エルム通りの沿道に集まった群衆の頭上わずかの距離から、オズワルドのライフルが大きな発射音とともに発砲された――にもかかわらず、このアルトジェンズの写真において、銃口に近い人々にはそれに気づいた素振りすら見受けられない。彼らはオズワルドが銃を構えた真上の教科書倉庫ビル六階を見上げることもなく、いまだに通り過ぎていった大統領のリムジンに熱い視線を向けている。
一方で、銃口ではなく、逆に被弾した大統領に近い地点の人々にだけ、前述の「車列真後ろ・水平方向」への反応が起こっているのはなぜなのか。
そして、さらに遠く離れた地点の観衆に限って、逃げる・飛び退く・驚愕するといった強い反応を見せている理由は一体何なのか。
ザプルーダー・フィルムの前掲2コマに加え、次の映像に注目していだきたい。
*別の観衆M・マッチモアによる、先のザプルーダーの2コマとは反対の側から、疑惑の焦点「グラッシーノール」を写した映像(GIF画像)。階段状の人物が、大統領が3発目の被弾をした瞬間に、明らかな驚愕反応を示している。これは付近からの発射音によるものと考えるのが自然な動作である。
発射音に関しては、これに加えて、大統領のリムジンの後方につけている車上の、シークレットサービスの動きが決定的に重要だと思われる。
*アルトジェンズ写真(再掲)
教科書倉庫ビル方向から二度の発射音があったにもかかわらず、アルトジェンズ写真では、先述の「水平方向・真後ろ」を振り返った3名の要員以外、車上のほかの人物は銃声のような危険への反応を示していない。
特に、こうした暗殺の企てといった緊急事態に備えて、車外のステップに立っている向かって右側の2名に着目してみよう。手前のサングラスの人物、C・ヒルは、その後リムジンから後方に身を乗りだそうとした大統領婦人ジャクリーンのもとに走り寄り彼女を押しとどめ防護したことで有名だが、彼はこの時点ではまだ、苦悶を示した大統領に注意を向け始めている段階である。また、その後ろの要員は、車上の反対側で真後ろを振り向いている件の要員らに視線を向けているだけである。いずれも、彼らの後上方からの発射音自体には明らかに無反応である。
つまりシークレットサービスの車両上の全員の、狙撃の瞬間のこれらの動作は、オズワルド単独犯行説からすれば全く不可解なことに、彼らの後上方から2度にわたり大きく轟いたライフルの発射音への反応だとはどうしても見えないのである。
仮に「車列真後ろ・水平方向」への反応を示している車上の3人ともが、オズワルドによる発砲音の方角を誤認したとあえて考えてみよう。だとすれば、車上で全員が同じ銃声を聞いている「はず」であるにもかかわらず、わずかな距離を挟んだ人物たちの間で、どうしてこうも反応が異なるのか?
これは大統領警護という彼らシークレットサービスの最重要の任務の最中なのだ。何より銃の発射音を即座に聞き分け、反応し対処するといったことが、彼らに課された指命の全てだったはずである。彼らはそうした分野については、米政府のセキュリティ要員中のエリートとして、最高の訓練を受けていたと見る必要がある。
また、暗殺のあった1963年は第二次大戦から二十年足らず、朝鮮戦争から十年を経たにすぎず、こうした組織に属する人物であれば、銃声が日常だった戦場体験を持っているのが、この当時にあっては普通であっただろう。
つまり明らかに、彼らは発射音としてのライフルの「銃声」を聞いていない。
ともかく、公式見解であるオズワルド単独犯行説を全く裏切り、教科書倉庫前の人々は何も気づかなかったかのように、過ぎ去る大統領車を熱心に見送っている。また、精鋭のはずのシークレット・サービスも同様にオズワルドの発砲には反応していない。そして教科書倉庫ビルの窓から離れた位置の人々だけ、奇妙な「反応」起こっている。
少なくとも、こんなふうに選択的に聞こえる銃声が存在しないことは子どもにもわかる。公式見解によるオズワルドの二発目は、よく知られているように「魔法の銃弾」と揶揄されているが、ここでさらに、ライフルから離れれば離れるほど大きくなる「魔法の銃声」の登場である。
公式見解によれば、この事件はあたかも「魔法」に満ちているかのようだ。そのことをさらに見ていきたい。
まとめると、アルトジェンズの写真から読み取れる第二の事実とは、①この場面全体、とくに肝心のオズワルドに最も近い位置にいた人や、銃声に反応しなければならないシークレットサービスが、オズワルドのライフルの発射音に反応しておらず、②大統領の被弾ポイントやさらに離れた地点の人々にだけ起こった奇妙な反応は、明らかにオズワルドの銃撃によるものではない、ということである。
この「ライフルの発射音への無反応」と「発射音でない『何か』への反応」とが、暗殺の罠がいかに仕掛けられていたかを推理する上で重要と思われるのである。
一方で、銃口ではなく、逆に被弾した大統領に近い地点の人々にだけ、前述の「車列真後ろ・水平方向」への反応が起こっているのはなぜなのか。
そして、さらに遠く離れた地点の観衆に限って、逃げる・飛び退く・驚愕するといった強い反応を見せている理由は一体何なのか。
ザプルーダー・フィルムの前掲2コマに加え、次の映像に注目していだきたい。
*別の観衆M・マッチモアによる、先のザプルーダーの2コマとは反対の側から、疑惑の焦点「グラッシーノール」を写した映像(GIF画像)。階段状の人物が、大統領が3発目の被弾をした瞬間に、明らかな驚愕反応を示している。これは付近からの発射音によるものと考えるのが自然な動作である。
発射音に関しては、これに加えて、大統領のリムジンの後方につけている車上の、シークレットサービスの動きが決定的に重要だと思われる。
*アルトジェンズ写真(再掲)
教科書倉庫ビル方向から二度の発射音があったにもかかわらず、アルトジェンズ写真では、先述の「水平方向・真後ろ」を振り返った3名の要員以外、車上のほかの人物は銃声のような危険への反応を示していない。
特に、こうした暗殺の企てといった緊急事態に備えて、車外のステップに立っている向かって右側の2名に着目してみよう。手前のサングラスの人物、C・ヒルは、その後リムジンから後方に身を乗りだそうとした大統領婦人ジャクリーンのもとに走り寄り彼女を押しとどめ防護したことで有名だが、彼はこの時点ではまだ、苦悶を示した大統領に注意を向け始めている段階である。また、その後ろの要員は、車上の反対側で真後ろを振り向いている件の要員らに視線を向けているだけである。いずれも、彼らの後上方からの発射音自体には明らかに無反応である。
つまりシークレットサービスの車両上の全員の、狙撃の瞬間のこれらの動作は、オズワルド単独犯行説からすれば全く不可解なことに、彼らの後上方から2度にわたり大きく轟いたライフルの発射音への反応だとはどうしても見えないのである。
仮に「車列真後ろ・水平方向」への反応を示している車上の3人ともが、オズワルドによる発砲音の方角を誤認したとあえて考えてみよう。だとすれば、車上で全員が同じ銃声を聞いている「はず」であるにもかかわらず、わずかな距離を挟んだ人物たちの間で、どうしてこうも反応が異なるのか?
これは大統領警護という彼らシークレットサービスの最重要の任務の最中なのだ。何より銃の発射音を即座に聞き分け、反応し対処するといったことが、彼らに課された指命の全てだったはずである。彼らはそうした分野については、米政府のセキュリティ要員中のエリートとして、最高の訓練を受けていたと見る必要がある。
また、暗殺のあった1963年は第二次大戦から二十年足らず、朝鮮戦争から十年を経たにすぎず、こうした組織に属する人物であれば、銃声が日常だった戦場体験を持っているのが、この当時にあっては普通であっただろう。
つまり明らかに、彼らは発射音としてのライフルの「銃声」を聞いていない。
ともかく、公式見解であるオズワルド単独犯行説を全く裏切り、教科書倉庫前の人々は何も気づかなかったかのように、過ぎ去る大統領車を熱心に見送っている。また、精鋭のはずのシークレット・サービスも同様にオズワルドの発砲には反応していない。そして教科書倉庫ビルの窓から離れた位置の人々だけ、奇妙な「反応」起こっている。
少なくとも、こんなふうに選択的に聞こえる銃声が存在しないことは子どもにもわかる。公式見解によるオズワルドの二発目は、よく知られているように「魔法の銃弾」と揶揄されているが、ここでさらに、ライフルから離れれば離れるほど大きくなる「魔法の銃声」の登場である。
公式見解によれば、この事件はあたかも「魔法」に満ちているかのようだ。そのことをさらに見ていきたい。
まとめると、アルトジェンズの写真から読み取れる第二の事実とは、①この場面全体、とくに肝心のオズワルドに最も近い位置にいた人や、銃声に反応しなければならないシークレットサービスが、オズワルドのライフルの発射音に反応しておらず、②大統領の被弾ポイントやさらに離れた地点の人々にだけ起こった奇妙な反応は、明らかにオズワルドの銃撃によるものではない、ということである。
この「ライフルの発射音への無反応」と「発射音でない『何か』への反応」とが、暗殺の罠がいかに仕掛けられていたかを推理する上で重要と思われるのである。
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