TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

Qちゃん、がんばれ!

2008年03月17日 | ひとりごと
昨日、「誰も知らない高橋尚子」というテレビ朝日の番組を見た。
この番組はQちゃんが北京オリンピックに出るということを想定して
枠が設けられていたのだろう。
先週の名古屋国際女子マラソンはQちゃんこと高橋尚子選手にとったら
過酷な42.195キロになってしまったにも係らず、
最後まで走り抜いたQちゃんはえらいと思った。
番組ではQちゃんのお父さんとお兄さんが当日、シドニーオリンピックのときに
持って行かれたときと同じ横断幕を持って応援されていた様子が放映されていた。
競技場に自分の持っているワースト記録で完走したときには車でQちゃんを追跡
しておられたのでこの瞬間をご覧になっておられなかった。
後でビデオでこのときの様子をご覧になってもっとしょぼんと落ち込んで
いると思ったら笑顔でゴールしていたのでそれまで心配そうな顔だったお父さんも
安心された顔に変わって行かれた。
Qちゃんのことを思う気持ちがすごく出ていてとても印象的だった。
お父さん曰く、山あり谷ありの人生もあるということをこのレースで学んだことは
Qちゃんの人生においてプラスになったはずと述べておられた。
北京オリンピックには出場できなかったが、Qちゃんがこのレースで完走した姿は
見ていた人それぞれに何かを訴えたのではないかと思う。
昨年の8月に半月盤の手術をしたときやその後のリハビリの様子、チームQの方々
との練習の様子が放映されていた。
Qちゃんいわく沿道のお客さんに逆に励まされたと述べていた。
昨日の「The・サンデー」という番組では座談会と称して
谷川真理、松野明美、千葉眞子の三人が先週の名古屋のマラソンや
オリンピックのこと、Qちゃんのことなどを振り返っていた。
半月盤の手術をしての出場だったそうだが、
この会見でこのけがのことを言ったら言い訳がましく聞こえるので
言わなくてもよかったと言う人もいるが、
谷川真理さんはマラソン選手でしかわからないQちゃんの立場にたった
コメントをしていた。
半月盤の手術をしての42.195キロはよく走れたと感想を漏らしていた。
沿道のお客さんはいつもより多かったのもこのQちゃんの人気にあるのだろうと思う。
本当にQちゃんは人気があるのだあと思った。
この大会の後の会見も「最後の挑戦ができてよかった」
マラソン代表に決定した3人には「国民の一員として応援していきたい」と
笑みを浮かべながらの素直なコメントだったと思う。
こんな潔い態度が好感度を益々アップさせるのだろう。
いろいろ言う人も多いのも人気者ならではのことだろう。
そんなことを気にせずに自分なりにがんばって欲しいと思う。
引退説も否定して、あきらめなければ夢はかなうという
Qちゃんに定着した言葉を胸に再び年内にも何かのレースに挑戦するらしい。
番組でQちゃんはチャレンジという言葉を色紙に書いていた。
Qちゃん、がんばれ!
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寝台特急あかつき、なは、寝台急行銀河

2008年03月16日 | ひとりごと
昨日で京都から長崎を走っていた寝台特急あかつきと京都から熊本まで走っていた
なはと、大阪と東京間を走っていた寝台急行銀河が幕を下ろした。
新幹線や飛行機、夜行バスに利用客を奪われたのが最大の要因らしい。
あかつき、なはは42年間。銀河は58年間。
あかつき、なはは九州に旅行に行く度にお世話になった。
銀河は東京や伊豆に旅行に行ったときにお世話になった。
なくなると思うとやはり寂しい。
ニュースでやっていたのを見ると
いろいろな人々の夢やいろいろな思いを乗せて何十年も走っていたのだと思った。
たくさんの鉄道ファンが到着駅でわんさか待っていたのが報道されていた。
この最後の列車の切符が発売30秒後には完売したとか。
こんなに人気があったらまだ現役として今も走っていただろうにと思う。



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大人の友情

2008年03月15日 | 読書日記
大人の友情 河合隼雄 著 朝日文庫
夫婦、男女などいろいろな友情について語られた本だった。
夏目漱石のこころ、太宰治の走れメロス、ヴェニスの商人、雨月物語、明惠上人など
たくさんの文学作品から例を挙げながら友情について、友だちについて、熱く説いている。
また、実在人物の友情にまつわるお話、小林秀雄と中原中也、田邊元と野上彌生子などの
関係も記載されていてへーそうなのかと初めて知ったこともあった。
一臨床心理師として見た友情論をわかりやすく書かれているようであっても
中身は結構難しかった。
「ほんとうの友人とは?」という問いに対して、
著者は「夜中の十二時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、
どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人だ」というユング派の
アドルフ・グッゲンビュールの言葉を引用していた。
茶飲み友達という章が最後のところに載っていたが友情とは茶飲み友達のようなものと
いうのが今の自分にはぴったりくるかと思う。
つかず離れず、けれど、心の中にはいつも住んでいる友達。
一生涯で友達との信頼関係を長く築くことは簡単なようでも難しいものなのだと
この本を読んで感じた。
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植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

2008年03月14日 | 読書日記
植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」 戸井十月 著 小学館
昨年、3月に亡くなった植木等さんの人生を振り返った本だった。
無責任男やスーダラ節に象徴されるような
キャラクターとは程遠い人柄であったことがこの本を読むとよくわかる。
植木さんに多大な影響を及ぼしたと思われるのは
お父さんとお寺での修行だったようだ。
植木等ご本人もおやじの生き方は支離滅裂と言わしめるほどの
規格外で自由奔放な生き方だったと書かれていた。
お寺での厳しい修行もご本人いわくこの御蔭で我慢強い男になれたと語っている。
御木本幸吉が母方の親類だったので父親が東京の御木本真珠店付属工場で
働いていたそうだがそのときに植木等さんは御木本幸吉に一度だけ会ったそうだ。
そのときの話や苛烈で過剰な兄の話などあちらこちらに
面白い話が散りばめられているのも面白かった。
日本の芸能界でメンバーの入れ替わりなく生涯続いたバンドは
クレイジーキャッツ以外ないらく、
メンバーがたくさん亡くなられても未だに解散していないと書かれていた。
七人のメンバーはそれぞれ生涯の友として仕事上、
プライベート上でも仲良かったらしい。
リーダーのハナ肇が突然、映画に出るようになったときも
映画に出てもお前らを捨てるなんてことはこれっぽっちも考えていないし、
必ずみんなと一緒に最後までやると言ったほどの本当に気のいい男だったと書かれていた。
だから、みんなはハナ肇のことを愛していたんだと。
そういうハナ肇が事務所の社長の渡辺さんに話をしにいくとなぜか
言いたいことを言えない人だったらしい。
そういうときは代わりに植木等が社長と掛け合ったという。
植木等いわく谷啓はほんとに凄い男なんだと言っている。
自分の美学をちゃんと持っていてトロンボーンは超一流だけれど、
ドラム、ピアノ、サックス、トランペットなどの楽器もお手の物で
ギター以外はなんでも弾けるそうだ。
クレイジーキャッツのいろいろな番組のネタも決まっていいアイディアを出すのも
いつも谷啓さんだったという。
こんな公私ともども仲良しコメデイバンドだったからだろうか。
クレイジーキャッツはまさしく昭和の全盛期の波に乗って一世を風靡したと言えよう。
当時子どもだった自分もよくテレビで拝見していたのをよく覚えている。
この本は昭和の時代を生きた植木等さんの面白くてモダン、
思慮と知性をあわせもつ人生が語られているとともに
植木さんが愛したクレイジーキャッツの仲間たちとの愉快な話だった。
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佐賀城下の雛まつり

2008年03月13日 | 旅日記
佐賀城下の雛まつりと題して、旧古賀銀行や旧古賀家などの施設で
お雛様を展示していた。
旧古賀銀行では有田焼のお雛様が展示されていた。
旧福田家には珍しい手織りの佐賀錦のお雛様を見学できた。
佐賀錦のお雛様も販売展示されていたがお値段にびっくりした。
大隈記念館も見学した。
明治政府では二度の総理大臣を歴任し、
早稲田大学の創設者としても有名な大隈重信の記念館。
大隈重信の生家もこの記念館に隣接してあり、
大隈重信が勉強で眠くなったときに頭を打ちつけ眠りを遠ざけた木の柱も残っていた。
勉強の時間を稼ぐために1日の便通の時間も毎日8時と決まっていたらしい。
この後、佐賀城本丸歴史館を見学。
これだけのきれいな施設が無料でボランティアの方の案内で
時間に合わせて隅々まで説明してもらえる。
こちらの売店でお土産に買った佐賀錦のお菓子がとてもおいしかった。
バームクーヘンが上に載っていて中はしっとりとした小豆が散りばめられている
上品なお菓子でなかなか美味だった。
売店でこの辺で食事をするところがないか聞いたら
おうどんやさんが近くにあると教えてもらえた。
そこできつねうどんをいただく。
そこから徴古館まで徒歩約5分。
このときから大粒の雨が降ってくる。
徴古館では鍋島家の豪華なお雛様を見学した。
佐賀周辺は今回初めて来たがこんなにいいところがたくさんあると知った。
佐賀駅周辺はこれからもっと開発されそうな街に見えた。
がばいばあちゃんがあちこちに宣伝してあった。
それと最近福岡のベッドタウンとしての機能が見出されて人口が増えているらしい。
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吉花亭

2008年03月12日 | 旅日記
佐賀県の古湯温泉。吉花亭に宿泊した。
佐賀駅から送迎していただき約30分で吉花亭に着いた。
古湯温泉はアルカリ単純泉の美人湯として古くよりよく知られた名湯で、
この日は宿泊客が少なかったのだろうか、
大浴場、露天風呂ともすいていてゆったりとお湯に浸かれた。
館内の貸切の家族風呂も3つあって空いていれば宿泊客は無料で利用できるそうだ。
館内のあちらこちらに鳥の絵が描かれていて、
メジロが梅の木のところにとまっている民芸風の飾りが上手に
いろいろなところに飾ってあった。
お雛様のシーズンなのでお料理の器もお雛様で
食事場所の入り口にはたくさんのお雛様が飾ってあった。
夕食で黒毛和牛のロースのお肉を石の上で焼くのであったが
この石はよく磨かれていて丸いので4切れあったお肉が石の上に載せきれなかった。
程々に焼いたお肉をいただいたらこれがとてもおいしかった。
まだ、できて10年のホテルだそうだが、
館内の至る所にさりげない趣や工夫が施された素敵な旅館だった。

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武雄温泉

2008年03月11日 | 旅日記
武雄温泉に行った。
最初はタクシーで御舟ヶ丘梅林まで行ってもらう。
梅はまだこれから満開という感じで
御船山の麓にのどかに咲いていた。
本数は1万本だそうだ。
ホテルのチェックインが3時なのでそれまで御船山楽園を散策した。
御船山楽園はつつじの名所で御船山の麓にたくさんつつじの木があった。
つつじは20万本。桜も5000本あるらしい。
御船山楽園は武雄の第28代領主である鍋島茂義が創設した
約15万坪(東京ドーム10個分)の池泉回遊式庭園。
御船山は標高210メートルの断崖がそびえたつ山で
ここ御船山楽園は御船山の麓にあるので調和のとれた景色を作り出していた。
御船山楽園から御船山の絶壁をロープを頼りに
ロッククライミングしていた方々が見えた。
あんなこわい断崖を降りておられて見ているだけでもこわかった。
御船山は見る角度が違えばいろいろな形に見える山だそうだ。
その姿が唐船に似ていることから唐船山とも呼ばれているらしい。
このあと、武雄温泉でいつもポスターになっている楼門も見学してから、
3時過ぎにこの日のお宿の湯元東洋館に入った。武雄温泉には今回初めて来た。
嬉野温泉には何度か訪れたことがあるのだが武雄温泉はいつも素通りしていた。
湯元東洋館には露天風呂はなかったがつるつるのすべすべしたいいお湯であった。
大浴場は4階と1階に二つあり、
1階のほうは少し小さいがかけ流しのいいお風呂だった。
夕食は部屋食でここの夕食は本当にどれもおいしかった。
パイ包みのシチューやごま豆腐の茶碗蒸しなどどれも皆おいしかった。
器も大変凝っていて欠けたものもなくきれいな器だった。
宮本武蔵が巌流島の決闘後に五輪の書の想を練った
由緒ある創業三百八十年のお宿だそうだ。
ホテルの中に宮本武蔵ゆかりの井戸もあった。
玄関に有田焼の陶柱があってたいへん珍しかった。
素敵なお宿に泊まれていい思い出になった。

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古賀政男記念館

2008年03月10日 | 旅日記
古賀政男記念館に行った。
柳川から西鉄バスで15分、兼木というバス停からすぐのところにある。
ここのバス停には木製のピアノの鍵盤の椅子が置かれていた。
家具の町、木工の町のここ大川市ではバス停にユニークなベンチや
時刻表掲示板が設置されていてバス内からたくさん見ることができた。
この記念館には古賀政男さんの生家もあって
古賀政男さんの遺品も展示されてあり、
生涯に4000曲も作曲された功績がよくわかる記念館だ。
丘を越えてを藤山一郎が歌っているビデオを館内で見た。
あの曲もこの曲も古賀さんの曲だったのかと改めて知った曲もたくさんあった。
小林幸子、五木ひろし、森進一などの若い頃の写真も展示されていて歴史を感じる。
氷川きよしや大川栄作などのサインも飾ってあった。
表には五木ひろしが植樹した木もあった。
こんなにたくさんの歌を作曲した偉大な人だったのだとしみじみ思った。
当時音大出身ではなくて明大出身で作曲家という方は珍しかったそうだ。
明大に行くことは家族の中では大反対だったとか。
それを押し切って上京し、明大ではマンドリンクラブを創設し、名曲影を慕いてで
作曲家への道を築かれて行ったと書かれていた。
ここでマンドリンの屋久杉で作ったキーホルダーを買った。
この隣に筑後川昇開橋のキーホルダーもあった。
バスで佐賀駅まで戻るときに気が付いたのだが、
バスの車窓から見えた変わった橋が見えたのがこの橋だったのだ。
この橋は旧国鉄佐賀線の可動鉄橋だったそうだ。
大川市の観光情報は旅行のガイドブックにはほとんど載っていなかったが、
いいところがたくさんあると思った。
また、いつかゆっくり散策してみたいところだった。
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ホテルセキア

2008年03月09日 | 旅日記

ホテルセキアに宿泊した。
大牟田駅からシャトルバスが出ていて、約40分でホテルに着く。
部屋は5階の和洋室だった。
着いてからホテルより少し離れた天望の湯につかりに行った。
阿蘇の外輪山を遠くに見ながら人工のお湯と書かれた
別府の湯とかの3つの露天風呂に入った。
ホテルの中にある大浴場はアルカリ単純温泉でいいお風呂であったが
こちらのお風呂は外の景色が見えなかった。
この天望の湯の近くには楽市楽座というゲームセンターがあり、
ついていたコイン券でゲームを楽しんだ。
テレビのフレンドパークでいつもやっているので1回やってみようと
ハイパーホッケーもした。
テレビでは簡単そうに見えるけれどやってみると案外難しかった。
他にスポーツセンターやボーリング場もあって
春休みなどのお休みには家族連れで賑わうことだろう。
夕食はバイキングだった。
お寿司やカレー、てんぷら、茶碗蒸しなどたくさんの種類があった。
味もよかった。写真はホテルの部屋から撮影した日の出。
この日は大変天気がよくて高いところにホテルが建っているので
遠くの景色までよく見えた。



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柳川まり

2008年03月08日 | 旅日記
柳川の観光情報センターの2階で飾ってあった柳川まり。
柳川では千十というお店で遅めのお昼ごはんをいただいた。
うなぎのせいろむしは20分くらい時間がかかるということなので
電車の時間があるので天丼を食べた。
家族はうなぎの蒲焼がついた定食を食べた。
舟下りのときの船頭さんいわく、土日は鰻のお店はのきなみ込んでいるらしい。
舟が御花の近くに来たときは鰻のにおいが漂ってきた。
鰻をむすときの影響でお店の近くの木が生を欠いて元気がない様を見た。
柳川は鰻ですごく有名になったのだろう。
このあとにふらふら歩いていたら観光情報センターがあってそこに入ってみたら
柳川まりが展示されていた。
もう少し時間があったなら柳川をじっくり見学できただろうに。
20年前に訪れたときも滞在時間は2時間だけでせわしなく見学した。
今回は3時間半ほど時間をとっていたのだが舟下りで30分待ったのと
70分のはずの舟下りが待ち時間も入れて1時間40分ほどかかってしまったので
御花を見学できなかった。今度は柳川に宿泊してゆっくり観光してみたい。
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