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11/22/63――ケネディ大統領暗殺事件について 2

2017-10-07 | JFK暗殺事件について
 このケネディ大統領暗殺事件とは、その後長いベトナム戦争の泥沼にはまり込んだ米国の、歴史の重大な転換点であった。その果てに今のトランプ政権があるのだ。
 映画「JFK」で、事件がアメリカの理想の死であったと描かれているのは、若干オリバー・ストーン監督自身の意図と異なるものの、今の眼からすれば実に的確だったように見える。

 もちろん、ジョン・F・ケネディという人物自体が、その後の歴史的評価において毀誉褒貶が激しいのは周知のとおりだが、しかし考えてみれば政治的暗殺のあとに(「JFK」ではクーデターであったと断言している)殺害された大統領の人物像が意図的に貶められたとしても不思議ではない。

 そうした世論操作が存在し持続しうることを、この事件における真相のあからさまな隠蔽ぶりが裏付けており、むしろそうした印象操作が実行されることは当然だとすら言える。「死人に口なし」なのである。
 ここでそれを判定する能力も時間も筆者にはない。ただ当然にそのように予想されるというに過ぎない。

 しかし、少なくとも彼の悲劇が、その後の歴史の転換点であったことは動かない。重要なのは、その肝心の転換点がいまだに謎の暗い闇に隠蔽されていることにあるのだ。

 映画「JFK」は、勇気を持って事件の真相を追ったニューオーリンズの地方検事ジム・ギャリソン(ケヴィン・コスナー主演)の姿を借りて、陰謀の存在を劇的に描き出した。
 実際、それは真の勇気であった。幾多の証人が短期間に不審死を遂げ、またギャリソン自身が経験したように社会的抹殺の罠が仕掛けられるなど、事件の真相に触れること自体が、長く危険な行為だったのである。



(「JFK」より)


 以下、映画「JFK」の語るところに沿いつつ、確認できる根拠に基づいて推測してゆく手法で進めていきたい。
 「JFK」については、もちろん細かい点では疑問もあるが、全体の陰謀のストーリーは、ギャリソンによる独自捜査に基づくセミドキュメンタリーとなっていて、その説得力は揺るがない。

 ここでは、映画でも描かれている複雑な人物相関や入り組んだ政治的陰謀について述べるのは差し控える。そこにはあまりに膨大な事実が、多岐にわたるテーマとなって広がっている。ご存じのように、この事件の研究家ないしマニアは多く、彼らの手になる多くの書籍が日本でも読めるので参照されたい。

 特に筆者がお勧めしたいのは、同じく事件を発生当初から追い続けてきた硬骨の弁護士マーク・レーンによる『大がかりな嘘』(Mark Lane ”Plausible Denial” 1992、邦訳・扶桑社)である。ギャリソンの裁判での敗北後、1980年代になって、同じく暗殺事件の中心人物と目されるCIA工作員と名誉毀損裁判を争い、実際に暗殺とCIAの関係を裁判所に認めさせ勝訴した経過が扱われている。当時のCIA幹部らから直接証言を録取しつつ証拠を積み重ねて、最終的に勝利を得た彼の言葉の重みは、凡百の陰謀論者とは訳が違う。

 ここでは、あくまで暗殺事件があった1963年11月22日金曜日の現地時間午後12時30分という「点」だけに注目していく。
 後に見る「オズワルド単独犯行説」という公式見解をこの一点で突破することで、すべての隠蔽工作はたちまち根拠を失い、陰謀の存在が裏付けられるからだ。

 暗殺事件の膨大な背景に関しては、ただ一つ、実行犯とされたリー・オズワルドなる人物の不可解さだけ触れておけば、それで十分であろう。

 映画にも描かれたとおり、海兵隊を除隊し直ちに「国防機密を売る」と放言して国籍離脱、鉄のカーテンの向こうのソ連に政治亡命し、現地で就職口ばかりでなくソ連人の美しい妻まで得、数年後にはその妻を連れて悠々帰国し、共産主義者として米国内で公然たる活動をしたのち、“偶然”大統領のパレードルート脇に位置する教科書倉庫ビルに事件の一ヶ月前に就職できた――彼の経歴のあまりの胡散臭さは、そう書き出しただけでもう腹一杯という感じである。
 冷戦時代の空気を片端なりとも知っている世代からすれば、これはいかにもあらかさま過ぎてあり得ない「設定」である。三流のスパイ小説でも、あまりに荒唐無稽でこんな設定ははなからためらうに違いない。

 むしろ、こうしたいかにも囮らしい彼を実際に囮としたこと自体に、ある種の意図すら感じられてならない。

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