〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

ロストジェネレーション補完計画 3

2007-03-11 | ロストジェネレーション論
3.アイデンティティ・ロストの世代論


そんなふうに心の基盤・アイデンティティがいわば根っこから枯死しつつあるかに見える、その最初の世代が私たちなのだということですが、よく上の世代のオジサン・オバサンたちから批判されるように、それは豊かで自由な時代に生まれ育ち、そのことに甘えた私たちの努力不足と未熟さばかりが原因なのでしょうか? 

そうではない…というか、たしかにそれは事実を衝いているけれども、あまりにも一面的に過ぎるといいたいと思います。

 私たちが大切なものをロストしてしまいさまよっている世代であるというここでの問題意識からいえば、逆にそう批判する上の世代は、自分たちが無自覚に拠って立っているところの歴史にはぐくまれた価値観を次の私たちに伝達するという、世代的な責任を怠っているといって決して過言ではないと思います。

 事情はどうあれ、人間社会の歴史の本質的な営みである世代間のリレーにおいて、明らかにバトンを落として後に続く者に渡し損ねてしまっているという全体としての彼らの世代の問題は、同じく批判‐反省されるべきと思われてならないのです。

 そもそも最初から教えられることのなかったものを自ら創造するというのは、思想的な天才でもない限り至難に違いありません。

 ここでのポイントは、私たちの心をかたどり基礎づけているアイデンティティとは、変形‐進化を遂げつつ世代から世代へと歴史を通じて脈々と受け継がれてきたものだという、そう気づいてみると当たり前に思われる事実です。

 その流れが大まかにいって明治維新‐近代化以降の、とくに敗戦から現在に至るまでの時代的な事情で断絶してしまったことこそが、今を生きる私たちのいわば〈アイデンティティ・ロスト〉の、本質的な原因ではないかということです。

 それには近代化・産業化した社会に共通する喪失であるという側面とともに、私たちの日本においては、欧米列強によって西洋化をある種強要され、とりわけさきの戦争で決定的な敗北を被ったという、特殊な歴史的事情があると見えます。

 できれば、どういう過程で事がここまでに至ってしまったのかを、近世末期にさかのぼって先行の各世代を概観するかたちで、見ていきたいと思います。

 そして、私たちのこの心の荒廃にまで至りついた世代間の断絶とは、よくいわれる「いつの時代にもあった」というような生ぬるいものではないこと、歴史的な流れからいえばこれはかなり特殊で異常な事態であることを示せればと思います。

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