酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

下駄を鳴らして奴が来た!保健室の伝説

2007-11-06 11:04:25 | 仙台中学校の頃の話
 仙台市立五橋中学校。この存在が奇妙な中学校には、いくつかの伝説が残っておりました。少しだけ紹介いたします。
私自身、高校入試が南北分割になった二年目での受験でした。ですから、私が1年生時の3年生はまだ学区制になる前の受験生です。五橋といえば、仙台市立ながら、受験対策に熱心な中学校でしたが、実はスポーツもかなりさかんで、各競技連覇がかかっておりました。昭和50年、仙台市中体連の成績を見ましても、団体競技で(私の記憶ですが)軟式庭球部。剣道部。柔道部。相撲部(中田中学校と五橋の二校だけですが)などが優勝したのではなかったでしょうか。私は1年時、男子軟式庭球部に所属いたしておりました。下駄の御仁は吹奏楽部に所属し、パンカッション担当でした。もちろんかの有名な合唱部はまだ健在でした。(鬼百合とナイキの2枚看板だったからなぁ。OB諸氏、懐かしいでしょ!)
 1年6組は、体育館(3階)の下、新しい校舎の1階、中庭からの入り口の正面にありました。そして、その向いには保健室がありました。
 中学校の保健室の先生と言えば、生徒の悩みを聞き、ある程度駆け込み寺的な存在なのですが、このような雰囲気はまったくありませんでした。生徒数も多く、また運動部もかなりハードな練習をしておりましたので、大会が近づく頃には、ケガをした生徒がたくさん駆け込み、流行の外科医院のような雰囲気があったのでした。
 そんなある日、酔漢、授業中に熱をだしました。5月の終わり、3時間目、相沢先生の英語の授業の時です。
「どうした、酔漢。顔が赤いぞ」
「先生、酔漢君、具合が悪いみたいです」と、隣の席におりました、ちかこさんが、(先だって、ある旅番組を見ておりましたら、当人が老舗ホテルの若おかみになっておりました)先生に教えてくれておりました。
「保健室に行って来なさい」
教室の扉を開けますと、目の前が保健室でした。
たづこ先生(この話の主人公です)が「そこに座って熱測りなさい」と体温計をわたしてくれました。
もう早く横になりたい。と思うもののベッドが一つしか空いてない状態でした。
一つ空いてれば、そこに寝かせてもらえると考えておりました。
「今、ベッド空いてないから、そこに暫く座って休んでいなさいね」と先生。
(なしてだべ?空いてんでねぇかや)
「うーーん、38℃あるね。早く帰りな」
そそくさと早退することに決め、保健室を出たとき、応援練習で1年6組に入りかけていたこじま先輩(3年生)が(弟が同じクラスにおりました。小学校転校時に「あんたも不幸だね」と声をかけてきた、ただし君のお兄さんです。過去ブログ参紹)「どうしたんだ、酔漢。帰るのか」
「熱あるから帰ります」
「じゃあお大事に」
「先輩、保健室の奥のベッドってずっと空いてのすか?」
「ああ、あのベッドか。まぁ丹治にでも聞けば解るよ」と言ったまんま教室へ入りました。

朝、西塩釜で丹治さんに会い、その話をしました
「先輩、保健室のベッド。一つ空きぱなっしなんだけんど」
「ああ、あいづか、一人しか使わねぇからな」
「だれっしゃ?」
「酔漢、柔道部の主将知ってか?」
「誰っしゃ。しゃねぇおん」
「たいらさんだべ。ほれ、頭まるめためがね掛けて、でけぇ人いっぺ」
思い出しました。とても中学生には見えない本当に恐そうな人です。
「大会が近づくと、朝練すっちゃ。そのあと保健室で一眠りしてそれから授業さぁでんだべ」
「んでもって、誰も遠慮してそのベッド使わねぇのすか?」
「それだけでねぇのっしゃ。たいらさんの身体だべ。他の人は使えねぇのっしゃ」
「使えねぇって?」
「俺もよくしゃねぇけんど、たいらさんの身体にベッドのマットが合ってしまって、んだなや、身体と同じようにへこんでんだとっしゃ。で、誰も寝返りがうてねくなってんのっしゃ。それだけでねくて、ベッドの支柱も曲がってんだとっしゃ」
「支柱が曲がるなんて事あんのすか?」
「俺も聞いた話だけんど・・んで見さ行ってみっか」
「今日の昼休みで」
てな事になりました。
昼休み。保健室の戸を開けると。
「なんだ、元気な奴が来るとこでないよ」とたづこ先生。
「先生、ベッド見せてください」と丹治さん。
「ああ、いいよ今日はたいらいないからね」
僕らは、おそるおそる一番奥のベッドを覗き込みました。
なんと。言われていた事は本当だったのです。
頭の方のベッドの支柱は見事にゆがんでおり、少しだけくの字になっているのでした。
「先生、やっぱし曲がってる」
「たいらが3年かけて曲げたもんだからね。貴重かもしれないよ」
あっけに取られて保健室をでました。
「さすが、たいら先輩だなや。今年も連覇だべ」
市内では、敵なしの五橋柔道部でした。

この夏、帰塩した際、丹治さんと(やっぱりネ)一杯やっておりました時です。
「酔漢、おじま先生に会ったっちゃ」
「柔道部顧問だった先生ですよね」
「んだ。今、中学校の校長先生だおん」

たいらさんが、絶対に言う事を聞いた3人の先生。
柔道部顧問のおじま先生。剣道部顧問のささきのぶなが先生(名前凄いでしょ。国士舘剣道部副将だったといううわさが・・)そして、誰よりも早く学校に来て校門の掃き掃除を日課にしていた理科顧問のもんま先生。(酔漢、教育実習先では学年主任でした。実習中もこの先生にヤラレタ、酔漢です。後程お話します)3人が3人とも背中からのオーラが違っているのでした。

「たいらさんのベッド」は、伝説のベッドとして、たいらさんが卒業されました後でも保健室に残っておりました。卒業された後もたいらさんを知っている生徒がいる間は誰もそのベッドを使いませんでした。いや使えませんでした。

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