酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

テロと名人とリボンの騎士とさとう君 その5の前に

2009-05-21 10:50:17 | くだまきアーカイブス
塩竈市立第二小学校の主。「大友さん」です。もし、校内人気投票があれば、第一になる事は間違いありません。小学校6年時であれば第二位は「よしこ先生」(本当におられました)第三位には(おそらく)「エツジ」(たびたび登場します、僕らの担任です)だったに違いありません。でもね、エツジはプレッシャーをかけて組織表を作りに走ります。
「おめぇらなぁ、俺さぁ投票しねがったら、判ってんだべな」・・・・です。
そして(本題から離れますが、そのエツジとよしこ先生はめでたく結婚するのでした。それも僕らが6年生の時です)

大友さんは「用務員さん」でした。僕は二小のすぐそばに住んでおりました。(今のこまっつあきの実家)ですから、小学校入学前、それこそ、幼稚園に入る以前から知っていたのでした。
今でも「釣バカ日誌」のスーさんを見ると「大友さん」を思い出します。そのキャラクターにそっくりなのです。一見しますと「ひ弱なおじいさん」に見えますが、実際はそうではありません。学校中の事、特に建物の事になりますと、この人より詳しい人はいないのではないか、と言ったところです。

冬の準備が始まりました。季節の変わり目は大友さんが一番忙しくなる時期でもあります。
僕らが三年生の頃までは「だるまストーブ」がありました。
最初に渡り廊下の脇のスペースにまきが積まれます。ほぼ一冬分のまきが集められます。そして、プレハブにしまい込んである「だるまストーブ」の修理点検が始まります。ほぼ40台に近いストーブを他のもう一人いる用務員さんとやるわけです。
それと同時に用務員室の外側にベニヤ板で囲いを作って臨時の石炭置き場とコークス置き場を作ります。
この大きな仕事をたった二人で行うのです。
もちろん日々の作業は欠かしません。
校内から出たゴミは、学校の脇(現在の旧無線局入り口付近)の石ブロックで作られた自前の焼却炉で処分します。
もう、大変なお仕事だとは思うのですが、僕らにはとてもやさしく接してくれました。

ある日、学校が休校になりました。が、そんな事で家に引っ込んでるような僕らではないのです。
「あしたや、ロクモンスすっぺ」となりました。
「先生さぁ、見つかんねぇべか?」
「おらほのがっこさぁ、そんな休みの時に来るなんてぇ、気の利いた先生なんていっか?エツジは実家さぁ帰ぇるって言ってたっちゃ。くっとしたらエツジぐれぇだけんど、あいずが塩竈さぁ、いねぇがったら、誰も先生さぁいねぇべ」
相変らず、僕らの会話です。言いだしっぺは「しんどう君」そして「ただし君」もおりました。
そして、当日。さすがに、校庭の正面にある「ロクモンスには最高の場所」は遠慮しなくてはなりません。(インフルエンザだったか風疹だったか忘れましたが、僕らにも少しは後ろめたさはあったのでした)
僕らは、保健室(校舎から離れた別館プレハブにありました)の脇を選びました。
ロクモンスの開始です。
ロクモンス。宮城独特のこの球技です。今はどうなっているのでしょうか。
ゲームに戻ります。(ゲームの内容は、またお話いたします)
開始そうそうです。こうき君の打った打球は・・・・ガッシャーンと大きな音をたてて、消えました。
「なにっしゃ!」
「保健室のガラス割ったんでねぇかや」
僕らはものの見事に、休校中の学校のガラスを割ったのでした
「なんじょすっぺ!」
「先生もいねぇしなや!」
「どっか、保健室さぁ、入らんねぇかや?」
「まんず、無理だべさ!鍵かかってっとぉ!」
そのとき、ただし君がこう言いました。
「こづかいさん、いんでねべか!」(現在は使っていけない言葉です。が当時僕らの表現をそのまま使用いたしました。先にも申し上げましたが、全く他意はございません。この場ではございますが、関係者の方にはお許しいただきたく存じます)
「んで、こづかい室(用務員室)さぁ行ってみっぺ」
僕らは走って木造校舎裏手から用務員室に走りました。
「休校中の学校でロクモンスしてたら先生さぁばれっぺやな」
ふみひこ君が走りながらこう話しました。
一瞬、僕らは走るのをやめました。
「んでもや、このまま逃げたらもっと先生さぁごしゃかれっぺ!」
こうき君の一言です。
僕らはこうなったらと考えると身震いしました。
用務員室の前です。
「大友さんだったらいいっちゃ」
「んだ。大友さんだったら、まずごしゃかんねぇべぇ」
僕らはおそるおそる用務員室の扉を開けました。
「おおともさぁぁん!いるすかぁぁぁ」
「おう!何んじょした。やろっこども。雁首そろえてぇ。今日は学校さぁ臨時休校だべ。遊んでたらダメでねぇすか」
大友さんは倉庫の中で、何か工作をしていたようでした。
僕らはひとまず、大友さんがいたことに幸運を感じておりました。
「あのっしゃ。俺達保健室の脇で・・・ロクモンスしてたのっしゃ。ほしたら、保健室の上の小さな窓ありすぺ。その窓のガラス割ってしまったのっしゃ・・」
代表ではないのですが、こういうときは必ず「こうき君」が言いだしっぺなのでした。(過去ブログ「ソ連貨物船が来た」をご覧下さい。彼がずっと学級委員長であった訳がわかります)僕は彼の隣で、大友さんがどう話すのか不安ながらも聞いておりました。
「なんだや。こんな事でこっちゃぁ来たのすか。んで今そいずば片したら行ってみっから」
大友さんが怒ってないことにまずは安心しました。
「えがったなや。」しんどう君が言いました。
「んだ。えがった」さとうただし君もそう話しておりました。
「んでも、先生が何ていうか・・あしたみなしてバツ当番だべ。覚悟しておくっちゃ」
「エツジだべ。まずは二週間の刑はまぬがれねぇべ」
「んで。いぐか!」大友さんは、いくつかある鍵の束(おそらく、学校中の部屋という部屋の鍵をもっていました。校長先生でさえ、知らない部屋の鍵も持っているのだと、僕らは以前から知ってました)から、一つを選んで僕らと一緒に校庭を渡りました。
現場です。僕らは下を向いたまま、黙っておりました。
「なんだや、ここすか。こいずのガラスは部屋さぁあっからっしゃ。すぐに直せからっっしゃ」
「ほんとすか!」
「なんだや。曇りガラスでは、明日さぁなっけんど。んでねぇからっしゃ。こいずはすぐに直せるっちゃ」
「んでもっしゃ。先生さぁは明日、話すのすか?」誰とも無くこう言いました。実は僕らが一番気になる質問でした。
「はははは・・・何わるさばして、おおじょうぎが悪いごだ。そんなに先生さぁ怒られんのがやんだなら、最初からやらねぇ方がいいにきまってっぺさぁ。まんずしんぺぇすことはねぇべ。おらは告げ口は嫌いだべ。黙って直してけっから、すんぺぇしねぐてぇもいいんでがすと」
僕らはみんなして、ようやく笑顔になりました。本当にほっとしました。
大友さんは、用務員室からガラスを持ってくると、手馴れた手つきでガラス切りでガラスを切ってます。その間、僕らは足跡を気にしながら、保健室の中のガラスを掃除しました。幸いなことに備品は壊れておりません。
ほんの三十分位でしょうか。保健室のガラスは元通りになってます。
「大友さん。本当にありがとうございました。んで、今度、何でも言ってけさいん。俺達、何か手伝いすからっしゃ」
「そいずばぁ、頼もしいなや。んでも、面倒な事おこさねぇのが、おらいさとって一番の事なんだけんどっしゃ」
「そいずばぁ言われっとっしゃ。俺達立つ瀬ねぇべさ」
僕らは今日久しぶりに笑いました。
でも、それ以降、何かにつけて僕らの学級は用務員室を訪ねては、お手伝いをするようになったのでした。
藤倉から二小までは山に沿った急な階段が通学路でした。冬雪が積もると、朝早くから大友さんが一人で雪かきをして通学路の確保に努めていることは僕らも知っておりました。誰ともなく、雪が積もった日は大友さんと一緒に雪かきをする事が僕らの仕事となりました。雪かきが終わると用務員室のストーブの周りに集まって、お茶をご馳走になります。冷えた身体には充分過ぎるほどご馳走です。午前5時ごろから風呂にお湯を沸かして、下級生にはお湯で朝掃除が出来るように、バケツにお湯を用意してくれるのでした。ですから氷点下の中でも用務員室は、相当な暖かさなのでした。

さとうただし君です。
「新作だっちゃ」とノートを広げております。
「ただし。ピーマンはなんじょした?」
「あれはあれだっちゃ。今回は大友さんがモデルだべ」
「『スーパー用務員』?何っしゃ?」
「宇宙人にせめられる地球にあって、ある小学校の用務員さんがひそかに学校の中で、対宇宙人兵器を自前で開発し、地球防衛に紛争する」こんな内容だったと記憶してます。
「大友さんに出来ねぇ事ってあんのかや?」
「この間、屋根さぁ登って、雨漏りなおしてたべ」
「二階のすか!あぶねぇなや」
「さすがだっちゃ。大工さんより大工してたべ」

鉈や鋸の使い方も教えてくれるのでした。
先生の教えてくれないことを教えてもくれました。そういったときの僕らは、きっと授業中より目を輝かせていたんだと思います。

就職し、少年ジャンプに「ただし君」の漫画が掲載されているのは知ってました。
あまり見る機会はなかったのですが、突然の記事。
新聞も食い入るように見た酔漢です。
出版界に激震が走るような事件が起きました。
彼の書いた漫画の内容が社会問題となっていたことを、事後に知った酔漢でした。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テロと名人とリボンの騎士と... | トップ | ブレイクタイム 「きよ」と... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひー様へ (酔漢です)
2009-05-24 18:36:06
ロクモンスってやはり、ひー様もやられておいででしたか。これも特集しましたが、やはり今一度ロクモンスで盛り上がろう(僕だけかも・・)かと思います。
本当にこれ、宮城独特の球技なんですよね。
点がない!(勝ち負けがない)のにあれだけエキサイトしてましたもんね!
返信する
クロンシュタット様へ (酔漢です)
2009-05-24 18:32:36
本編、次回に語ります。
事件の内容を詳しく知らなかったので、途中調べました。
その間に追加した話です。
塩竈は小学校事に給食室があって学校の個性がありました。三小のパンも「円満堂」でしたでしょうか。
返信する
Unknown (ひー)
2009-05-24 14:26:10
いや~いつも携帯からではありますが、つい、タイトルの頭が同じなので見逃していました。
ロクモンスとだるまストーブにコークス…これは私達の学校生活や子供の遊びには不可欠なアイテムでしょう。缶蹴りもありました。
しかし、3年生あたりの記憶をよく記憶しているもの感心致します。
返信する
どうも咳が・・・ (クロンシュタット)
2009-05-22 05:55:31
三小では「給食のおばさん」たちと仲良しでした。
おーこれも差別的表現かな・・・
登校時に給食調理室の前で、ジャガイモの皮むきを、山盛りの量をこなしている姿。じっと見ていました。
三中では「保健室の先生」と、ものすごく仲良しでした。友人たちと休み時間ごとにストーブの周りに集まってました。
とうとう三年になると、全校の保健部長まで努めてしまいました。
保健部長が自ら体調不良でよく寝ていましたがね・・・

少年ジャンプの事件は、なんとなく覚えています。
次回にコメントいたしやす。


返信する

コメントを投稿

くだまきアーカイブス」カテゴリの最新記事