「特攻隊の英霊に曰す 善く戦ひたり 深謝す」
――航空特攻の指揮官、海軍中将大西瀧治郎の遺書より
これまで書いてきたように、六十余年前にこの国の若者たちが遂行した特攻作戦について、それが私たち自身の歴史理解の「壁」となっていると同時に、だからこそ「突破口」にもなりうるだろうという問題意識-展望のもと、さらに述べていきたいと思う。
それは主観的な願いとしては、「特攻隊論も同時代史から歴史に移行」させるべく「新しい特攻論を構築」するものとなる予定である。(前掲『「特攻」と日本人』より)
それはある意味当たり前すぎる結論であったと思われてならない。
おなじような試みをすでに先輩諸氏のいずれかがもっとすぐれたかたちで提示されているのかもしれないが、残念ながら管見の限りでそれを見出すことは出来なかった。
ともかく、結局そういうことに過ぎないのだと思う。
少し学ぶとわかるとおり、あの大戦末期の壊滅的状況において、日本はあらゆる手段を用いた国を挙げての「総特攻」を企図し、実際に計画・準備を進めていたらしい。
だからこそ、あのようなかたちで無条件降伏=完全な敗北を迫るポツダム宣言を受け容れることができたのは、かなり幸いだったと見える。
もし無条件降伏が成らなかったら――その後の絶望的な本土決戦で全軍・全国民を挙げての玉砕戦=「総特攻」が実行された公算はきわめて高かっただろうといわれる。
そうだったとしたら、当然この社会は少なくともこのようなかたちでは存在しなかったことだろう。
そして私たちは間違いなくここに存在していない……。
(現代の私たちにはすでに共感・理解しがたい情況だが、それには昭和天皇のトップダウンの決断、いわゆる「聖断」と、彼の肉声による「玉音放送」が、きわめて大きな影響力を持っていたらしいことがさまざまな史料や証言からうかがえる)
それは歴史の視点から巨視的・俯瞰的に見ると、あまりに一方的かつ全面的な敗北に直面してあらわれた、日本人がそれまでの来歴で培ってきた行動のパターン、文化のタイプ、そして精神性のレベルからくる、危機的状況における危機的反応だったように見える。
これまでずっと論じられてきたように、あの自己犠牲的・自殺的な「特攻」とは、果たして日本人特有の滅私奉公の集団主義と主体的な個人意識の欠陥による狂気の沙汰にすぎなかったのか。
それは敗戦-占領を通じて身につけさせられた「われらダメな日本人」という視点にどっぷりとはまり込んで、そういう歪んだ自己像をほとんど距離化・相対化できていない、あまりに内向きにすぎる見方ではないだろうか。
そのことはまた後で論じたい。
もはやいうまでもないが、特攻作戦が体現したあの戦争の遂行に邁進した政治・軍事の幾多の指導者は、近視眼的という意味で愚かだったと思う。
が、それは断罪ではなく、その後の歴史を知っている者のより客観的な視点から見ればそういう評価にいたらざるを得ない、という意味においてである。
今後とも日本が道を誤らないために、ああしたかたちで国民を死に追いやり国を破局にいたらせた彼ら指導者たちの愚かしさはどこまでも批判されるべきだ。
しかし安易に断罪することが出来ないと思われるのは、国の存亡の瀬戸際にあるということがリアルに実感された当時の危機的な情勢や、圧倒的な戦力差と物質的窮乏の中で最終的にそういう「手段」が求められてしまうような集団的な空気の圧力の中に、すでに私たちが生きていないからである。
そういう状況に同じ立場でいたら果たして自分はどういう行動をとったか、それに抗う勇気や能力があっただろうか、あの状況でいったいどのような代案が可能だったのか……そう、批判するだけならきわめてたやすい。
さて、よく論じられるように、特攻隊員の若者たちが、そういう愚劣な指導者・権力者から強いられて(ないしは踊らされて)恨みを残して出撃した「犠牲者」だったのかというと、それもまた、あまりに一面的な捉え方に過ぎるように思われるのである。
たしかに強制はあった。
よくいわれる「志願」とは多くがたんなる名目にすぎず、とくに陸軍の特攻にはそもそも最初から志願という概念が存在しなかったといわれる。
冷厳な恐るべき強制・命令……しかしそれだけでは、じつはこのことを論ずるのにまったく不足であったはずだ。
つまり、「特攻」というおよそ考えられる限りの極限の行動、それは私たちが現代のヒューマニズムの視点からする「共感」や「理解」を、一切拒絶するような地点で行なわれたものだったのではないだろうか。そう思われてならないのである。
それは単なる印象批評ではなく、彼らの実行した行動の、壮絶なデータから読み取ることができるひとつの「事実」であると思われる。いくつか例証としてあげていきたい。
以降、とりわけ私たちにとって一般的に「特攻」としてイメージされる「航空特攻」について見ていく。
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