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シンポジウム趣意書

2006-10-21 | 環境問題
 シンポジウム 『日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!――スウェーデンに学びつつ』 趣意書


 多くの警告や専門機関、専門家、民間活動家も含めた多くの人々の努力にもかかわらず、この数十年、世界全体としての環境は悪化の一途をたどっています。
 例えば、地球温暖化―異常気象、オゾン層の破壊、森林の減少、耕地・土壌の減少、海洋資源の限界―減少、生物種の激減、生態系の崩壊、化学物質による大気・耕地・海洋の汚染、核廃棄物や産業廃棄物から生活ゴミまでの際限のない増加などなど、どれをとっても根本的に改善されているものはないのではないでしょうか。
 専門家が警告を発し、それを聞いて理解した人々が「できることをする」ことによって、こうした環境の悪化はやや減速されたかもしれませんが、止まってはいない、それどころかじわじわと深刻化していると思われます。環境問題は私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に「目的外の結果」が蓄積し続けているものだからです。このことは、改めて確認しておく必要があるでしょう。
 残念ながらこれまでの多くの努力は、まだ有効な結果を生み出しているとは言いにくいのです。「努力をしていれば、そのうちなんとかなる」という発想は、こと環境に関しては不適切です。たとえ心理的には不快であっても、出発点としてはそのことのきびしい認識が不可欠だと思われます。
 しかし悪化し続けている現状を認識するだけでは、私たちは危機感と不安が高まり、無力感と絶望に陥ってしまうだけでしょう。
 そういう意味で、本シンポジウムは、「環境の危機を訴える」ことだけを目的にしていません。それは、きわめて早い段階の『ローマクラブ・レポート(邦訳『成長の限界』ダイヤモンド社)』(一九七〇年代初め)を典型とする、国連を初め国内外の信用できると思われる機関や専門家が示してきたデータに基づいた警告をごく素直に読むと、地球環境が非常な危機にあることはすでにあまりにも明らかだと思われるからです。
 私たちは本シンポジウムを通じて、むしろ環境の危機に対して「どういう対策が本当に有効かつ可能か」ということを、スウェーデンという一つの国家単位の実例をモデルとして検討します。そして、そこから大枠を学ぶことによって、もちろんそのままにではないにしても、日本のこれから進むべき方向性が見えてくるのではないか、という提案をしたいと思うのです。
 かつてヨーロッパの北辺のきわめて貧しい農業国だったスウェーデンが、戦前から特に戦後にかけて、急速な近代化・工業化によって豊かな福祉国家に変貌してきたことは、よく知られているとおりです。単に「経済大国」になるのではなく、「生活大国」になったのです。
 しかし、七〇年代、そして九〇年代前半、スウェーデンが不況にみまわれた時、「それ見たことか、やりすぎの福祉のための高い税と財政の負担が経済の足を引っぱった。やはり『スウェーデン・モデル』には無理があったのだ」という印象批評がありました。
 ところが実際には、九〇年代前半の不況をわずか数年でみごとに克服し、国の財政収支はほぼバランスし、世界経済フォーラム(ダボス会議)の経済競争力調査では二〇〇五年までの過去三年間世界第三位にランクされています。いまや経済・財政と福祉、さらには環境とのみごとなバランスを確立しつつあるようです。
 しかもそれは、たまたまうまくいったのではありません。問題解決の手法として、目先の問題に対応するのをフォアキャスト、到達目標を掲げそれに向けて計画的に実行していくのをバックキャストといいますが、スウェーデンは、政治主導のバックキャスト手法によって、「エコロジカルに持続可能な社会=緑の福祉国家」という到達目標を掲げ、それに向けて着実に政策を実行し、目標の実現に近づいているということなのです。
 「日本も『循環型社会』というコンセプトで努力しているではないか」という反論もあるかもしれません。しかし、決定的な違いは、必然的に大量生産―大量消費―大量の廃棄物を生み出すというかたちの経済成長を続けることが前提になっていることです。これは原理からしても「持続可能」だとは思われません。
 それに対しスウェーデンは、政府レベルで、経済活動を自然の許容する範囲にとどめながらしかも高い福祉水準を維持できるような成長は続けるという、きわめて巧みなバランスを取ろうとしていますし、それは成功しつつあるようです。
 私たちは、もちろんスウェーデンを理想化・美化するつもりはありませんし、他の国からも学ぶ必要がないとは思っていませんが、国際自然保護連合の評価を信じるならば、現在のところ「エコロジカルに持続可能な社会」にもっとも近づきつつある国であるようです。そういう意味で、きわめて希望のもてる「学ぶべきモデル」だと考えているのです。
 しかも、政治アレルギーに陥っている日本の市民にとって重要なことは、スウェーデンの政治権力はみごとなまでの自己浄化能力・自己浄化システムを備えているということです。堕落しない民主的な政治権力というものが、現実に存在しえているのです。
 自浄能力のある真に民主的な政治権力の誘導によってこそ、経済・財政と福祉と環境のバランスのとれた、本当に「持続可能な社会=緑の福祉国家」を実現することが可能になるのではないか、それはこれからあらゆる国家が目指すべき近未来の目標であり、日本にとってもそうであることはほぼまちがいないのではないか、と私たちは考えています。
 私たち日本人が今スウェーデンから学ぶべきものは、なによりも国を挙げて「緑の福祉国家」を目指しうる国民の資質とその代表・指導者たちの英知と倫理性だと思います。
 きわめて残念ながら当面日本には、「緑の福祉国家」政策を強力に推進できるような国民の合意も政治勢力も見当たりませんし、すぐに形成することも難しいでしょうが、環境の危機の切迫性からすると早急に必要であることは確かだと思われます。
 本シンポジウムは、そうした状況の中でまずともかく、方向性に賛同していただける方、あるいは少なくとも肯定的な関心を持っていただける方にお集まりいただき、近未来の日本の方向指示のできる、ゆるやかではあるが確実な方向性を共有するオピニオン・グループを創出したい、という願いをもって開催致します。
 趣旨にご賛同いただける方、次の世代のためにぜひご参加・ご協力いただけますようお願い致します。

   二〇〇六年八月二十七日


シンポジウム呼び掛け人

元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー
環境問題スペシャリスト        小澤徳太郎

サングラハ教育・心理研究所主幹  岡野守也

元国立環境研究所所長        大井 玄

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