〈私〉はどこにいるか?

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朝日新聞・新年特集の検討――ロストジェネレーション論3

2007-01-25 | ロストジェネレーション論
「ロストジェネレーション」というキーワードに触発されて、ぼくらの世代特有の問題を明らかにし、同世代の一人としてその解決を模索するべく“連載”を開始しようと思いたったわけだが、考えてみればそのきっかけを与えてくれた『朝日新聞』の新年特集記事を、わずか二回分しか読んでいないのだった。

そういうわけで、さきのログではちょっと勇み足の印象批評をしてしまった。
とはいえ、あながち的外れだったわけでもなかったようだ。

今後書くからにはいちおう背景を踏まえておく必要があると思ったので、今回実家に帰ったのを機会にあやうく捨てられる寸前だった同紙の連載分を確保した次第だが、1月12日分(たぶん最終回)が欠けているのは、遺憾ながら同日の号を母親が猫のエサ皿の下敷きに使って捨ててしまったためである。


さて、記事全体をざっと見て気づくのは、予想外に重点の置かれた大規模なキャンペーン的記事だったということだ。

正月1日朝刊の一面半分を割き、以降連日の一面連載のみならず、別の面で複数回、一面ないし二面見開きの別立て特集記事を組んでいることから、その相当な力の入れぶりがわかるだろう。

どちらかというといわゆる“良識的・進歩的(最近はあやしいと聞くが)”ということになっている、世論を代表し誘導する力のある大新聞で、しかも大々的にわが世代の問題がまとまった形で取り上げられた意義は大きいと思う。
その努力自体は多としたいところだ。

しかしこの特集記事には、われら同世代の問題を語る上で必要な何かが決定的に欠けている。というか、少なくとも同世代の自分にはそう見えるのである。

何が足りないのか、以下、分けてそのことを書いていきたい。

なお、批判的に過ぎると感じられたら、それは記事中に描写された、とくに「負け組」の、わが同世代の生き様への共感の故ということで、ご寛容いただければ幸いである。

また、狭い主観を越える上で、厳しいご批判・反論をいただければさらに幸甚である。


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