さて、それではこの特集は、われら“ロストジェネレーション世代”について、どのような視点から、何を切り取り、何を描写し、メッセージとして何を語っているだろうか?
ようするに、そこではわざわざ特集まで組んで何が目指されているのだろうか?
まず全体を通してざっと読んだ限りでは、個々人のバラバラのエピソードの羅列に終始しているのが目に付く。
「勝ち組」から「負け組」まで、無職-日雇い-派遣から過労の正社員まで、自殺者から華麗に転身する超エリートまで、「居場所」を探して海外を放浪する女性から「何となく右」の陸自予備隊員まで、等々・・・
そしてそれぞれの回の面々を、いわば名づけて「~世代」という形の見出しをつけているが、そこには個々のエピソードの特徴を列記するだけで、一貫性が見られない。
いわく、「踏み台世代」「世直し世代」「仮面世代」「起業世代」「消耗世代」・・・といった具合に。それだけなら取り立てて「世代」などと名づける必要はないと思われる程度のものだ。
ようするにそんなふうにバラバラで捉えどころがないのがこの世代の特徴だ、といいたいようだが、これから述べるように、それは違うとあえて言いたいのである。
「捉えどころがない」のではなく、それは同特集がこの世代の問題の、共通の深層を捉えることができなかった結果だったのではないかと思われてならない。
ともかく、かろうじて読み取れる共通の特徴があるとすれば、それは紹介されている同世代の生態の大部分が、マイナスの言葉によって名づけられ描写されているということである。
さらに総括として要所を締めるべき位置にある中途の特集も、もっぱらこの世代の仕事とおカネに関する今後の先行きとか、記者の“日雇い”体験とか、明らかに問題のカテゴリーの異なる海外の同年代の就労事情との比較とか、世代論としてピントはずれな印象がぬぐいきれない。
また一読して容易に読み取れる全体にわたる文脈の特徴は、表題のとおりであれば世代論を取り上げているはずのこの特集記事の方向性が、そうではなくもっぱら労働-雇用問題に収斂していることである。それもまた後で述べたいと思う。
ようするにいいたいのは、この一連の記事は世代論を取り上げているようでありながら、取材も語りも分析も、時代の、そしてこの世代に共通する深層の問題性に迫ろうとする“つっこみ”が、残念ながらあまりにも不足していて歯がゆいということだ。
そしてそれ以上に残念なのは、ここでなされているのが焦点のブレた単なる問題提起のみで、その上総括がなされておらず、事態を改善し将来に希望の持てるような展望が欠如していることである。
(ただし最終回を読んでいない限りで)
結局のところ、「ロストジェネレーション」なるものが何なのか、その問題の本質はどこにあるのか、どのような展望が可能なのか、読後も依然としてとらえどころがないのだが、お読みになった方はいかがだろうか?
「わが国における25~35歳の年齢階層の男女で、もっぱら個人的な好き嫌いを価値基準に、気ままないし不安な生を営んでおり、世代内格差が著しく、とりわけ“負け組”は雇用で割を喰っている」――それ以上のことを、ここから読み取るのは難しいだろう。
そういうわけで、同特集は、その世代のど真ん中に生きる人間としては、はなはだ不満の残るものなのである。
ところがこの朝日・ロストジェネレーション特集は意外に大きな反響を呼んでいるらしく、さきに書いて以来共時的にこのキーワードを聞く機会が多いと思っていたのだが、それは単にこの特集の影響のためだったのだと、今になって気づいた次第である。
ともあれ、わが世代の生き方の問題性がクローズアップされたのは、そういう意味で前進であるには違いない。
しかし期待していた世代論としては・・・これでは結局何も語られていないも同然だといいたい。
ようするに、そこではわざわざ特集まで組んで何が目指されているのだろうか?
まず全体を通してざっと読んだ限りでは、個々人のバラバラのエピソードの羅列に終始しているのが目に付く。
「勝ち組」から「負け組」まで、無職-日雇い-派遣から過労の正社員まで、自殺者から華麗に転身する超エリートまで、「居場所」を探して海外を放浪する女性から「何となく右」の陸自予備隊員まで、等々・・・
そしてそれぞれの回の面々を、いわば名づけて「~世代」という形の見出しをつけているが、そこには個々のエピソードの特徴を列記するだけで、一貫性が見られない。
いわく、「踏み台世代」「世直し世代」「仮面世代」「起業世代」「消耗世代」・・・といった具合に。それだけなら取り立てて「世代」などと名づける必要はないと思われる程度のものだ。
ようするにそんなふうにバラバラで捉えどころがないのがこの世代の特徴だ、といいたいようだが、これから述べるように、それは違うとあえて言いたいのである。
「捉えどころがない」のではなく、それは同特集がこの世代の問題の、共通の深層を捉えることができなかった結果だったのではないかと思われてならない。
ともかく、かろうじて読み取れる共通の特徴があるとすれば、それは紹介されている同世代の生態の大部分が、マイナスの言葉によって名づけられ描写されているということである。
さらに総括として要所を締めるべき位置にある中途の特集も、もっぱらこの世代の仕事とおカネに関する今後の先行きとか、記者の“日雇い”体験とか、明らかに問題のカテゴリーの異なる海外の同年代の就労事情との比較とか、世代論としてピントはずれな印象がぬぐいきれない。
また一読して容易に読み取れる全体にわたる文脈の特徴は、表題のとおりであれば世代論を取り上げているはずのこの特集記事の方向性が、そうではなくもっぱら労働-雇用問題に収斂していることである。それもまた後で述べたいと思う。
ようするにいいたいのは、この一連の記事は世代論を取り上げているようでありながら、取材も語りも分析も、時代の、そしてこの世代に共通する深層の問題性に迫ろうとする“つっこみ”が、残念ながらあまりにも不足していて歯がゆいということだ。
そしてそれ以上に残念なのは、ここでなされているのが焦点のブレた単なる問題提起のみで、その上総括がなされておらず、事態を改善し将来に希望の持てるような展望が欠如していることである。
(ただし最終回を読んでいない限りで)
結局のところ、「ロストジェネレーション」なるものが何なのか、その問題の本質はどこにあるのか、どのような展望が可能なのか、読後も依然としてとらえどころがないのだが、お読みになった方はいかがだろうか?
「わが国における25~35歳の年齢階層の男女で、もっぱら個人的な好き嫌いを価値基準に、気ままないし不安な生を営んでおり、世代内格差が著しく、とりわけ“負け組”は雇用で割を喰っている」――それ以上のことを、ここから読み取るのは難しいだろう。
そういうわけで、同特集は、その世代のど真ん中に生きる人間としては、はなはだ不満の残るものなのである。
ところがこの朝日・ロストジェネレーション特集は意外に大きな反響を呼んでいるらしく、さきに書いて以来共時的にこのキーワードを聞く機会が多いと思っていたのだが、それは単にこの特集の影響のためだったのだと、今になって気づいた次第である。
ともあれ、わが世代の生き方の問題性がクローズアップされたのは、そういう意味で前進であるには違いない。
しかし期待していた世代論としては・・・これでは結局何も語られていないも同然だといいたい。
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