻のさきがけ」なのです。
戦後一人歩きした言葉なのです。
「一億総特攻のさきがけ」とワンセットになって語られることが多い臼淵大尉の言葉です。吉田満さんの「戦艦大和」から見てみます。

痛烈なる必敗論議をかたわらに、哨戒長臼淵大尉(一次室長)、薄暮の洋上に眼鏡を向けしまま低く囁くごとく言う
「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ
日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩をわすれていた
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか
俺たちはその先導になるのだ
日本の新生のさきがけて散る
まさに本望じゃないか」
彼、臼淵大尉の持論にして、また連日一次室に沸騰せる死生談義の、一応の結論なり
敢えてこれに反駁を加え得る者なし
(吉田満氏著 「戦艦大和」河出書房 35頁より抜粋)

この臼淵大尉のお言葉は「一億総特攻のさきがけ」とは別の次元の言葉だと考えます。
これは大尉の死生観であり哲学です。
「一億総特攻のさきがけ」の言葉以前より自らが確立させた哲学なのです。
大変重みのある言葉です。
若くして、これを悟っている。まったく惜しい方を失ったと思います。
大尉が生還者であったなら、どんなお言葉を発しておられたでしょう。
映画などでは、この言葉が美談として語られることが多いのです。
ですが、哲学のない薄い「一億総特攻のさきがけ」よりは遥かに重い信念です。
「同一に語ってはならない」そう考えております。

いつもよりまして整理できてない「くだまき」でございます。

繰り返すようですが、2Fは出撃準備以降、GF作戦とはかけ離れた行動を取っています。この一見辻褄の合わない行動ですが、「生還を期す」という視点から見ますれば、「辻褄」が合ってまいります。矛盾する部分は一つ「特攻作戦」という視点だけです。
出撃時間、出撃航路、総員最上甲板、作戦中止の意見具申、駆逐艦一隻ごとの軍医配置、輪型陣の配置、燃料の残、矢矧の木材、初霜士官室の拡大、戦死特進の実例。列記しました史実を見ましても「特攻ではない」材料が出てまいります。
次回はそれを整理してまいります。

しかしながら。
「あの作戦は特攻であった」と申されます方々、ご遺族を含めましておられます。
私は決してそれを否定いたしません。
酔漢の私見で語っているものでございます。

あるご遺族の慰霊祭での言葉を酔漢は、決して忘れません。

「行きたくもないのに、無理やり連れていかれたんだ」

今でもその言葉が耳に焼き付いております。

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